写真展「煙の記憶」レポート   ❶

本欄でも紹介済ですが、1月18日(水)~24日(火)の7日間、山科の人間国宝さんとご一緒に、写真展「煙の記憶」を行なっていました。クローバー会の皆さんはもちろん、コメントを頂戴している外部の皆さん、「デジ青を見て新幹線で飛んで来ました」と初対面の方が来られたりと、地元から遠方まで、老いも若きも、男も女も、多くの皆さんと対話ができる貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。

写真展が終わって何らかの報告をと思ったのですが、手前味噌なことを書くのも気が引けますので、ここでは、展示写真のなかから、山科の人間国宝さんの許可もいただいて、とくにポイントとなる写真をピックアップしてご紹介したいと思います。

会場のエレベータが開いて、ギャラリーの全体がパッと眼に飛び込んだ時の“ワクワク感”を大事にした。そのため、真っ先に持って来たのが、テーマ1「栄光の証し、輝かせ」だった。すべて山科の人間国宝が撮られた、昭和30年代、蒸機に掲げられたヘッドマーク(愛称板)だった。山科の人間国宝は、山科の大築堤を行く、ヘッドマークを掲げた「つばめ」「はと」に感激し、蒸機に限らずヘッドマークを掲げた列車を撮るため全国を巡られた。

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 写真展「煙の記憶」、会場でお待ちしています

ことし初めての「デジ青」投稿となりました。投稿テーマだけは、新春から沸々と湧いて来るのですが、高齢化による実行力や集中力がさらに低下して、ことごとく企画倒れに終わってしまいました。結局、明後日18日(水)から行う、写真展のお知らせが、ことし初めての投稿となりました。

 佐竹保雄・福田静二鉄道写真展「煙の記憶」

  2023年1月18日(水)~24日(火)11:00~18:00(最終日16:00まで)

  祇園「ぎゃらりぃ西利」 京つけもの西利祇園店3階 (京阪祇園四条下車)

山科の人間国宝さんとの写真は、2021年、ひとまち交流館京都での写真展以来となります。こちらで勝手に二人展などと称して、厚かましいこと甚だしいのですか、年代差のある二人展だからこそ、年代幅が広がった、より広範囲な写真を展示ができると考えています。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-19-

始まりは新幹線の開業で賑わう長崎から。一部で減便が見られた長崎電軌だが、車両数、輸送人員ともに、広島に次ぐ国内2位を堅持、系統が集まる西浜町の交差点に立つと、T字路の上を架線が複雑に覆い、直進、左折、右折する電車に目を奪われる。

長々と続けてきた本シリーズもやっと、終わりが見え始めました。今回は、九州各地で見た青い瞬間(とき)を挙げてみました。一日24時間のうち、10分程度しか見ることができない一瞬ですが、舞台となる鉄道が変わると、さまざまな表情が見えてきます。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-18-

街を縫って走る路面電車、街に灯が点いて、空が青くなる一瞬、絶好の撮影タイムに(岡山電軌 東山・おかでんミュージアム駅)。

ことしもあと一日。“デジ青”投稿も忙しさにかまけて、ご無沙汰状態が続いています。投稿テーマだけは沸々と湧いて来るのですが、そのあとの実行力が伴わず、いつもアイデア倒れに終わっています。年末ギリギリに当たっては、実行の伴わない新規投稿は先送りして、途中で積み残した案件を、まず片づけるべきとの思いで、Blue Momentを続けます。今回は路面電車編として、中国・四国の4都市を巡りました。

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 “デジ青”から 湯口 徹 さんのご活動をしのぶ

湯口さんへの思いは、日時が経るにつれて、より強く敬慕の念が募って来ます。ホームカミングデ-での含蓄のあるスピーチ、見学会での舌鋒鋭い解説など、湯口さんのクローバー会での活動の日々を改めて思い浮かべています。

いっぽう当「デジタル元祖青信号」でも、たくさんの記事投稿をしていただきました。ちなみにトップ「投稿者」のヘッダーから「湯口徹」を検索していただくと、実に多くの興味深いタイトルが並び、それは病に倒れられた2017年12月まで、連綿と続いています。湯口さんの記事・写真は、趣味誌・単行本に多く発表されていますが、“デジ青”でしか味わえない、滋味あふれる「あの話、この話」に満ちています。ぜひ、湯口さんの思いを感じていただければと思います。湯口さんは、定例的に行われる、クローバー会写真展「鉄路輝く」にも、必ず出展をいただいた。この時は、湯口さんが同志社在学中に撮られた京津線の電車を展示、トークショーで興味深いエピソードを披露していただいた。

