2012年 春の中国鉄路の旅 Part16  ロシア国境の町、满洲里(満州里) その2

第19日目 5月7日 国境へ

Taxiに乗って、ホテル前の道を西へ約8キロ進みますと国境が見えてきました。

▲ 一直線に伸びる道を走ります。①はバスターミナル、②は、内蒙古大学满洲里学院、③は体育館です。ロシア風の建築が多く、否応にもロシアに近いと感じさせてくれます。



▲ 解放型JF1861号機(元満鉄のミカイ形)が展示されています。これだけが撮りたくてやってきましたが、折角来たので、周りを散歩しました


▲ 中国とロシアとの国境には緩衝地帯があり、これを挟んで双方の国境門が設置されています。ここには、鉄道を跨いでの門がありました。どう見ても中国の方が数倍も大きくて立派です。是非とも行きたいのですが、外国人は入場禁止です。上手く通れる方法はないかと思案していましたら、切符販売窓口に運転手君は自分の身分証を出してしまいました。そうなると私も出さなければなりません。これでアウトです。黙って、お金だけ出して2枚といえばいいものを・・・。
左下は、北国第一門です。

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2012年 春の中国鉄路の旅 Part15  ロシア国境の町、满洲里(満州里) その1

第18日目 5月6日 K7091次に乗って满洲里へ

ハルピン東20:15(K7091次)→10:00满洲里   954キロ 13時間45分

小竹先生はじめNSさん、MIさん、STさんは早朝にハルピン空港に向かわれました。朝食をご一緒に出来たのは、明日の瀋陽から帰国されるO氏と、大連でゆっくりしてから帰国されるTHさんの二人でした。

今日からいつもの一人旅がまた始まります。最初に向かうは、ロシア国境の町「满洲里」です。前回の44日間の旅では、あじあ号の展望車を求めて「黒河」に参りました。同じ国境の町ですが、黒河では鉄路が切れていましたが、满洲里では中国側1,435mmに対して、ロシア側は1,524mmとゲージ幅が違っていますが、国際列車では台車交換をすることで車両は相互乗入をしていますので、一応つながってはいます。

乗車は、夜で十分な時間があります。樺南ではホテルの部屋にインターネット接続がありませんでしたので、投稿及びハルピンに戻って以降の行程が決められませんでした。(出来ていても、連日飲み続けていましたので、部屋入り即爆睡でしたので無理でした。)
朝から部屋で、鉄路の残席情報を見ながら、今からでも購入できる切符を探します。出来れば、满洲里と反対東側の国境へ行ってみたいです。绥芬河図们をノミネートしましたが、両方を行くとなると接続が難しく、日程オーバーとなりましたので諦め、北朝鮮国境の図们にしました。O氏とTHさんを見送った後一人部屋で、滞っているHP投稿のための画像処理に専念していますと、コンコンとドアをノックする音が聞こえます。開けますと、王さんが空港までの見送りを終えて戻ってこられていました。
ハルピン駅外の票処(切符売場) を確認させていただきました。帰路にはお住いのある長春に立ち寄りますと申しますと、発電所に蒸気機関車が走っているので案内できます。是非名物の犬鍋もご馳走したいと嬉しいお話もいただきました。チェックアウト時間も午後2時までに延長してくださいました。

今日は小雨がぱらつくあいにくの天気です。ルピン駅発着を撮りたかったのですが、諦めて投稿準備に専念しましたが、ノートPCでは処理作業が遅く午後2時近くになっても進みません。
仕方ありません、際丰假日酒店をチェックアウトして教えてもらった票処のある駅前の天竹賓館に行きました。切符を買って昼食後には、4時間の休憩チュックインをして続けました。中国のホテルでは、昼間の部屋利用が一泊の半額程度で可能ですので便利です。

▲ 切符は、ハルピンから吉林、乗り継いで図们へ、帰路は長春までの3枚購入です。どうして乗り継ぐのかといいますと、パルピンから図们へ直通の2636次の切符が売切れだったからです。1本しかないので、繁忙期でなくとも難しいようです。
切符を買った天竹賓館の1階には餃子専門店が入っています。ハルピンの餃子は、上海の小籠包のようにジュウシーなスープが入っていますので、大好きです。
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2012年 春の中国鉄路の旅 Part14  小竹直人企画「最後の樺南林業鉄道、撮影ツアー」その3

今日は、まだ樺南林鉄撮影の3日目ですが、最終日です。昼前には、ハルピンに向けての帰路となります。小竹先生から、そしてO氏からも、まだこれからの旅の予定を決めておられないようであれば、我々の代表として残って、樺南林鉄の最後を見届けることも、選択肢の1つに加えて欲しいとのお話がありました。今回は、前回の44日間とは違って東北地区に絞って、国境沿いを回る乗り鉄旅をゆっくり楽しもうと思っていました。既に6日の满洲里行き、11日帰路のハルピン着までの切符は購入済ですので、11日以降に樺南林鉄への再訪問は、可能です。

