「特急三百哩」、映画の中盤で繰り広げられる男女の憎悪劇の部分は省いて、後半のクライマックスシーンへ移りましょう。粗いストーリーとして、主人公の機関士が、暴風雨のなか、東京行きの列車を牽いて駅を出発。ところが、前方で手を振る白い影を見つけて急停車、下車して調べると土砂崩れが発生していて、危機一髪でセーフと言うストーリー、白い影は、機関士の将来の許嫁だったのです。▲「鉄道省ご後援」の肝入りどおり、当時の最新の車両、C53が何度も登場する。最大の特徴の「スリーシリンダー」も、あとで字幕に出て来る。C53はこの昭和3年から、短期間に大量に造られて、C51に代わる東海道・山陽の優等列車牽引用として、全部で97両が製造された。写真のC5344は梅小路区の所属、唯一の流線型改造C5343と、梅小路蒸気機関車館の保存機C5345の間に当たる機となる。
▲後半の鉄道シーンの冒頭、京都駅1番ホームに上り列車が到着するシーンから始まる。多くの乗客、積み上げられた手小荷物、当時の駅の賑わいが伝わってくる。改築前の3代目京都駅と変わらない風景だ。光線から見ると午後で、左の時計は、午後1時40分あたりを指している。昭和5年の時刻表では、京都午後1時39分発の東京行き特別急行「燕」とある。この「燕」は昭和5年10月改正で誕生し、撮影された昭和3年当時のダイヤは不明であるが、「燕」の前身となる列車が設定されていたのだろうか。
▲冒頭のC53驀進の続きのカット、この場所は? お馴染み、高倉陸橋かと思ったが、そうではない。何のことは無い、例の6線6列車の京都駅西の信号塔から、振り返って東を見たところ、向こうが京都駅となる。▲こんなカットも。向こう、本線を行くC51と思われる蒸機が驀進する。手前は引込線のような感じ。雰囲気は、現・西大路駅の東にある、長池川の避溢橋付近に似ている。煉瓦橋台にカーダーは、今も同じ。すると、手前は現・GSユアサの工場への引込線なのだろうか。▲こんなカットも。現・梅小路京都西駅付近の山陰線のカーブだろう。右手は、当時、梅小路貨物駅、流れていた水路も見える。
▲実際は本線を潜る煉瓦アーチからのぞいた構図で、おそらく、背後は梅小路貨物駅、現在の京都鉄博旧二条駅から、市電2000型を見た角度ではないだろうか。▲暴風雨のなか、東京行きの夜行列車を牽いて駅を出発する。機はC5346になっていて、梅のマークもしっかり見える。
▲C53のスポーク動輪がゆっくり回って、東京行きが発車するところ。木造車の木目も見える。
▲字幕、C53の特徴である「スリーシリンダー」の文字も見える。▲線路上に白い影を見つけて急ブレーキ ! 見ると土砂崩れが。東京行きは、白い影のお蔭で、危機一髪、難を逃れた。▲エンディング これも現・梅小路京都西付近のカーブだろう。右に梅小路機関区が見える。
ストーリーは無視して、興味深い鉄道シーンのみを抽出した。
最後に「特急三百哩」の意味合いについて、1マイルは1.6キロだから、300マイルはちょうど京都~東京の距離に等しく、今回の暴風雨のなか京都から東京へ向かう列車の結末と一致して、タイトルに矛盾はないと思われたが、実は、撮影地は京都だが、映画の設定は下関だという説も聞いた。「哩」は“マイル”と読ませるのではなく、一里、二里の“り”と読ませると言う。すると、「三百里」は下関~東京の距離とほぼ等しいことになる。その根拠が、このC5346発車の際の字幕に「22時40分発 東京行き特急」という字幕がある。京都では特急は昼間のみで、夜行の特急はなかった。下関では、東京行きの夜行の特急が出ていたからである。
特急三百哩とほぼ同じカット
①五枚目の引き込み線
おお、まさしく、この場所ですね。確信半分で書いていたのですが、橋梁の体裁、引込線、まさにこの場所です。「西大路駅の東」と書きましたが、「西」の間違いを訂正しておきます。強力な証拠写真、ありがとうございます。
特急三百哩とほぼ同じカット
②六枚目の丹波口駅出発上り列車
特急三百哩とほぼ同じカット
③「終」のカット
上記の反対向き