あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る  ~11~

日常を記録する① 朝の山崎駅

前項でも触れましたが、この大混雑ウィークは、遠出は止めて、近場でサクッと撮るに限ります。この習慣、デジカメを始めた十数年前も同じでした。近くのJR、私鉄へ行って、この時代の「日常」を記録していました。単なる列車写真の羅列にしか過ぎませんが、今となっては、ほとんどの車両が世代交代しています。改めて「当たり前の記録」の重要性を知る5月の連休でした。今回は、東海道本線の山崎駅の午前中、大阪方面行きホームの先端から見た列車を見ていただきます。この場所が、とくに賑わうのが“ネタ”列車の通る時だろう。この時代は、最後のボンネット特急車両となった、金沢車両所の489系H01~03編成がやって来た時に尽きる。少し前までは「はくたか」代走や、時には「雷鳥」でも走ることがあったが、この連休期、一往復だけの臨時特急「ふるさと雷鳥」に充当されて、久しぶりに晴れ姿をとらえられた。あとは、月に数回、北陸方面から、京都への団体輸送・修学旅行に使われることもあり、チャンスが訪れると、白レンズ・三脚・脚立組に囲まれて、小さくなって、すき間から狙ったものだ。最末期はずいぶん汚くなってしまったが、この時期はまだ車体も美しく、ボンネット全盛を彷彿させた。クハ489-3F (2009年5月、以下特記以外同様)。

ボンネット車は「雷鳥」でもあったが、2003年になくなっていて、面白味は薄れた。本数も683系の「サンダーバード」が増備されるにつれ本数が減少し、撮影時点では、「サンダーバード」15往復、「雷鳥」10往復になり、「スーパー雷鳥」は廃止されていた。こだま色の特急は、さらに本数が減少し、2011年に「雷鳥」はなくなってしまった。「雷鳥5号」、クハ481-701F

回送ながらも、新大阪発着の北近畿行きの183系特急編成もよく通る。出自がさまざまで、485・489系からの改造車もあって、車高もまちまち。クハ183-708F、C36編成 ▲▲綾部電化に際して、余剰の485・489系から直流改造されたのが、福知山運転所の183系700、800番代、これは唯一の850番代、クハ183-851後部のB61編成南紀からの特急「スーパーくろしお2号」、クハ381-112F、381系の9連。南紀特急は「くろしお」「スーパーくろしお」「オーシャンアロー」と三つの愛称が乱立していた時代、まもなく287系、289系に置き換えられて、愛称も統一される。下り223系普通電車と行きかう、先ごろ廃止となったキハ85系「ひだ」、連休とあって増結の4両編成。キハ85-203FこちらもJR東海の383系の通称「大阪しなの」(ワイドビューしなの9号)、在来線の最長距離を走る昼行特急で、またJR3社に乗り入れる唯一の定期特急だったが、2016年3月に名古屋以西が廃止され、京都、大阪から見られなくなった。583系「きたぐに」も走っていた。こんな長編成の寝台急行電車が毎日走っていたのだから、十数年前とは言え、充実した楽しい時代だった。原色ではないと毛嫌いしていたのに、今となっては、よく似合っていたJR西日本色塗装だと思う。クハネ583-28F

新緑の天王山の麓の山崎駅、ほかの駅が次つぎ新しくなるなか、この駅だけは変わらない。▲▲京都・大阪府県境の標柱のあるホームで咲き誇るツツジと、青い201系のコラボを。色が塗られた鋼製の電車はやっぱりいい(いずれも2006年5月)。

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る  ~11~」への12件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様

    いつの間にか、この光景が見られなくなってしまいました。時代の移り変わりは速いものです。

    この中で、大阪しなのは復活してもよいのではと思っております。北陸新幹線が敦賀まで延伸した暁には尚更復活は厳しいですが、この時代だからこそゆったり長野に行く選択肢があって然るべきだと。

    • 奈良の駅名研究家さま
      またまたの速攻コメント、ありがとうございます。「大阪しなの」のことは、なくなる時に私も乗車記を書きました。
      https://drfc-ob.com/wp/archives/69606
      「乗り換えなしで、ゆっくり」よりも「乗り換えてでもいいので、とにかく速く」の層が圧倒的なんですね。しかも、新幹線乗り継ぎ料金なら、値段的にそれほど差がありません。JR3社にまたがっていたので、乗務員のやりくりも大変で、ずいぶん人件費の掛かる特急でした。

  2. 総本家青信号特派員様
    ある時期、この界隈(実際は山崎~神足間が多かったですが)は私もホームグラウンドにしていました。それにしてもよく目標とする列車種別形式を記憶されていて相当にお通いになり事後整理されていたことがわかります。奈良の駅名研究家さんが言われる大阪まであった列車を撮っていました。2012年7月29日14時32分通過篠ノ井線坂北~西条間の有名撮影地での大阪行き「しなの16号」クモハ383-16です。例によって貼り付けますが失敗したらご容赦下さい。このJR東海383系特急列車は総本家さんとご一緒しました私の生家付近を今日も走っていることでしょう。今日は私の誕生日です。ドイツが負けた日です。