多くの訪れる鉄ちゃん達を魅了した樺南林業鉄路です。ウヤが日常的でまた長期間に及び、中々運行に巡り合えなかった林鉄でしたが、今回は撤去完了日までの運行は確実です。どうしようかなと思案が続いていました。そろそろ結論を出さねばなりません。迷った挙句は、撤去最終日に何らかのイベントが実施されるようであれば再訪問、なければ皆さんと一緒に撤去途中ではありますが、見送った思い出を大切にしようと思いました。
王さんに林業局の偉いさんか、現地で運行に携わられた方々参加のイベントがあるかどうかの問い合わせをお願いしました。この返答次第で、今後を決めることにしました。

 

第17日目 5月5日 樺南林業鉄道撮影 3日目

今日も朝6時にロビー集合です。今日は昼までということで、 陀腰子までの区間で撮影で、バイクに乗っての山入りはありません。真っ直ぐに、樺南駅機務段に向かいました。
6:15、今日の1番列車の牽引は、3日間連続の168号機です。
ここで、柏崎からお越しのTHさん、町を歩いて郵便局や国鉄樺南駅に行ってみたいと、皆さんと別れて行かれました。THさんは、中国語を全く話せません。ちょっと心配な小竹先生は、携帯電話を渡されていました。でも鉄ちゃんは、このくらいの好奇心がなければいけませんね。私も中国語は少ししか話せませんが、いつもこんな調子でぶらりと大地の町々を歩いています。
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2012年 春の中国鉄路の旅 Part13  小竹直人企画「最後の樺南林業鉄道、撮影ツアー」その2

16日、最後の訪問地長春から、夜行寝台列車Z62次で北京へ、翌17日朝、北京からは昨年開通した京滬高速鉄道の商務車(グランクラス)に優雅に初乗車して、上海まで南下しました。上海から直ぐにJAL便に搭乗し、一昨日深夜の0時前に無事帰還いたしました。珍しく寝ずに待っていた家内の第一声は、「お帰りなさい。あらまあ、随分と引き締まった身体になったねえ! ぶよぶよ老人だったのに、お尻も上がって、足の筋肉はバリバリに硬くなってるよ! 凄いね。でもお腹は、元のままだねぇ。」 でした。毎日欠かさず、水代わりに何本も飲んでいたビールのせいですね。前回の44日間に続いて、今回も29日間に及ぶ長い旅でした。当分は、撮影写真の整理と投稿を続けながら、身体を休めます。

 

第16日目 5月4日 樺南林業鉄道撮影 2日目

今日は、ロビーに6時集合して、直ぐに樺南林鉄の起点の樺南駅へと向かいます。

▲ 今日の6:30の始発作業列車は、昨日同様に168号機が務めますが、機務段(機関区)から044号機も出てきて、デルタ線での方向転換に向かいました。両方とも動くようです。

▲ 6:38、市内の道路併用軌道には、作業員の乗る停車場がありました。ここで作業員数人を拾って、離合が出来る大金缸駅で途中停車してから、12.5キロ先の下樺駅へと向かって行きます。私達も後を追って、追い抜き、適当な場所での撮影ですが、今日は朝から厚い雲が覆っていて、芳ししカットは撮れません。

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2012年春の中国鉄路の旅 Part12  小竹直人企画「最後の樺南林業鉄道、撮影ツアー」その1

第15日目 5月3日 樺南林業鉄道撮影 1日目

ようやく今回の旅も半ばとなりました。昨夕合流した今回のツアー参加者は、7名です。リーダーの小竹直人先生の他に、通訳兼案内人の中国人の王国軍さん、紅1点のアシスタントの王森玲さんを入れると10名になります。
参加者の方々は、 新潟の柏崎市からお越しのTYさんを除いては、中国鉄ちゃん歴が長い方ばかりで、大先輩です。TYさんも訪中は何回かされておられますが、中々鉄道撮影の機会がなかったと話されていました。

教えてもらう事が多い旅となりますが、昨日早速に愛用NIKON300Sの具合が良くない。明るい所でもピントが合わず、シャッターが切れないので困っていると相談しましたら、同じNIKONを使っておられる小竹先生はじめ、STさん、NHさん等から、「今どんなセッティングをされていますか? ふむ、ふむ・・、それなら、このようにした方が良いです。・・・どうですか?」 と、懇切丁寧に教えていただきました。教えてもらったセッティングに変えますと、あら不思議!、今迄が嘘のように快調にシャッターが切れるようになりました。ツアーに参加しますと、今迄知らなかった事( と、いうより不勉強 ) を、教えていただく機会にもなります。参加の大きなメリットの1番目でした。