また「旧掲示板」でも多く発表され、そのなかの「おじん二人ヨーロッパ軽便」は、2005年10月から始まって、途中で「おじん2人+1人」に変わってからも、延々と続き、2008年9月まで、実に約90回(正確なカウント不能)にも渡って長期連載されました。また2006年3月連載の「サンパチ豪雪横断記」は、「レイルマガジン」誌の特集記事にもなるなど、多くの素材が、出版・マスコミ界に生かされています。

ここでは、表記のように、湯口さんがクローバー会での活動の様子を、ほかの投稿者からの記事で数点挙げてみました。最後にリンク先を表示していますので、ぜひ記事もご覧ください。

2009年3月8日「とりあえず総会写真速報」 この年の総会は犬山市のホテルで行い、宿泊後、明治村を見学、保存されていた蒸気動車ホジ6014を見学、湯口さんは、たまたま「蒸気動車」の本を出版中で、床下までもぐって詳細な解説に、参加者は興味津々で聞き入っていました。とりあえず、総会写真速報 | DRFC-OB デジタル青信号

2009年8月10日「〈速報〉湯口さん「島秀雄記念優秀著作賞」祝賀会が行われる」 この年、湯口さんは、その「日本の蒸気動車」で、鉄道友の会「島秀雄優秀著作賞」を受賞されます。会で祝福することになり、その会場の様子が紹介されています。表彰状の類いは、小学校の皆勤賞以来60年ぶりとかで、湯口さんは名誉をある賞をいたく喜ばれるとともに、会の連帯を強く感じられたのでした。【速報】湯口さん「島秀雄記念優秀著作賞」祝賀会行われる | DRFC-OB デジタル青信号

2013年11月21日「オロナイン軟膏3個 今年のホームカミングデー」 この年のホームカミングデーは新装なった良心館で行われ、湯口さんに講演をお願いしました。テーマは「軌陸車」、いかにも湯口さんらしい、ニッチなテーマですが、貴重な資料、写真を駆使して発表をいただきました。湯口さんには出版計画もあったと聞きますが、ついに実現せずに終わりました。なお記事では、そのあとの懇親会の様子も紹介されていますが、記事の最後の写真、右から沖中忠順さん、湯口徹さん、奥山直秀さん、お三人とも鬼籍に入られてしまうとは、思いも寄らないことでした。オロナイン軟膏3個! 今年のホームカミングデー  | DRFC-OB デジタル青信号

2014年5月15日「北近畿タンゴ鉄道 あかまつ・あおまつに乗りに行こうツアー開催」春の一泊旅行は、新緑の北近畿タンゴ鉄道へ。宿泊後、チャーターバスで加悦SL広場へ。ここも保存された内燃動車の宝庫、湯口さんにマイクを付けていただき、解説をしていただきました。解散後、私は湯口さんと福知山市のポッポランド館を見学、展示されていた北丹鉄道の細かい資料を一点ずつ丹念にカメラで複写されていた姿が印象に残っています。一流の趣味人でも、地道な調査・研究が不可欠だと思いました。 クローバー会2014年春「北近畿タンゴ鉄道(KTR) あかまつ・あおまつに乗りに行こう」ツアー開催 次期会長公募について | DRFC-OB デジタル青信号

ホームカミングデーのあとの懇親会でも、会活動の指針となるスピーチをしていただいた。「趣味活動を長く続けるには三つの要素が不可欠、少しのカネ、自由に使える時間、そして語り合える仲間」と、よく湯口さんから示唆していただいた。「こうして懇親会で酒が飲めるのも、三つが満たされているからこそ、みんな実に幸せ者」と結ばれた。

 ありがとうございました。湯口 徹 さん

既報のとおり、クローバー会会員、湯口 徹 (ゆぐち とおる)さんが、去る12月11日に、お亡くなりになりました。享年86でした。当掲示板を通じて、会内外の皆様に、謹んでお知らせ申し上げます。

湯口さんは、昭和11(1936)年9月、佐賀県鳥栖市に生まれ、高校時代から京都市に居住、同志社大学経済学部に進学されました。在学中に、故・沖中忠順さんらとともに、鉄道同好会を設立され、初期段階に鉄道ピクトリアル誌上で私鉄車両めぐり「京阪電鉄」を発表され、斯界から注目を浴びました。OB会の設立後は、メンバーの中心として活躍され、当掲示板にも、多くの投稿をしていただき、会メンバーは多大な薫陶を受けるとともに、当会の名を広めていただきました。