    • 準特急さま
      誕生日に「大阪しなの」のきれいな写真を、ありがとうございます。準特急さんが山崎~神足を開拓された時代から約40年が経った写真を載せました。さすがに、客車列車はないですが、今から思うと、まだまだ興味深い車両・列車が走っていたと、改めて思います。いまは、ホントに面白味のない撮影地になりましたね。

  3. 総本家青信号特派員様、
    ボンネットのお写真を拝見し、181系「しおじ」や485系「雷鳥」、紅一点DCの80系「はまかぜ」が並ぶ、向操の西出発線の壮観な景色を思い出しました。
    貼付の489系の代走は、金沢から上ってくるというネット情報を頼りに、私も撮影したことがありました。2011年1月3日、4019M、島本~高槻です。

    • 四方誠さま
      はい、私も高校生の頃、向操に行って、ボンネットほかの花形車両が並ぶシーンに感動したこと覚えています。末期の489系のダイヤ情報は、DJ誌に載っていましたね。買う習慣はなかったので、立ち読みして、懸命にダイヤを覚えて帰ったことも思い出です。

  4. 山崎は総本家様の地元でしたね。大阪行ホームの西端は手ごろな撮影地にもかかわらず、午前中は光線状態も良くきれいな写真が撮れますね。
    「白鳥」が見られなく頃、一度だけ写しに行きました。ホーム端には10人ほどのファンがいたでしょうか。私は隙間から、手持ちで撮影させてもらいました。
    添付の画像は2001年2月25日、青森行きの「白鳥です」。11両編成に増結され、列車の後部が切れてしまいました。

    • 紫の1863さま
      「白鳥」の写真、ありがとうございます。以前の住まいから、ひと駅だけの乗車ですので、よく行きましたよ。長い編成は、貫禄がありましたね。向日町のボンネットは、スカートが切り欠きされているのが気になり、真横から写したり、遠景で撮ったりと、いろいろ撮り方を変えました。

  5. 489系は2011年3月26,27日に大阪~金沢のNTA主催団臨「ボンネットよ永遠に『ありがとう489系』号の旅」に充当されたのが営業運転の最後だったように思います。もう12年も経過するんですね。画像を探してみたのですが2015年頃と勘違いしておりいくら探しても見つからずネット検索して2011年だったとわかり時間の経過に驚きました。山崎はブルトレ最盛期や485系雷鳥、数々のイベント列車でお世話になりました。今でも時々訪問しますが昔と雰囲気が変わり足が遠のきつつあります。
    話は戻って当時は追っかけをして金沢方面まで行きたかったのですが仕事の都合で26日往路の山崎で撮影後は仕事で翌日も夕刻まで仕事のため新大阪駅でお迎えしただけとなりました。画像は3月26日に山崎駅先端で撮影した最後のボンネット列車です。私は手前の電柱の向こう側で撮るのが主でした。
    最後に準特急様、誕生日おめでとうございます。

    • 893-2さま
      お書きの「ありがとう」号、私も撮ったはずと、書いてもらった日付で検索すると、写真が出て来ました。この時は、最後をどう撮ろうかと考えた結果、ボンネットを強調するため、真正面で撮ろうとなり、地元の長岡京駅の端から、かぶりつきで撮りました。893さんとは、隣の駅で撮っていたわけですか。山崎での撮り方は、手前の電柱の処理で分かれます。望遠で電柱を切る撮り方、もうひとつ、電柱は入れて広角気味に撮る方法です。私は後者でギリギリ引き付けて、逆カントで先頭車がカックンする瞬間が好きです。

  6. 総本家青信号特派員さま
    山崎、私も結構よく行きました。
    山崎で降りて名神とのクロス地点までテクテクと。
    広い4線区間をダーッと走り去る迫力は忘れられません!
    添付の写真も夢中で撮って、焼いて見たらヘッドサインが何やら変。
    プラのボードが紛失?それとも破損? 雨天で無くて良かった!
    これってレア写真かも知れません。

    • 河さま
      写真、ありがとうございます。山崎は、私もよく行きました。河さんにとっては、好きなゲタ電がしょっちゅう通っていましたし、私の時代では、山科では見られなかった151系が、新大阪発の特急として、向日町から回送でよく山崎を通っていて、ある意味、山科以上に魅力的な地でしたね。
      さて、貼り紙の特急ヘッドサイン、特発で急遽仕立てられて間に合わなかったのか、ヘッドサインが破損して紙にしたのか、時々あったようですね。佐竹保雄さんのなかに、なんとチャンピオンマークつきの貼り紙「こだま」がありました。

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