あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~28~

2006年9月9日 廃止予定の神岡鉄道へ

この年、18きっぷを使って、高山本線猪谷から分岐していた神岡鉄道へ行っています。神岡鉄道は、国鉄神岡線猪谷~神岡を昭和58年に第三セクターに転換して開業した鉄道で、猪谷~奥飛騨温泉口(神岡を改称)20.3kmの路線、鉄道収入の四分の三を占めていたのは、神岡鉱山からの貨物輸送でしたが、種々の理由で、貨物輸送を縮小、撤退、沿線人口は極めて少なく、旅客数、車両数とも全国三セクの最低となり、2006年11月30日限りでの廃止が決まっていました。

始発の猪谷は、JR東海、西日本の境界駅で、ずいぶん不便な場所にありましたが、18きっぷで、途中、金沢、富山で撮影しながら、楽々日帰りで行くことができました。北陸新幹線など未開通の時代、在来線のみのネットワークがしっかり張り巡らされていた、ほんの少し前の時代でした。終点の奥飛騨温泉口を発車した、神岡鉄道の猪谷行き〈おくひだ2号〉。

京都を一番列車で出て、途中、富山ライトレールの乗車も楽しみながら、神岡鉄道が発車する高山本線猪谷には14:33に到着。▲▲神岡鉄道は高山本線と同居した切り欠きホームに。▲▲▲早くも撮影への警告文が。▲▲▲▲時刻表、一日6本、夜の最終列車がなくなり、繰り上げられたことが分かる。

 

猪谷14:48着のKM-151〈おくひだ2号〉が姿を現わす。折り返しの14:55発の207Dに乗車した。正面窓三枚が屋根部まで伸び、窓下ライトの独特の風貌をしている。

KM-151〈おくひだ2号〉のサボ・番号表記とその車内、イベント用の車両で、車端が“いろり”風のスペースになっている。猪谷を発車、鉱山の積み出しで賑わった時代を伝える広い構内が残っている。

左2点は「茂住」、スーパーカミオカンデへの名所案内もある。右は「漆山」、なぜか各ホームに地蔵が祭られていた。トンネルを出るたびに、神通川へ注ぐ高原川を何度も渡る。

構外側線もある「神岡鉱山前」、交換可能駅で唯一の駅員配置。▲▲神岡町の中心にある「飛騨神岡」、鉄橋上にホームがある。町並みが見えるのは、ここだけ。▲▲▲最後の駅、「神岡大橋」。乗車30分で終点の「奥飛騨温泉」に到着。▲▲KM-151〈おくひだ2号〉の外観、あとはKM-101〈おくひだ1号〉だけで、車両保有数でも全国最小レベルだった。いずれも転換開業時に新潟鐵工所で新造された。奥飛騨温泉口駅で発車待ちのKM-151〈おくひだ2号〉。▲▲15:32発の神岡鉱山前行き226D、途中の神岡鉱山前までの列車が、朝10時台と15時台の2往復あった。時間帯から通学用とは考えにくく、車両基地のある神岡鉱山前まで客扱いを兼ねた検査回送のようだ。

奥飛騨温泉口駅、さらに奥地へ入る濃飛バスが発着。▲▲貨物用に使っていたKMDE101が駅前広場に保存されていた。もとJR四国のDE10 1005駅から5分も歩けば、神岡大橋も見える渓谷が広がる。神岡鉱山前発奥飛騨温泉口行きの前後を撮影。

 

 

 

つぎの「神岡大橋」まで歩いて、16:48発の110Dに乗車して猪谷へ向かう。▲▲同駅の時刻表、運賃表。猪谷に着いたKM-151〈おくひだ2号〉は、数分の停車ののち折り返して発車。写真のように、運転指令はJRの猪谷駅員が行っていた。神岡へ向かって発車して行く。結局、神岡鉄道は、3ヵ月後の2006年12月1日に廃止された。直近の一日当たり輸送人員は80人程度だった。

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~28~」への5件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    たまたま2023.8.26に「猪谷」で神岡鉄道の廃線後の状況を確認してきました。当然のことながら切り欠きホームの線路は剥がされ、狭いホームには転落防止のため金網の柵が付けられていました。線路敷き用地の権利形態は分かりませんが、このホームをJR東海からの折り返し普通列車に使用すれば屋根付きホームの有効活用ができると思いました。
    少し時間があったので、駅前の富山市立(ここも平成の大合併により富山市なのですね)「猪谷関所館」に入館しました。ここには、神岡線を含む高山本線「坂上-富山」間の前身となる飛越線の資料も展示されていました。
    今回の本来の目的は、HC85系気動車の体験乗車でしたが、シフトチェンジはありませんが走行音が間違いなく気動車の「クモハ85」という車両に乗車しました。始発駅、終着駅の案内放送に使用される車内オルゴールも「鉄道唱歌」ではなく、懐かしい「アルプスの牧場」で車両形式以外は気動車でした。

    • 快速つくばね様
      最新情報、ありがとうございます。私にとっての猪谷は、神岡鉄道の廃止で終わったつもりですが、まさか先月に、HC85系の体験乗車で、猪谷を訪問されていたとは思いも寄りませんでした。線路はありませんが、周りの風景は変わりないようですね。
      近くの資料館へも行かれたとのこと、先代の610mmの神岡鉄道の資料はありましたでしょうか。猪谷の近くの神通川を渡っていた橋台がまだ残っていたり、奥地に入ると、まだ遺跡が残っているようで、こちらも気になります。

  2. 笹津近くの会社で単身赴任していたので、車でちょこっと足を伸ばして神岡へは何回かいっています。いまはレイルマウンテンバイク「GattanGO!!」が運行しています。まちなかコースと渓谷コースがありますが、2020年11月6日に訪れた時はまちなかコースだけでしたが渓谷コースの計画がありました。写真は旧奥飛騨温泉口でガッタンゴーが発車するところです。NHKの地域発ドラマにもなっていました。

    • どですかでんさんは、長らく富山に単身赴任と聞いていましたが、笹津におられたのですか。奥飛騨温泉口駅は、神岡鉄道の時代のままですね。マウンテンバイクが走っていることは、テレビなどで知っていましたが、どこまで行けるのでしょうか。駅を出ると、すぐ渓谷沿いを走りますから、爽快だと思いますが、高齢者が公共交通だけで行くのは、むずかしくなりました。

      • 会社は笹津でなく41号線を笹津より少し北に行ったところの大沢野です。かつては笹津線が走ってました。電車が走っていたら電車通勤でしょう。神岡のマウンテンバイクはHPを見ると高山駅から濃飛バスがマウンテンバイクの利用料金も含めた切符があるので車がなくてもいけそうです。マウンテンバイクは高齢者にとってはよほど体力に自信がないとしんどいかもしれません。ところで投稿のタイトルが表示されなくなっています。管理人さん、よろしくお願いします。

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