あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~25~

2007年8月25日 架替工事前の余部鉄橋へ

8月も下旬になると、コロナ禍以前なら、18きっぷの消化に追われて、各方面によく出掛けたものでした。この日は、京都から、山陰・因美・津山・山陽の日帰り18きっぷゴールデンルートの途中に寄った余部鉄橋の撮影です。

この時期、架替計画が進む余部鉄橋を渡る観光列車、快速「あまるべロマン」が、城崎温泉~浜坂間で2往復運転されていた。何年か前から、5月連休、夏休みなどに運転されていた、京都総合所のキハ65系「エーデル」4両編成で、以前は特急「エーデル鳥取」に使われていたが、列車は廃止され、臨時・団体用として使われていた。

京都を始発で出て、福知山付近で113系を撮影、豊岡からキハ47 2の167Dに乗車。▲▲竹野で166Dと交換、列車はすべてワインレッド色のキハ47オンリーだった。海の見える駅、鎧で168Dと交換、先頭はキハ47 1だった。▲▲餘部には10:51着、鉄橋の見納めが近づいてきて、多くの撮影者が山間の小駅に下車した。

 

 

餘部鉄橋は、この年の3月にも行って、様子も知っていたので、湾の向かいまで行き、下り「あまるべロマン1号」を待った。鉄橋では減速運転なので、いくらでも撮れる。ズームレンズを伸び縮みさせて連写する。

 

余部鉄橋は、1912年完成の長さ310m、高さ41mのトレッスル橋、老朽化や風による運休を避けるため、南側に鉄筋コンクリート製の新しい橋が架けられることになった。駅に直結の展望台から。 両側に風よけの防風柵ができて、景観は悪くなったが、この日も大賑わいだった。眼下には夏らしい景色が広がっていた。景色は今でも見られるが、やはりトレッスル橋との組み合わせは、いいものだ。

トンネルを飛び出て、鉄橋を渡るキハ47を写し、滞在2時間弱で餘部を去った。

浜坂で途中下車、暖簾を掲げた駅舎、発着する全但バスを撮影。途中下車駅の撮影アイテム、歓迎アーチも写しておく。浜坂で交換の列車も、キハ47のトップナンバー車が。このあと、鳥取経由で因美線で智頭へ、町並み散歩を楽しみ、美作加茂で下車して列車撮影と、18きっぷ1回分でたいへん有効な一日となった。

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~25~」への10件のフィードバック

  1. キハ65 1700番代の「あまるべロマン」、私も撮っています。撮影は2005年11月で、撮影者は数えるほどでした。

  2. 何度か通っていると、こんな珍客も通りました。キヤ191-3+キヤ190-3、撮影は2005年8月です。

    • すんません、日付を間違えました。「あまるべロマン」が2005年8月の撮影で、キヤ191は2005年11月でした。

      • 紫の1863様
        さっそくの写真、ありがとうございます。よく行っておられるのですね。キヤの余部鉄橋は珍しいですね。2005年に「あまるべロマン」が運転されていたと言うことは、私が写したのは2007年ですから、少なくとも3年は運転されていたのですね。

  3. 総本家青信号特派員さま
    凄いですね、一日で山陰~因美~姫新廻りですか。しかも撮影時間を確保して。私も随分強行スケジュールをしたことがありますがもう10年以上も前でした。特派員さまの情熱に脱帽です。エーデル鳥取、ありましたね。キハ65を改造したら特急になりました。
    餘部駅のお立ち台は少し上に移動しましたか。橋梁架け替え前の転げ落ちそうにして辿り着いたのはもう少し下だったように思いますが。DD51重連が牽く出雲やキハ181などが懐かしいです。

    • 1900生さま
      いえいえ、18きっぷの消化に追われて、渋々行ったようなものですが、一日で回れる例として載せました。今では、こんな旅は無理?と思って最新の時刻表で繰ってみました。なんと、京都を始発で出ると、ほぼ同じ時間帯で接続して、山陰、因美、津山、山陽線で一周できることが分かりました。架け替えられたとは言え、余部鉄橋でも一時間半撮れますし、智頭の街並み散歩も可能でした。

  4. 無くなる直前にならないと、人は集まらないのでしょうか? 58系気動車と181系気動車が無くなる前は、餘部まで足を延ばすファンは珍しかったのかもしれません。二条駅から「あさしお」で出かけ、城崎から「丹後」で帰ってきましたが、「乗り鉄」は見かけませんでした。
    餘部鉄橋を海側から望む場所を探して歩いている時、地元の小学生に「こんにちは」とあいさつされたのを覚えています。1時間ほど歩くと平家の落人伝説のある集落に着くそうですが、目的が違いました。
    ちょっとわかりにくいのですが、1996年3月に撮影したキハ65 800番代「エーデル北近畿」6両編成です。

    • 紫の1863様
      さらに古い時代の余部鉄橋を見せていただきました。「エーデル」も6両と長くて絵になりますね。背後の残雪が、いかにも山陰です。私は、“食わず嫌い”撮影地の典型で、初めて行ったのが、上掲記事の前、2007年3月に、DD51の牽くイベント列車が走ると言うので行きました。キハ58も、キハ181も撮っていません。いま発売のP誌の表紙が余部鉄橋のキハ82「あさしお」で、防風柵も無い、赤い橋脚はいいですね。

  5. 1990年8月29日に家族旅行でエーデル鳥取に乗りました。1年上の先輩の旅行社に務めていたFさんにお願いしてエーデル鳥取の一番前の指定席を予約してもらいました。8月29日ですから夏休みをもうすぐ終わり、すいているだろうということで、夏休みの家族旅行はいつも夏休みが終わるちょっと前です。宿泊料金も安くなっています。あの頃は秋の気配を感じる気候でした。写真は餘部鉄橋を渡ってまもなく餘部駅を通過するところです。

    • どですかでん様
      家族旅行の途中の「エーデル」、ありがとうございました。実は、私も「エーデル」に家族旅行で乗ったことがあります。調べてみると、その前年、1989年8月26日のことでした。初めて前面展望のできる車両に乗ったようで、私は一人大興奮で、前面を撮りまくっていました。

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