KAWANAKAです。
昔(1966)には、青信号の弟分「補機」が誕生し小回りの利いた発行がされていた。今では関東のDRFC連絡網として、デジ青の弟分というべきe-drfcが会員中で存在している。そのなかで寝台特急「曙太郎」(初代)氏が「外回りをすると、色んな風景に出合います。それがサラリーマンのオイシイところなのか?。最近撮った「外回り鉄」の一部をどうぞ。」と書き込みをされていて、外回りの時にふとであった風景を描写されている。
小生と高校時時代から同期であるF本氏も、仕事が早く片付いたし帰るのには時間があったからと、本人は外回り鉄と称していないがデジ青で掲載されています。
小生もそんなに外回り鉄の機会に恵まれているのではないですが、また内容はアカデミックでもないですが、それでも外回り鉄をします。みなさん停年になった人は別としてやはり外回り鉄と思いますが、小生も先日外回り鉄の機会に恵まれたので、帰るのに時間があったわけではないが回った。
10月3日、五井に出張があって、15時に現場解散となった。みなさん五井から東京へ向かわれれたのですが、小生は別れて何処まで行けるかと小港鉄道に乗ることにした。丁度良い時間に列車があって、海士有木くらいが限界と考えて日が傾きかける時間に動き出した。
海士有木は2つめの駅で、小港の雰囲気が味わえる最短の場所であると思った。
では外回り鉄をどうぞ。
海士有木から歩いて1分。上総村上の踏み切りから次の下り列車。この踏み切りは至って交通量が多く、道路を渡るのが一苦労。
車両が見えてかかなり経ってから警報機がなり、言わば詰まらん写真ですが撮り放題。見ると向こうに彼岸花が咲いている。まだ明るいのでつぎはそれを入れようと・・・。
ところが現場は側溝があり水が溜まっている。小生は大体水に落ちる性質なので諦めて反対側へ、秋の夕暮れが近いなかを捕ることができました。手前に季節の花があればよかったですが。
あとは駅へ戻ります。線路が綺麗です。
帰りの時間まで少し時間があります。もう1本撮ってから。
海士有木の小さな駅に五井行きが入ってきました。乗客は2人、社内には数人がいました。
それまでの時間、平日は有人、休日は無人、土曜は半分だけ有人の駅の業務委託を受けたおばさん駅員と雑談で時間を潰します。乗客とはみんな顔見知りで、帰ってきた客にお帰りと声を掛けたりしている。都会では見えられないこの風景が懐かしい。
いよいよ乗車の列車が来ます。閑散としたホームに入線の単行を撮ろうとしたら年配の乗客が・・・。おばさん「ちょいと写真と撮っているから下がってあげなさいよ」、おじさん、乗ることに一生懸命で聞こえません。
少し先頭が画面から出たところで、ライトのハレーションが起こらないこと確認して1枚。この日最後の撮影です。雰囲気が出たでしょうか。
急いでこの列車に乗って、おせわになったおばさんを1枚。
外回り鉄は仕事の疲れを忘れさせますね。おばさん、またお世話になります。
外回り終了です。
kawanaka_t様
外回り鉄と言われるから山の手線かなと思っていました。秋の日はつるべ落とし。3時からの短い時間によう頑張りましたね。いい写真を撮ろうと思うと夜明けか夕方がよろしいと言うことを改めて感じました。昔から写真のセンスに非凡なものを感じていましたが、車両に乗り込み走り出すまでシャッターチャンスを逃さないその姿勢には見習うべきものがあります。先般のデジ青総本家さんのユースまわりで掲載された雪の東北の駅の夜明けにもそれを感じました。仲良くなったおばさん駅員の手を振る姿。人の暖かさ、人情味が出ています。次回のDRFC写真展はこれで決まりですね。題は「また来てね!」でどうでしょう。
明日から仕事であるし、今日の夕方の流し撮りは旨くいかなかったし寝ようか、と思っているときに準特急先輩からの暖かいコメント、ありがとうございます。
外回りで僅かの時間でしたが、鉄道の持つ本来のよさは、箱物だけではなく心が通ったシステムであるべきと思います。
こんなことに出会えて、あ、良かったなあと思えます。鉄道が好きになって良かったと思う瞬間です。
題名まで決めていただいてありがとうございます。個人的には1コマ前のホームに立って乗ろうとしている老人が良いと思っていましたが。悩みができました。