一昨日になりますが、テレビのニュースを見ていると「留萌線廃止」のタイトルが飛び込んできました。そうか、3月31日限りで、JR北海道の留萌線、石狩沼田~留萌が廃止されたのですね。残る深川~石狩沼田も3年後には廃止と伝えられています。北海道のJR線が次つぎ廃止になり、マスコミもマンネリを感じたのか、今までの廃止に比して、報道も少なかったようにも思います。私も頭の片隅にはあったものの、寝耳に水のニュースとなりました。深川~留萌の鉄道は、明治33年、北海道炭鉱鉄道によって石狩炭田など沿線の石炭輸送を目的に申請され、明治43年に開業しましたので、110年目の部分廃止となります。
留萌線、懐かしい響きです。初めて訪れたのは、昭和43(1968)年8月、DRFC一年生のときで、たしか鉄鈍爺さんと一緒だったと思います。当時は「留萠」であり、堂々と本線を名乗っていました。もう55年が経ちました。最近も数年前にも行ったことがあり、最近の様子も知らないことはないのですが、 高齢者にとっては、やはり、9600やD51、ここだけのD61が長い石炭列車を牽く姿や、沿線にあった私鉄や専用線を訪れたことを思い出さずにはいられません。これからの写真は、過去のデジ青にも載せていますが、いま一度、思い出の留萌線を振り返って、長年の歴史と地域への貢献を称えたいと思います。
▲廃止前、唯一の交換駅として有名になった峠下、55年前は他にも交換駅はあったが、ほぼ中間となる峠下は、絶えず交換があって、運輸上も重要な駅だった。昭和43年当時、旅客が下り14本、上りが16本(区間列車を含む)、さらに貨物は下り9本、上り10本も設定されていたから、客貨あわせて、ほぼ30分ヘッドぐらいで運転されていたから驚くばかりの本数だ。峠下では、絶えず列車交換が行われていたのだった。下り石炭列車を牽く、国鉄最後の蒸機、D61が牽く石炭列車(昭和44年9月)。