時刻表とともに 想い出の列車を再見する (13)

九州の駅 〈13〉C50の牽く旅客列車

また投稿が途絶えてしまいました。なにか新規でもと思いながらも、古い時刻表と古い写真を、しばらく見ていただくことにします。もうこの回を逃したら、発表する機会はないと思います。手垢のついた写真ですが、58年前、こんな多彩な列車が走っていたことを知っていただけたらと思います。昭和42年当時、前回(12)でも述べたように、日豊本線は、行橋の次の新田原まで電化していた。と言っても小倉から30キロほどの区間で、新しく421系電車も増備されていたが、電機の新製はなく、まだ客車列車が多く残っていて、貨物とともに、架線下を蒸機が牽いていた。牽引は、大分区のC57、門司区のD51が中心だったが、写真の門司港発柳ヶ浦行き1529レは、D51牽引から、行橋でC50に牽引機が交代し、柳ヶ浦を目指していた。機はC50 58で、デフには千鳥と波の装飾が入れられている(昭和42年3月、行橋)。

黄枠で示した門司港発柳ヶ浦行き1529レが、行橋~柳ヶ浦でC50が牽引する。C50の牽く旅客列車としては、小山区のC50が牽く両毛線の列車が有名だったが、ほかの区では、C50は警戒色に塗られて、地道な入換に励む姿が多いなか、整備の行き届いた出色のカマが牽くC50列車は話題となった。行橋区には4両のC50がいて、おもに行橋の入換に使われていたが、どれもたいへん手入れが良かった。 ▲▲デフに飾りの入ったC5058、トラ模様で入換に励むC50と較べると、別形式と思わせるほどの整備の良さだった。

 時刻表とともに 想い出の列車を再見する (13)」への1件のフィードバック

  1. あまりに個人的な記憶ですが、私の人生はこの時期に大阪から北九州に引っ越して2年目。馴染めない学童生活を必死に生きていた頃なので、つい懐かしくなりました。
    また日豊線の小倉行橋間はつい今週の月曜日に行って来ましたが、この時代に運行本数でも恵まれていた近郊区間なのだと、改めて感じました。
    昭和50年12月に父が行橋の手前の小波瀬のニュータウンに家を新築したので、51年から入学目前の54年3月までそこに住んでいました。私の鉄道趣味活動の成長期はその3年で、写真と模型と廃線跡の探訪と、それが54年春に大学に入り、5月には新歓旅行と、浦島太郎のような物語を読む気分です。

    写真は52年8月夕刻、行橋方面から小倉を目指す上り8レ「富士」です。
    高校の校風に馴染めるまで、精神的にはひどく落ち込んでいたので、SL以来の写真撮影も52年1月に再開するまで殆ど写していません。
    それでも貴重な記録を撮り出していたことは、その後の自分に繋がって行ったのではと思います。

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