北九州へ “思い出探し”の旅  ❷

若松駅対比 大正9年にできた旧駅舎(上)と、駅構内が再開発されて昭和58年にできた現在の駅舎(下)。同じ位置に建つように見えるが、旧駅は線路方向に建っていて、国道199号側に面していた。新駅は終端駅スタイルに改められて、国道495号側に面するようになった。キューロクが保存展示された場所にコンビニが建っていた。

若松駅は、石炭とともに栄え、石炭とともに凋落していきました。鉄道建設期、筑豊興業鉄道では、始発駅は、地域の中心だった芦屋に置く計画でしたが、地元の反対で若松に変更になり、明治24年に若松駅が開業しました。石炭の需要の高まりとともに昭和30年代前半には最盛期を迎え、若松駅は、石炭の積出港として日本一の貨物量を誇るまでになりました。しかしスクラップ・アンド・ビルド政策で、石炭は斜陽化の一途となり、私が訪れた昭和40年代の初頭には、石炭扱い量は激減していましたが、最盛期など知る由もない私にとっては、広いヤード、石炭車の群れに、石炭がまだこの国の重要なエネルギー源だと思ったものでした。

蒸機が無くなってからも、二度ほど若松駅を訪れて、その変化は確認したつもりですが、今回、さらに周辺の様相が変わっていて、小雨のなか速足で回って来ました。

朝の一定時間を除き無人駅と化した若松駅。一日の乗降客は1000人を割り込んで、昼間は閑散としているが、東筑軒の駅そばスタンドだけは賑わっていた。 構内対比 ホームから見ると広大なヤードが広がっていた。いまはすべて撤去されて集合住宅が連なっている。長いホームだけは、そのままだった。 駅に隣接して若松機関区があった。機関区の事務所の二階から眺めると、D50、9600、それにC55がズラリと並んでいて、背後には若戸大橋も見えた。現在では、再開発された集合住宅の一角が、機関区跡に相当する。

以前は駅舎前の広場に保存展示されていたキューロク19633だったが、放置・荒廃の結果、いまでは、目立たないところまで移送されて置かれていた。高塔山の麓にあった若松駅。夕陽に輝くナメクジに、若松の落日を感じたものだった。右は、高塔山をバックに香月行き425レ(昭和42年3月)。

 

 

現在でも、若松は、筑豊本線の始発駅に変わりはないが、現実は、黒崎~折尾~直方~桂川~博多が電化され、愛称「福北ゆたか線」に一体化されている。取り残された、若松~折尾と、桂川~原田は、それぞれ非電化のまま、若松線、原田線の愛称となり、別線扱いのローカル線になっているが、若松線の使用車両は“DENCHA”こと架線式蓄電池電車のBEC819系になっている。

 北九州へ “思い出探し”の旅  ❷」への9件のフィードバック

  1. 19633の荒れた姿は目を覆うばかりですが、長く残して行くには費用や人手など、色々と難しい問題がありますね。
    2000年に若松駅付近を歩いた時、19633の近くに全盛期の若松操車場を伝える写真がありました。今の風景からは想像もできません。

    • 紫の1863さま
      コメント、ありがとうございます。保存の19633は、なにせ駅前の目立つところに置かれていただけに、荒廃が進み、コンビニを誘致する代わりに、保存機は目立たないところに移設‥、こんなこともカンぐりたくなるほど荒れ果てていました。
      若松操車場の俯瞰どこから撮ったのでしょうか。若戸大橋にしては遠すぎます。構内の照明塔からでも撮ったものでしょうか。右手へカーブした一線に架線が張られていて、北九州市営の電機が入線して、貨車の受け渡しをしていました。右手の黒い塊は、機関区ですね。

    • 総本家青信号特派員様
      操車場の俯瞰は今ならドローンという便利なものがありますが、照明塔に上って撮影されたのでしょう。中川通りで電機を撮影された写真に、照明塔が見えております。
      19633の情報をネットで拾ってみました。
      1973年3月に若松区で廃車後、同年10月に白山一丁目公園に静態保存されました。旧駅舎の北側、国道を渡ってすぐの位置です。
      1989年3月に久岐の浜広場の整備に伴い、移設されて現在に至るそうです。
      2019年11月には若松区が譲渡を発表し、翌年2月に地元企業が手を上げて添田工場に移設する計画だったそうですが、いまだ実現しておりません。

  2. 総本家青信号特派員様
    北九州の現況、懐かしく拝見しています。1969.2.27に7枚目の写真と同じ場所で撮影していましたので貼り付けておきます。50年以上前との対比も難しそうですね。

    • 快速つくばね様
      定点対比していただき、ありがとうございます。私の分も1969年3月の撮影ですから、ほぼ同時期ですね。この2階には、区の事務所があり、撮影許可を求めて2階へ行き、そのついでに私も撮っていました。

  3. 総本家青信号特派員様
    昔から車両のみならず駅やホームなどもよく撮られており、毎度のことながらその着眼点や技法に頭が下がります。新旧対比でホームの先の8620と広大なヤードは今は集合住宅に変わり,時代の移り変わりを感じます。ホーム上屋の柱の作りが変化がないことにも興味を覚えますが、見事な新旧対比写真と思います。以前にもお伺いしたと思いますが、旧い写真は持参していく事があるのですか。

    • 準特急さま
      コメント、ありがとうございます。着眼点や技法など、難しいことは考えず、ただ年寄りの特権である「一人でできる新旧対比」を試みた次第です。若松、その次に掲載の折尾も、旅行前からデジ青での掲載を目論んでいましたので、北九州市営などの旧景写真は持参しましたが、この記事の分は何もなく、「たぶん、このあたり」と見当で対比しました。

  4. 総本家青信号特派員様
    今回の九州旅行、行きたかったのですが、今年に入ってからお家の事情で専業主婦状態となっています。なかなか遠くへは出かけることができず、残念ですが参加できませんでした。最近鉄分不足気味です。(涙)
    さて、若松駅前の9600(19633) の写真が出ていたので、懐かしくて小生も同じ場所付近で撮影していたものを添付しておきます。
    1992年9月15日の撮影で、直方から列車で若松へ行った時のものです。
    記事中に書かれているようにSLのテンダーの先の木に隠れるように赤い色も鮮やかな若戸大橋がチラっと見えていました。これを入れるために、ちょっとアングルがおかしくなるのだけれど、少し横に回ったことを覚えています。
    北九州地区も、長い間訪問したことが無いので、また機会があれば訪問してみようと思っています。貴重なお写真、ありがとうございます。

    • 山下敬司さま
      遅くなりましたが、コメントありがとうございます。
      19633は、移設された直後でしょうか、1992年の撮影ですから、まだキレイな状態ですね。いまはボロボロで、30年間、風雨にさらされていたら、現状の姿になるという証明にもなりました。
      いまは別件で忙しいとのこと、また投稿が出来る余裕ができましたら、「マン鉄」の続編も楽しみにしています。

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