北九州ツアーの御礼と思い出写真

吉田耕司先輩は私が入会した時の4回生でした。卒業後も当時存在した江若鉄道の近江今津までご一緒させていただいたことがあります。先輩はもっと遠い所に旅立たれてしまい寂しい限りですがこの場をお借りして生前にお世話になりましたことに対して御礼を申し上げますとともにご冥福をお祈り申し上げます。

さて、北九州ツアーですが、参加者名簿を見ますと私が、最上段にあり、つまり最高齢参加者ということになり、皆さんにご迷惑をおかけすることはできないので前日26日に新幹線で小倉入りしました。おかげさまで天気に恵まれ幹事の方にもよくしていただき会長さんの投稿にありますように大変楽しい旅行ができました。特に最初の門司港にあります九州鉄道記念館ミュージアムには懐かしい国鉄時代の車両が展示されておりましたのでそれら展示車両の現役時代のフィルムを見つけ出して対比してみました。記念館の展示車両は参加できなかった方にも見ていただこうと思い掲載しました。

最初に目についたのはやはりC59のトップナンバーC591でした。1941(昭和16)年汽車会社製造で製造番号2000で名古屋区に配属され以降、姫路、門司港、熊本と転属していきました。準鉄道記念物になっております。▼

1963(昭和38)年3月28日 熊本機関区のC591です。この機関区の場所は現在は熊本駅の新幹線口となり車回しができており全くその痕跡は見当たりません。▼

関門トンネル専用で使われたEF1035です。1941(昭和16)年東芝製で1961(昭和36)年に北九州地区が交流電化されて本州に転属していきました。▼

これは1964(昭和39)年5月4日京都駅で見た稲沢第2区所属当時のEF1035です。▼

 

北九州電化で投入されたED72のトップナンバーで1961(昭和36)年東芝製です。1,2号機は試作機で正面のライトが接近していますが量産機は離れているので直ぐ区別できます。▼

1967(昭和42)年9月8日 大牟田駅での鹿児島発130列車鳥栖行きを牽引するED721[門司]です。大牟田駅は北九州ツアー後に西鉄からJRに乗りかえる時に寄ってみましたが、大きな駅ががらんとして寂しい感じがしました。▼

1937(昭和12)年日本車輛製造の流線形が流行った時期のガソリンカーです。後に軽油の気動車キハ42540となりさらにキハ0741となって最後は宮原線で活躍していました。この車両は昨年国の重要文化財に指定されております。皆さん特に熱心に見学されていました。▼

1967.8.25 豊後森機関区でキハ0741の前での記念撮影です。この時は宮原線麻生釣でDRFC狂化合宿を行いました。写真には懐かしい顔が並んでいますが、デジ青にしぶとく残っているマルーンさん、ぶんしゅう旅日記さんの若き日の姿も見られます。▼

参考にこの合宿の時に利用した207列車急行玄海長崎行きの編成表です。

EF587+マニ60161+マニ60122+スハフ4226+オロネ1066+スロ5429+スロ5424+マシ29109+スハネ16254+スハネ16187+スハネ16256+ナハ1144+ナハ1143+ナハ1139+スハフ42311+スハフ4220です。この後牽引機はEF304、ED721にバトンタッチしていきました。

年寄りはどうしても古い話が多くて仲間外れになることもありますが、今回の旅ではいろいろな方と話ができました。教えられることの方がずっと多かったですが、またデジ青上でお会いしたいと思います。門司機関区も大変よかったです。お世話になった皆さん有難うございました。

北九州ツアーの御礼と思い出写真」への9件のフィードバック

  1. 準特急様
     今回のクローバー会の北九州ツアーは多数のご参加があり、そして宴会の後に九州で同志社チアーが鳴り響いたとのこと、その盛り上がり度はさぞかしのことだったのかと想像しております。お疲れ様でした。
     今回は残念ながら参加できませんでしたが、次回は是非参加したいなぁと思っています。
     準特急さんならではのC591を始めとする展示車両の現役時代との比較が出来る内容には、いつものことながら素晴らしいことだと思います。
     麻生釣でのキハ07の写真、狂化合宿と共に懐かしいですね。鬼籍に入られた方も居られますが、皆さん若いですね!当たり前やけど・・
    一昨年だったか写真に写っておられるワラクロ屋さん達と宮原線廃線跡と豊後森機関区等を訪ねる機会を設けて貰いました。麻生釣は忘れられません。
     先輩もお体を大切になさって下さい!元気が一番!