活動は会だけに留まりませんでした。「一次資料しか信用しない」「他人の原稿も信用しない」、その強い意志で、数々の著書を発行され、鉄道趣味界、なかでも、内燃動車の研究においては第一人者の確固たる地位を築かれました。お上に汲みしない、歯に衣着せぬ明快な論理は、“湯口節”として、出版社や読者から信頼を得て、多くの湯口ファンも醸成されました。しかし、その影には、公文書館や図書館へ一週間続けて筆写に通うなど、地道な調査、ご自身の努力があったからこそ、なし得られた境地でした。

クローバー会にとっては、今年7月の沖中忠順さんに続いての悲報で、まさに“巨星墜つ”でした。謹んで、お悔やみ申し上げます。

ご逝去の報は、米手さんから第一報を入れていただきましたが、改めてご遺族の了解を頂いたうえ、掲示板でお知らせするものです。

 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-17-

万葉線

万葉線の庄川口、青い空に待合室の照明が際立つ、向こうが万葉線の庄川橋梁で、右に国道415号の新庄川橋が並行している(2011年3月)。

北陸シリーズ、つぎは万葉線です。高岡駅前から越ノ潟まで、12.9キロを結ぶ軌道線と鉄道線に分かれる路線で、Blue Momentに最適な鉄橋が2ヵ所あります。一つは中新湊~東新湊にある立山連峰を望む内川橋梁、もう一つは六渡寺~庄川口にある長大な庄川橋梁です。何度か訪れて両方の鉄橋へ行ったことがあります。前者は、以前にクローバー会の写真展に出展されたInubuseさんの、青い空に満月が浮かぶなか、電車が渡って行くシーンが印象的でした。今回は、後者の庄川橋梁をご紹介して行きましょう。庄川橋梁は全長416mもある堂々とした鉄橋で、橋梁に並行して国道415号の新庄川橋があって、真横からの撮影も可能なうえ、この季節は、真向こうに陽が落ちるため、夕方から夜にかけてのさまざまな時間帯で、移りゆく空の変化を楽しめます。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-16-

福井鉄道

福井鉄道の福武線は、越前武生と福井市の田原町を結ぶが、古くからの集落を縫うように走るから、意外に開けたところがない。唯一、三十八社の付近だけ、人家のない田園地帯が広がる。日没を遮る山もなく、ほぼ地平線に近いところで日没を迎える。天候に恵まれると、青から赤へのグラデーションとなる(2015年11月)。

北陸シリーズ、つぎは福井鉄道です。現存する中小私鉄のなかで、好きな私鉄のひとつです。いま復刻作業が行われている200形や、土日に特別運転している、シュツットガルトの「レトラム」(F10形)など、好ましい電車が揃っていました。沿線風景も変化が富んでいます。福井や武生、鯖江の市街地から、三十八社付近の田園地帯まで、さまざまに撮ることができます。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-16-

「記念消印」は、しばらく休んで、また、もとのBlue Momentに参ります。まだまだ撮ってます。ここは氷見線の越中国分駅、氷見線が工場地帯を抜けて、富山湾を望む景勝の地へ飛び出たところにある駅。何の変哲もない無人駅だが、向こうに海が見えるのがポイントだ。

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑦

釧路湿原のなか、車窓に釧路川を眺めながら、細岡に到着する。いかにも道東の駅らしい、ゆったりとして、きれいに掃き清められた駅だった。C58 127の牽く、網走行きの混合列車と交換する。

細岡 (ほそおか)

広大な釧路湿原を眺めて到着する。昭和2年の開設、駅名の由来は、鉄道建設の際に監督官の姓であるとする説もある。当時は二線の相対式の駅構造だった。通過する釧路発根室標津・小樽行き「大雪3号」。

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑥

標茶に到着したC58 127の牽く釧路発網走行き630レ、標茶からは標津線が分岐し、中標津を経て根室標津までの69.4キロと、中標津から根室本線の厚床まで47.5キロ、計100キロ余りが標津線だった。写真のように多くの乗り換え客で賑わっていた(1969年9月)。

標茶 (しべちゃ)

昭和2年の開設、昭和の時代は根室標津方面への標津線が分岐していたが、平成元年に廃止された。駅前には「道東鉄道発祥の地」の碑があると言う。これは、釧網本線の開業より、もっと早く、明治20年に釧路鉄道が、硫黄の積み出しで釧路川の河港の標茶まで開通している。また標茶町営簡易軌道が各方面に延びていたが、昭和46年に廃止されている。

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑤

緑 (みどり)

昭和6年の開設、当時の駅名は上札鶴だった。上斜里村が、清里町に改称された際に、行政地名も、上札弦から「緑町」に改称され、駅名も昭和31年4月に同時に改称された。「緑」にとくに由来はなく、佳字であることから選ばれたのだろう。「色」に由来する駅名なら第一に選ばれるはずだ。これも調査は、奈良の駅名研究家さんに任せたい。