フイルムカメラ時代は、使用するフイルムの選択、シャッタースピード、絞りのマッティングと、レンズやフィルターの差し替え等が、テクニックでしたが、デジタルカメラとなってからは、誰でもオートで、それなりの写真が撮れるようになりました。もっと描写を必要と望む人には、数々のセッティングを選択することが出来ます。しかしそれには、カメラの持つ様々の機能を熟知する必要があります。残念ながら、ボケが入ってきた老人には、教えてもらって、また勉強しても直ぐに忘れていきます。困った事ですが、乗り越えないと、狙ったカットは撮れないのでしょうね。、

昨夜の睡眠時間は、わずか約4時間弱でしたが、みなさん元気に朝7時半には1階ロビーに集合して、チャーターバスに乗車しました。

▲ 7:38、樺南林鉄の始発駅に到着しました。作業列車は、6時半頃に出ていましたが、機務段(機関区)には、C2-044号機が息づいているのが見えました。

▲ 先に出た列車を追いかける事になりました。8:25、樺南ファンには有名な、陀腰子の肉屋自宅に到着、ここで持てない不要な物は預けて、バイクに跨ります。私は、台湾と芭石鉄道での経験はありますが、怖くて不安です。8時30分過ぎには出発しました。


▲ ここからは、線路沿いの狭い犬走りを山に向かって一直線に走ります。橋があると、降りて渡れば、また乗ります。犬走りも左から右へ、また左へと走路を替えますので、その度に降りて、乗るの繰り返しです。

▲ 山に入ると急坂ですので、降りて上がり、また乗ってカーブが続く犬走りを快走します。走行スピードは、30~50km/hと、スリル感は満点です。怖い私は、必至でしがみ付いての乗車でした。
樺南はご覧のとおり、新緑にはほど遠く、雪解けが終わったばかりです。所々に残雪がありました。泥濘道も多くなってきました。時々、後輪がながれるので、ヒヤヒヤです。降ろしてもらって歩きます。
9:25、ようやく待ってもらっていた作業列車が見えました。峠の立新駅に到着です。


▲ 今は勿論使われていない 立新駅舎です。1974年の表示がありました。右は、休憩所です。かつて撮影華やかだった頃には、雑貨屋があって、奥の部屋は、泊まれる民宿になっていたそうです。最初は、2食付で50元(約650円)だった宿も、鉄ちゃんが押し寄せるようになってからは、100元、150元と値上げしていき、最後の頃には300元(約3,900円)にもなったと、小竹先生は言われていました。ここに何泊もされているO氏は、ひどい時はギシギシで詰め込まれて、身体を横にしないと寝れなかった。みんなは、ここを立新貧館と呼ぶと、分りやすい説明を入れてくださいました。


▲ 作業列車は、C2 +カブース+レールバス+貨車3両で編成されていました。このレールバスは、個人経営で線路を借りて、客を乗せて運行していたそうです。片運転台で、シートは木張りのクロスシートです。


▲ 9:30、給水を終えたC2-168号機は、ゆっくりと撤去作業現場へと推進運転で下りて行きました。

▲ 作業列車を見送った後は、
樺南方向から、もう1台の044号機も上がって来ます。王さん、下山してカマに乗り込み、煙演出をお願いします。11:57、王さんを乗せた044号機が上ってきました。煙のサービスです。この後2回も、フォットランをしました。


▲ 手前に引きつけてのカットを望みましたが、止まってしまい、先ほどまで我々の傍から離れなかったおじさんを乗せて立新駅に上がっていきました。どうしたのと聞きましたら、樺南名物の「おねだり」です。自分には何も行き渡らなかったので、こちらに来たわけです。タバコを渡して、一件落着ですが、ここまでくると、もう駄目ですね。おねだり癖が染みついています。


▲ 12:55、再び立新駅まで上がりますと、機回しを終えた044号機は、給水です。しかし、良く給水設備を残してありましたね。石炭は、貨車に積んでも運べますが、水は大量に必要ですから、なければ走れません。


