北九州へ “思い出探し”の旅  ❹

折尾駅前には2000年まで、西鉄北九州線の折尾駅があった。かつては門司(門司港)~折尾、30キロ近い路線を有していた北九州線だったが、順次、廃止され、最後の営業区間、黒崎駅前~折尾も十数年前に廃止となり、北九州から西鉄の軌道線は消えた。西鉄の折尾駅は高架上にあり、その一部は、9連の煉瓦アーチ橋で支えられていた。現在、再開発地区に3連分の煉瓦アーチが残されている。右は、鹿児島本線黒崎方と筑豊本線中間方を結んでいた、通称“短絡線”の廃線跡。

新しい折尾駅を巡ったあと、改札を出て、駅周辺を回りました。駅の営業は、昨年から始まっていますが、駅周辺は大規模な再開発事業の真っ最中でした。区画整理事業の地域では、新しいマンション数棟以外は、すべてが取り壊され、いまは更地となって、碁盤の目状の区画ができていました。古い風景を思い出しながら、周辺を巡りました。

駅前で真っ先に目に飛び込んで来たのが、近代化遺産に指定された堀川運河沿いにある、昭和レトロ感いっぱいの飲食店街だった。ここも、区間整理事業の地域に当たり、まもなく取り壊される。左は、2010年の同一地点、一見して時間が止まったように見えるが、今は看板類が撤去されたことが分かる。

2000年まで走っていた西鉄北九州線の折尾駅、三面二線の終端駅構造で、下へ降りると、すぐ前が国鉄折尾駅だった。右手に、煉瓦アーチの一部が見える。▲▲発車した黒崎行き。日中は8分ヘッド、朝ラッシュは5分ヘッドと、ずいぶん頻発運転だった。

煉瓦アーチは、計9連もある日本最大級の規模で、うち道路が斜めで潜る、このアーチは「ねじりまんぽ」になっている。アーチの向こうに一軒家が見えるが、現在でも「うまかや」として、ポツンと一軒家で残っていた(右上)、右下は、撤去されたアーチの壁柱がモニュメントとして保存されていた。

トップ写真の左、残された北九州線の煉瓦アーチ3連、大正3年の九州電軌(その後の西鉄)開業時の設けられた。周囲は更地になり、いやでも目立つ遺跡となっている。トップ写真の右、“短絡線”の廃線跡、ここに折尾駅の「鷹見口」があった。以前、短絡線を通る列車、たとえば門司港発飯塚行きの列車では駅がなく、折尾は通過扱いとなっていたが、その後、別改札となる鷹見口ができた。いまは新駅に短絡線も取り込まれたため廃線となった。

2000年まであった西鉄北九州線折尾~黒崎駅前は、鹿児島本線とほぼ平行して走っていた。写真は、一つ目の停留場である折尾東口付近。現在、廃線跡を道路化する工事が進捗中。

折尾東口の新旧対比、道路化の工事はこの付近で止まっていて、旧景の雰囲気を残している(撮影の方角が異なるため、現況写真を反転して比較しています)。

折尾東口~陣の原では、鹿児島本線とも完全に平行するようになり、金山川を渡る鉄橋があった。右のようにED76の貨物と並走した。廃線跡の確認には行けなかったが、鹿児島本線の車内から見ると、ガーダー橋はまだ残っていた。

二つ目の「陣の原」、右の“かっちゃん”の現況がどうしても気になっていたが、重い荷物では、ここまで歩く気力は無かった。ストリートビューで検索すると、なんと今でも盛業中であることが分かった。

 

折尾東口~陣の原を車内から見る。▲▲陣の原の駅名標。JRも付近に新駅ができたが、こちらは「陣原」。

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