初めて訪れた昭和43年、緑で交換するDE10の牽く貨物列車、当時、客貨混合はすべてC58牽引、逆に貨物はDE10化されていた。

緑郵便局の記念消印、こちらも駅舎が描かれている。

 

 

 

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ④

なかなか連日更新とは行きませんが、釧網本線の駅めぐり、続けます。

清里町 (きよさとちょう)

昭和4年の開設で、当初は村名に合わせた上斜里だった。昭和30年に町制を敷き清里町となり、駅名も改称した。本来なら「清里」のはずだが、小海線の清里と区別のため、「町」を付した駅名とした。北海道で「町」や「市」を付した駅名は比較的少ないと思われるが、奈良の駅名研究家さんの報告を待ちたい。

清里町50年間の定点対比、カーブした対向式のホームは変わらない。ホームの待合室や樹木は無くなってしまった。何よりも、50年前には、これだけの男女高校生の乗降があったのには驚く。

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ③

クローバー会「ホームカミングデー」の感動の余韻に浸る間もなく、デジ青復帰します。集まりでも、デジ青について述べさせてもらいましたが、投稿する側からすれば、あれこれ議論する前に、とにかく投稿を続けることが最善の道だと思い、私もセッセと載せて行くことにします。

浜小清水

大正14年の開業、当初は「古樋」という駅名だったが、市街地の小清水が、8キロほど内陸側にあるため、「浜小清水」と改称された。急行が健在な頃は停車駅で、駅も二面三線の交換駅で、側線も多かった。いまは対向式の二線駅になっている。浜小清水を発車する網走行き、C58+客車3両、側線には多くの貨車が留置されていて、貨物扱いも多かったことが分かる。左手のオホーツク海には流氷が広がる。
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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ②

何を思ったのか、年寄りばかりの集中投稿!  なんと7日一日で5件もの投稿です。悪乗りして、もう一件!

鱒浦

大正13年の駅開設、改修したのはアルミの出入り口だけと思われるほど、古色あふれる駅舎、並行して走る国道の山手側にあり、階段を上がって駅に到達する。ホーム一線のみの無人駅。▲▲駅名標、この近くに鱒浦郵便局があるが、とくに絵柄にするネタがないのか、今回、記念消印は無かった(2010年6月)。

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ①

トンと“デジ青”に疎遠状態が続いています。「デジ青投稿なんて、習慣化すれば何でもない」と吹聴しておきながら、用事が立て込むと、全く習慣化できません。時に優しく、時にきびしく、いつも意見を頂戴する、約1名の方からも「ええ加減に出さんかい」とメール連絡を受けています。とくに老人の場合は“投稿があるのは生きてる証拠”にもなりますから、生存証明のためにもセッセと書くことが大事です。

さて、デジ青に“駅”テーマがあふれて何よりだと思います。なにしろ駅へ行かないことには鉄道に乗れませんからね。「鉄道に乗らない鉄道ファン」へのアンチテーゼでもあると高齢者らしい見方をしています。そこで高齢者も乗せてもらって“駅”テーマと思った次第ですが、少し趣向を変えて、郵便局で押される記念の消印〈小型印〉を絡めた話題です。

タイトルの「道東の駅」とは、釧網本線、根室本線のこと、昨2021年は、郵政事業150年、根室本線(釧路~白糠)開通120周年、根室本線全通100周年、釧網本線全通90周年と、道東の鉄道では記念の年となりました。そこで駅近くにある郵便局44局で独自の記念消印を作成、駅と郵便局が地域とともに歩んだ歴史を振り返ることになりました。押印期間は2022年9月で終了しましたが、ほぼ全郵便局の消印を、郵便依頼でコンプリートすることができました。釧網本線、根室本線と言えば、私にとっては54年前に初めて訪れて以来、何度か乗り降りをした、思い出深い路線です。なかなか現地まで行くことができない今、当時の風景と消印をセットにして、道東の駅を語ってみたいと思います。郵便局のHPから「小型印のごあんない」

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-15-

不順な天気が続いていた今年の秋ですが、ようやく安定した天気になりました。上田電鉄のクローバー会ツアーも好天に恵まれて、参加者とともに楽しむことができました。本日も、準特急さんにコメントを入れると、天気が良くなり日光方面に向かっていると返コメが即座に入って来ました。78歳の後期高齢者には“負けてられへん”とばかりに、私は夕方になってから、以前から目を付けていたBlue Momentポイントへと出かけました。地下鉄の京都市役所前から電車に乗ること40分、京阪石山坂本線のある駅に到着した。しょちゅう来る電車を写しながら待つこと一時間、青い時間を迎えた。

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