▲ 14:07、044号機は、道床から剥ぎ取った枕木を積んだ貨車を牽引して、山から降ろします。O氏お奨めの場所に行って、全員で撮りました。

15:40、今度は、立新から先の撤去現場最前線に行く事になりました。初めて私が先頭になって、下ります。10台もバイクが犬走りを走るのは、壮観です。
しかし、途中でレール切り作業を終えたおじさん、おばさん4人が、ボンベを犬走りに置いて待っていますので、通れません。
もうじき引き揚げ列車が来るので、もっと手前で撮りなさいと言われました。
私には、どこが良いのか分りませんが、この地での撮影経験者ばかりです。誰かが、「じゃあ、あそこにしましょう。」と言えば、すぐに「そうだな、あそこがいいなあ。」 と、直ぐに相槌が返ってきます。最後尾のバイクが、反対方向に向きを変えて、もと来た道を上がっていきました。

▲ 16:10、作業を終えた工事人達と、剥がしたレール、枕木を積んで列車がやってきました。春が来たとはいえ、まだ冬枯れの山に白樺の白さが引き立ちます。これが、樺南だったのですね。ただ、これで白煙でも良いので、出てくれば最高ですが・・・。


▲ これで引き揚げかと思いましたが、まだまだ追っかけがありました。立新駅での給水作業中に追い抜きました。撮影場所は、みなさん好みでバラバラになりましたが、私は小高い山に登って、立新駅をバックに入れたカットにしました。斜光には、逆光でしたが、山里の駅を出て走る雰囲気は出ました。煙があると、もっと良いのですが・・・。

▲ 陀腰子のこの村には、悲しい物語があります。開拓団のみなさんが、遠く故郷を思い浮かべながら、家の門は鳥居形にしました。今も残り、鉄製の新しい門までできていました。O氏からもお話を聞きましたが、投稿しています中国では、こういったプログや歴史については、アクセスが出来ないようになっていますので、また改めて調べて掲載します。

▲ 今日は、素晴らしい夕焼けが見られると期待して、追っかけを続けていただきましたが、追い抜けたのは、樺南市内に入ってからで、断念しました。


▲ 19:15、一旦ホテルの部屋に荷物を置いてから、夕食です。今夜は、羊肉しゃぶしゃぶ食べ放題、飲み放題です。王さんにタレのブレンドを各自頼んで、肉を鍋に入れますと、瞬く間になくなってしまいます。男9人ですから、食べるのは早い早い、ゆっくりビールも飲ませてもらえませんでしたが、追加、追加でたっぷり食べ、白酒もたっぷりといただきました。鍋の閉めは、鄭州で見たフィ麺ではありませんか。
明日は、早いので早くに部屋に戻って、即睡眠でした。   Part13  へ続く

 

2012年春の中国鉄路の旅 Part11 阜新からハルピンへ 小竹直人ツアーに合流

第14日目 5月2日  阜新からハルピンへ、そして樺南へ

① 阜新7:10(K7357次)→9:54瀋陽北 173キロ 2時間44分
② 瀋陽北11:31(T311次)→16:12   546キロ 4時間41分
③ ハルピン(チャーターBus)→2:52樺南賓館

今日は、鉄道写真家「小竹直人」先生のプロモートされたツアーに合流して、初めてで最後になる樺南林業鉄道ナローゲージへと参ります。この鉄路は、既に営業自体は終わっていて、線路の撤去作業のため蒸気機関車が復活運転をしています。大変珍しく、また貴重な撮影になろうかと思われますので、期待感一杯です。
▲ 4泊しました、阜新の中林国際酒店です。良い部屋でした。
6:20にホテルを出て、Taxiに乗って阜新駅へと向かいました。阜新駅では、11日の切符を買わなければなりませんが、售票処に並ぶと8時からの売り出しですと言われてしまいました。瀋陽北駅でも時間がありますので、大丈夫です。


▲ 阜新から瀋陽北までの列車は、阜新~北京北で使用された列車の間合い使用です。サボはそのまま、軟座車は、軟座寝台をそのまま使っていました。瀋陽北から乗車したT311次は、ハルピンまでに停車するのは、長春のみ。客車列車でありながら、140km/hで快走し、平均速度は119km/hの速さを誇ります。昼間でありながら、軟座寝台扱いで、RW19Kが使用されていました。通電もしていました。 続きを読む

2012年 春の中国鉄路の旅 Part10 興阜炭鉱のナローゲージと、阜新煤礦鉄路その3

第13日目 5月1日 興阜炭鉱のナローゲーと阜新煤礦鉄路 その3

今日は、阜新炭鉱撮影の3日目で最終日ですが、2人とも満足いく収穫がなく、ちょっと焦り気味です。天候は、昨日とは違っての快晴です。気合十分なO氏は、今日も朝5:30にはホテルを出て行かれました。一方の私は、まだ長い旅の中盤にも差し掛かっていません。ここで、エネルギー爆発では、身体が持ちませんので、ゆっくりとホテルで朝食を取ってから、谷さんを待ちました。