    • マルーン様
      キハ0741の麻生釣の写真はレイル誌に載っけていただきましたので、今回の07をバックにした記念撮影は豊後森です。それにしてもマルーンさんはあまり変わっていないですね。鬼籍入りの方も音信不通の方も名前は今でも覚えています。懐かしいです。ところで以前、阪急の210形や500形の広電譲渡後の写真をデジ青で発表しましたがこういう譲渡前後の対比写真は芸術性はないのですが面白くて好きです。京阪の3000系以降は関西大手私鉄の譲渡はないですね。東急、西武が多いようですが、東京メトロ、東武、小田急、JR東も細々とあるようです。C59は年配の方にファンが多いようですが、その設計に携わられた高田隆雄さんのご子息が九州鉄道記念館のガイドブックにお名前が出ておられたので電話しました。この方は私と同じ年齢で西宮北口の近くの甲風園に住んでおられたので今でもバリバリの阪急ブレーブスのフアンでして昭和20年代の選手の名前や背番号をよく覚えています。そういうことでも私と気が合います。そのガイドブックもよく見ますと誤記がありました。宮原線を宮春線としています。原と書いてハルと読む地名は九州には多いですね。最後に廃線跡は興味はあるのですが、もうあれもこれも手を出すのは無理です。ぶんしゅう旅日記さんの愛車で兵庫県の篠山線のそれを見に行ったのが最初で最後です。コメント有難うございました。

    • 豊後森の扇形庫が公園になっているのですか。わらくろや!頑張れ!ご回復を心より祈っております。

  2. 準特急様
    貴重な新旧対比、ありがとうございます。C591は、なんとロッドの位置まで全く同じの完璧の対比ですね。中学校の2年生の時、「鉄道ファン」1963年8月号で、同じC591を見て、「こんな素晴らしい写真を撮ってみたい!」と思うようになりました。その方が、1968年4月、DRFCに入会した最初の例会の時に、教室の後列から、司会者にヤジばかりを飛ばしておられたのが、かの準特急さんだったとは、まさに運命の出会いでした。
    キハ0741も同様です。雑誌社から、重文指定の0741の写真を集めるように依頼があった時、私には形式写真しかなく、走行中がないか恐る恐る聞いたところ「ケツやったら、あるでぇ」と返答があり、地獄に仏の思いでした。
    何度も言いますが、一人で今昔対比ができるのは、長く趣味活動を続けた高齢者の特権です。ポッと出の鉄道写真家には絶対にできません。「デジ青」でも、年寄りの昔話、大歓迎です。誰に臆することなく、私もどんどん昔話をしていきますよ。

  3. 総本家青信号特派員様
    総本家さんの高校生の頃の九州入りであちこちで蒸機の煙が上がっている風景を見て空気が変わったと感じたことは全く同感です。C591の「みずほ」がありましたのでしつこいですが添付します。1964(昭和39)年4月2日夕刻の鳥栖から鹿児島寄りで終日カメラを構えていた時のことです。下りの「はやぶさ」はC6114、「天草」もC59105が牽引していましたが「みずほ」の20系はC59129がバック運転して下って行きました。そして夕刻に上りC591が「みずほ」のヘッドマークを付けてスハフ42、ナハネ11、オロネ10、ナハネフ11の客車を牽引して場内信号機付近で停まってしまった所です。事故か車両故障でもあったのかわかりません。

  4. EF1035、私も撮っていました。京都駅ですが時期不明。
    山陰線ホームにDF50やスロハが写っているのでご推察ください。

    • 有難うございます。EF10は両数はそこそこあったようですが、それを記録している人も少なくなってきましたね。右奥のスロハ32ですか、それと茶色のDF50がよろしいですね。

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