9月30日、乙訓の長老投稿の【15057】「老人、伊香保温泉に遊ぶ」に関連して、西村雅幸さんが10月4日【15086】「伊香保の電車について」で平形眼科医院に保存されている電車の紹介があった。東武鉄道伊香保線、渋川~伊香保間が廃止されたのは昭和31年12月29日で、実に半世紀以上に亘って保存されているが、普段のメンテナンスが行き届いており極めて良好な状態である。
電車廃止後は東武鉄道のバスに代替されたが、群馬県内のバス路線撤退により、グループ会社の関越交通に引継がれた。
電車の伊香保終点の場所は、バスターミナルの下の原沢医院の辺りだそうである。
昨年所用で高崎行った時、駅前のバス案内所に伊香保軌道線のバスカードが販売されていたので購入した。発売元は関越交通であるが、群馬県下の殆どのバス会社で使用可能である。
伊香保線の前身は伊香保電気軌道として明治43年渋川駅前~伊香保間を開業し、大正2年11月に渋川駅前~伊香保間12.6㎞を開業した。撮影場所の八幡裏は渋川駅前から2.9㎞の地点で、市街地を過ぎて本格的な山登りに差し掛かった地点である。
高崎線は群馬馬車鉄道として高崎~渋川間を軌間576㎜で開業し、明治41年8月高崎水力電気に吸収合併、明治43年9月全線電化と1067㎜に改軌が完成した。営業キロは20.9㎞で写真の九蔵町は高崎駅前から1.2㎞の地点である。
渋川駅~伊香保温泉間は現在でも1時間に3本程度運行されている。伊香保温泉終点のバス停は温泉街の中心で、ロープウェイのりばに隣接した地点である。
距離は短いが観光路線のため、東武時代は貸切り改造車も使用されていた。
東武の伊香保温泉バス停 (昭和59年10月23日)
東武時代の前後扉の路線車 (昭和59年12月27日)
貸切車を転用した車両 (昭和59年8月25日)
貸切車に中扉を増設した車両 (昭和60年7月28日)
高崎駅からは群馬バスが運行されており、新幹線利用の場合、上越線に乗り換えることなく、直接伊香保温泉にアクセスできるが、1日5往復(土休日は伊香保方面6本)と本数が少ないのが難点である。伊香保温泉のバス停は関越交通とは別の場所で温泉街の中心からは少し離れている。関越交通の一部の便がここまで乗り入れており、バス停の名称は伊香保榛名口となっている。
群馬バスの伊香保温泉バス停(昭和60年1月15日)
群馬バスのターミナルに乗入れた東武バス。バス停の名称は伊香保榛名口(昭和60年1月15日)
群馬バスの車両。東急グループのロゴが付いているが、現在はグループから分離されている。(昭和59年10月23日)
伊香保温泉について西村さんが続行車を、藤本さんが長大編成の続々行車を仕立てて頂き有難うございます。おかげで良く分かりました。榛名山のすそ野を中腹までなだらかな地形を利用してレールが敷設されたのですね。箱根とは地形が全く違いますネ。GWにぶんしゅう氏に連れて行ってもらった別子鉱山も山岳鉄道でした、産業用のため差異は大きなものがありました。日頃、市電や都市間急行電鉄しか興味がないせいか、せっかく小学校の時に地図デ知り、1955年ピク誌で概要を知りびっくりしたのにも関わらず、その後はまっかく忘却の彼方でありました。伊香保温泉の源泉まで歩きました。法師温泉との違いも知りました。間違いを1件、与謝野晶子記念館は月夜野温泉ではなく、猿ケ京温泉でした。お詫び申し上げます。次いで藤本さんに代わり訂正を1件、伊香保線開業は明治43年10月16日、大正2年11月11日高崎水力電力合併、高崎駅前まで通じた、とのこと。いずれも和久田康雄さんの調査によります。