以前に訪問された中国鉄路に残る蒸気機関車探索にかけては達人の倉重さんは、阜新訪問時に興阜炭鉱のナローゲージにも、お立ち寄りでした。その訪問記によると、高徳駅の裏山奥に興阜炭鉱があるようです。
▲ 8時過ぎに、谷さんの愛車に乗って、ホテルを出発しました。五龙炭鉱のような大きな炭鉱とは違って、個人経営の小さな炭鉱が点在する中の山道を走りながら探します。迷走もありましたが、途中で谷さんが、ズリ捨て山に上がる1本の長いインクラインを見つけました。


▲ ご覧のように、数100m以上もあり、先が見えません。止まって
、反対方向のインクラインの起点を塀越しに見ますと、五龙炭鉱で見たと 同じ凸型の小型電気機関車が走っているのが見えました。ここです。間違いありませんが、炭鉱内にどうやって入れるかが問題です。 続きを読む

2012年 春の中国鉄路の旅 Part9 阜新煤礦鉄路 その2

第12日目 4月30日  阜新煤礦鉄路 その2

朝5時半、待ち合わせの時間通り、谷満春さんは愛車に乗って、迎えに来てくださいました。既に連絡をいただいていましたが、朝の上遊型蒸気機関車牽引の通勤列車だけでなく、昼間のDL牽引の列車も2週間前になくなり、今日現在も復活していないとのことです。もしかしてと少し期待感があっただけに残念ですが、仕方ありません。各地の炭鉱で走っていた通勤列車は、突然にこのようにして、なくなっていったのでしょうね。

▲  今日は足があるので楽です。早々に五龙炭鉱ズリ捨て線へと向かいました。迂回道路は、昨日私たちが乗った白タクのルートでよく分っています。途中で谷さんは、車を止めて、内側線の様子を見ています。何とズリ満載の貨車5両が置き去りにされています。これでは、次の列車は内側線には、入線不可です。 昨日同様の外側線に行くしかありません。

▲ 6:06、今日撮影の1番列車は、早々にフライアッシュ号です。昨夜のスッポンが良かったのでしょうか。朝から縁が良いですが、おいおい、またドスンで終わりです。また、がっくりです。 これには、谷さんも「え~、こんな事は初めてです。どうして?」 と、信じられない表情です。今日は、全車のお皿を傾けてのFA排出でした。 そして、今日は天候がよくありません。暑い雲に覆われて、風も強く、時折小雨が舞ってきます。

当分、フライアッシュ号は来ませんので、興阜炭鉱に走るナローゲージ撮影にしましたが、谷さん何を勘違いしたのか、3月に行って入れなかった五龙炭鉱内へと案内します。希望した場所は、ここではないと言いますが、すでに炭鉱内の職員とコネをつくってしまっています。困りましたが、仕方なく付いていくことにしました。原因は、谷さん地元鉄ちゃんなのに、興阜炭鉱に走るナローゲージを知らなかった事のようです。


▲ 炭鉱内は、外の周囲の光景とは一転して、とても綺麗です。O氏も 「随分と違うなあ、周りはどんなに汚く汚れていても、自分たちの働き場所だけは、綺麗にするのは、いかにも中国的だなあ。」 と、感心しておられました。私も、駐在時代に中国人の家庭に招待されましたが、ボロボロに近いマンション?でも、一旦部屋に入ると、随分と金をかけて、綺麗に豪華にしているのを見て、びっくりしましたので、このアンバランスは、よく分ります。
ヤードには、ナローゲージには珍しいクレーン車がいました。屋根に乗って、パンタの補修をやってますが、まさか通電していないでしょうね。小型凸型電気も初めて見ました。



▲  坑道用のバッテリーカーと
トロッコ達です。木材は坑道に使用されます。一応踏切もあります。注意マークは、汽車と違って凸型電気です。
炭鉱内では、カメラは厳禁です。 リーダーに見つかると処分されるので、決してみんなのいる所では見せないように注意を受けての撮影でした。

▲ 次のフライアッシュ号はいつ来るかです。谷さんは、FAを搬出する発電所に行ってみようと向かいますが、高徳駅から分岐した線路沿いに道路はなく、発電所正門からの出入りは部外者禁止です。
9:56、平安ヤード方面から推進運転で、ズリ捨て列車がやってきましたが、ここで機回しをして正向きに付け替えて、新邸方面へと向かって行きました。どこに行くのでしょうか?


▲ 谷さんの愛車はマツダファミリアですが、大きい割に1600㏄で非力です。それでも頑張って、ぬかるみあり、泥水の溜った穴ぼこだらけ、急坂ありの凸凹道を一生懸命のハンドルさばきで切り抜けましたが、夕刻には朝の美形が台無しになるほど、泥だらけになっていました。
12:50に朝からの場所に戻りますと、内側線に置かれていた列車は、ありませんでした。代わりに保線区員が大勢来て保守工事をやっていました。
12:57には、ズリ捨て列車が上がってきましたが、1両には何やら異質な物が満載されています。お皿が傾くと落ちてきたのは、ゴミばかりです。斜面が汚くなってしまいました。これでは、撮影に差支えます。ゴミ捨て列車は御免です。

列車が下って、しばらくの間は、外側線にも保線区員がやって来て、線路保守をちょっとやって帰っていきました。O氏は、「ここに来るのが仕事であって、保守はやってやらなくても関係ないんだろう。」 と、言われます。確かにその通りと相槌を打ちました。
外側線の撮影に丁度良い所からは、埋設されてしまった石炭が燃えて、いくつもの煙が出ています。そばによると、下からの熱気が伝わってもきます。やかんを置けば、湯が沸きます。
▲ 16:22、やっとフライアッシュ2号のご到来です。今度はこんもり山がありません。期待できます。
しかし、周囲の状況は刻々と悪化して、強風と巻き上げられたFA等々で、
視界は、さらに悪化してきました。

まず1両目が始まりましたが、少し巻き上がっただけでした。
4両目だけが舞い上がりましたが、3月に見たのは、こんなちゃちなもんではありません。まだ、FAが湿っているようです。
この頃から、カメラの調子が悪くなって、ピントが合わずシャッターボタンが押しても切れません。シャッターが切れても、ピンボケ状態ですので、オートフォーカスを手動に切り替えての撮影にしました。

こんな天候では、夕焼けもありません。今日は、フライアッシュ号も来ませんので、今日は、撮影終了です。 谷さんが薦める羊肉しゃぶしゃぶ屋へと向かいました。

▲ 阜新には、美食を求めてきたわけではありませんが、美味しい羊肉しゃぶしゃぶは、日本ではめったに食べられませんので、2人とも大満足です。

明日の予定ですが、谷さん今日の汚名挽回に 、自分も行った事がない、興阜炭鉱に走るナローゲージを一緒に探しに行くと言ってくれました。O氏は走行する蒸気機関車撮影に一辺倒ですので、明日午前中は、別行動としました。     Part10  へ続く

 

2012年 春の中国鉄路の旅 Part8 阜新煤礦鉄路 その1

書き洩らしましたが、昨夜から泊まっているホテルでも問題を抱えていました。O氏と一緒ですので、訪中前にホテル予約を済ましておかねばと、一般的な海外ホテル予約サイトにアクセスしましたが、中小都市ですので、扱いがありません。それではと、現地で日本語対応が出来て、中小都市でも検索できる楽旅中国に紹介依頼メールを出しました。宿泊時に問題が出た場合、直ぐの苦情対応ができますので、最近よく利用しています。
すると、1軒だけ、キングベットで紹介してきました。いや、紹介ではなく部屋が取れましたとの確定です。いかにも、中国のサイトです。おいおい、いろいろと星等級別の各ホテル・部屋の料金を聞きたいのだ。まだ確定ではない。それに、宿泊は1人ではない、男2人だからツインでないと困ると、返信しました。しかし、労働節連休で他のホテルとも満室で、この部屋しか空いていませんとの連絡です。交渉の結果、4泊のうち2泊はツインになりましたが、後はホテルに着いてからの対応を余儀なくされました。O氏も貞操の危機だと心配しておられます。

チェックイン時に、その旨をフロントいる若いお姉さんにに伝えると、「分りました。大丈夫です。4泊とも同じツインの部屋でお泊りできます。」との日本語の返事が返ってきました。ほっとしたと同時に 「え~」 と、2人ともびっくりです。北京や上海等の日系ホテルとは違って、ここは普通の日本人なら名前も知らない東北の田舎町です。国際ホテルとは名乗っていても、日本語対応が出来るフロントマンがいるとは、考えられません。
聞けば、1年間日本にいましたと言われます。 どこにおられたのですかと問いますと、何とシシャモで有名な北海道の鵡川で、ジャガイモの芋掘りをしていたと返答で、納得です。所謂、海外からの農業実習研修生として、働きに来ていた中国人だと分りました。

チェックイン後にも部屋まで案内してくださり、食事をしている間も気を使ってくれていました。ありがとうございました。

第11日目 4月29日  阜新煤礦鉄路 その1

今日から、阜新炭鉱撮影開始です。3日間を予定しています。内、30日だけは、朝の蒸気機関車が牽引する通勤列車を追っかけ撮影と、前回連れて行かれなかった興阜炭鉱に走るナローゲージも撮りたかったので、前回の案内人、阜新地元鉄ちゃんの谷満春さんに一日案内をお願いしました。
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2012年 春の中国鉄路の旅 Part7の2 平庄から阜新へ 改签大騒動

只今、この旅も終盤に近づき、今日は北朝鮮国境の町「图们(図們)」からの投稿です。もっとアトランダムに投稿したいのですが、途中でネットはあっても遅すぎたり、途中で切れたり、ど田舎に行くと、ネットがないホテルがあって一向に進みません。お許しください。
今日は、今回の旅の中でも1番の快晴です。図們江を挟んで北朝鮮が真近に見えます。対岸の鉄路に何か通らないかと思って来ましたが・・・。詳細は、紀行記で掲載させていただきます。

第10日目 4月28日  平庄から阜新へ
平庄10:35(4210次)→17:35阜新  337キロ 7時間

今日は、平庄から次の撮影地、阜新炭鉱へと向かいますが、乗車前に問題をかかえていました。問題は、昨日買った切符です。2枚の注文に1枚しか発券されなかったので、直ぐにもう1枚を買い求めましたが、ホテルで落ち着いて確認してみると、乗車号車が異なっています。同じ車両なら、人民がよくやっているように、別の人の座席と替わってもらえば済む事ですが、号車が違うとまず無理でしょう。残席情報では、座席は殆ど埋まっていません。少し早めに駅について、発車前にまた改签をしてもらえばいいだろうと安易に考えていました。

発車1時間20分前の9:15には平庄駅に到着しました。平庄駅は1日上下各5本の列車しか発着しません。朝発車する列車は、5:37・8:08・8:41・9:03で私たちの乗車する列車は、10:35と間合いがあって、售票処は空いています。昨日のように他の客に迷惑をかけることはないだろう、余裕で切符交換が出来るだろうと、售票処に参りました。
上手くしゃべれないので、改签と書き、同じ号車に換えて欲しいと頼みました。ところが駅員は、理解できず何やら説明をしますが、さっぱり分りません。何度同じ事を言ってもダメです。横から人民が助け船を出してくれますが、これも分りません。

こんな時は、鄭州鉄道日記さんに頼めば解決できると思い電話をしましたが、応答がありません。困りました。最後の手段は、中国鉄道倶楽部の隊長さんです。電話をしましたら、直ぐに出ていただけましたので、時間があるかどうかを聞いてから、困難な状況を説明し、助けを求めました。電話を窓口の駅員に渡して、切符交換の希望を伝えてもらいますと、「8号車なら空席あるが、それで良いかと聞いていますよ。」との事です。それなら、問題ありません。隊長さんにお礼を言って、窓口駅員にOKですと言いますと、換えてくれました。
しかし、切符を見ると、5月7日の切符ではありませんか。どこでどう違ったのでしょうか?、話しがややこしくなりました。直ぐにこれは違うと言いますが、ぼちぼち次の列車の切符を買う客が並びだしました。こちらは打つ手がなくなり、パニック状態です。

▲ 騒いでいると、別の駅員が窓口外に出て、私たちの所まで来てくれました。再度一から、落ち着いての説明をやり直しますと、分りましたと言って售票処員に指示して、私たちの希望通りの切符を発券してくださいました。この間、わずか3分。トラぶっていた時間は約50分近く、いったい何がどうしてこんなにややこしく、時間がかかってしまったのでしょうか?
この駅員の方は、待合室まで案内くださり、改札になると私たちの乗車する号車のホーム位置までも案内いただきました。ありがとうございました。



後で、講義中で電話に出られなかったが、どうかしたんですかと電話をかけてこられた、鄭州鉄道日記さん、事の一切を話してみますと、トラブルになった理由が少し見えてきました。

1番目の問題は、硬座車の発券された切符の改签(切符交換)の規定を、私が知らなかったということです。日本では、座席の変更に空席があれば応じてくれますが、中国鉄路では、一旦発券された座席指定切符の変更には、応じてくれないのです。
そのため、車内で客どおしが席を替わってもらいたいと頼んでいるのです。中国鉄路に乗車された方なら依頼をされたり、他の乗客のやり取りを見られた方もおられるだろうと思いますが・・・。
ただ、前回軟座寝台の座席変更には応じてくれました。これは、上段から下段への変更でしたので、料金も違っているので問題なかったそうです。同じコンパートメントに出来たのも、たまたま、もう1枚の切符と同室寝台席が空いていたからのようです。

もし空いていない場合は、一旦持っている切符を5%の手数料を支払って払い戻し、また新たに切符を買いなおす必要性があります。ただし、これには微妙なタイムラグを生じますので、その間に全国どこかの切符売場で別人が買ってしまい、「残席0」となった場合は、切符が買えなくなる可能性もありますので、要注意です。だったら、先に新たな切符を買ってから、前の切符を払い戻せば良いと、言われる方もあろうかと思いますが、実名制切符制度の導入後は、同一人物では、同じ区間の同じ列車の切符は、発券出来ないシステムになっていますので、この方法での購入は、不可能です。

※ しかし、この完璧だと思われる実名制切符制度ですが、逃げ口もあります。駅員とダフ屋が結託すると、第3者の身分証を使って、切符を買い占めてしまうのです。発車15~30前に改札を開始する中国鉄路駅です。我先にと殺到する乗客を前に駅改札や、混んだ車内では、飛行機のチェックインカウンターように、一人一人の切符と身分証を確認している時間も、それに対応できる職員数も不足しています。また、姓名、身分証番号(外国人はパスポート番号)を印刷していない、切符を発行している例もありました。別人が乗っても一見分りません。後で駅員が切符を、乗車する本人名に変えることもできるかも・・・。
他にも、逃げ口がありますが、長くなるので別の機会にさせていただきます。 まあ、一言で言えば、「中国でできないことは、何もない!」 です。

2番目も私の説明不足です。ちゃんと希望の内容を紙に詳しく書いて見せなければならなかったということです。話言葉が分らない以上、まず文章で書いて相手に示して、こちらの希望内容を伝えるべきでした。

しかし、今回何だ彼んだ申しても、希望通りの切符変更が出来ました。これについては、「ぶんしゅうさんたちが日本人で、言葉が分らずで困っているのを見て、また老人でもあったので、見るに見かねた親切な駅員が、規定を超えての指示を出してくれたのでしょう。また田舎の駅だったので融通ができたのかも。」との鄭州鉄道日記さんの解説です。
「外国人、老人、田舎の駅、親切な駅員」が、解決へのキーワードだったようです。今回のトラブルは、規定を知らなかった事に起因しますが、もう少し中国語を勉強して、また手抜きせずに、詳細をきちんと書いて窓口に提出する、必要がありました。隊長さん、お忙しい時にややこしい事に巻き込みまして、申し訳ありませんでした。これからご迷惑がかからぬように、気を付けますので、お許し下さい。


▲ しかし、一件落着で列車に乗ると、ガラガラです。おまけに増結された硬座寝台(普通席扱いで使用)が2両もある長編成です。空いている席に座ってボックス席占領です。途中の駅から乗車した客は、自分の席が私たちに占領されているので、私の席ですと言って、譲ると直ぐに、空いている席に替わっていきました。これなら、あんな大騒ぎをせずにそのままの切符で乗っても、全く問題なかったようです。

▲  乗車すると労働節3連休で小旅行に行くという大学生が乗っていました。一人がO氏に話しかけ、日本人と分ると、みんなが寄ってきて大変な状態です。私は、黒河に行く時に同じ洗礼に合って、長時間質問攻めに会いましたので、O氏にお任せしていましたが、最後は結局フラれてしまいました。

列車は、途中で単線の交換列車遅延で遅れたようでしたが、ほぼ定刻に阜新駅に到着しました。
下車後は、真っ直ぐに予約してあった中林国際飯店にTaxiで向かいました。いつもでしたら美味しいものを探しに町に行くのですが、ホテル付近は開発区で近くに飲食街はありません。おとなしくホテル内で食事をとり、明日への準備のため早めの就寝です。今日は、精神的に疲れた1日でした。部屋は、ベットも大きく、バスタブもあり、広さは70平米以上と、休むには最高でした。  Part8  へ続く

2012年 春の中国鉄路の旅 Part7の1 平庄煤礦鉄路 その2

第9日目 4月27日  平庄2日目

今日は、 撮影開始前に平庄駅に立ち寄って、切符を買わなければなりません。
① 4月27日 平庄→平庄南     K7384 次  1枚  O氏乗車
② 4月28日 平庄→阜新       4210次    2枚   O氏と私が乗車
③ 5月  6
日 ハルピン→瀋陽北     D102次    1枚  O氏乗車
④ 5月  6日 ハルピン東→満州里 K7059次orK7091次 1枚 私が乗車

は、昨年5月に来た時に眺望がすばらしいと、平庄南駅の裏山に2人で登ったのですが、いくら待っても列車は来ませんでした。O氏は最近、中国鉄ちゃんの集まりで、ここで撮った人の写真を見せてもらったら、かなり良かったとリベンジに燃えておられました。TaxiやBusで行くより、丁度良い時間に列車がありましたので、これに乗車です。
私は、五家炭鉱の路線や駅がどうなっているのか見たかったので、Taxiで向かうことにしました。午前中の撮影は、お互いの希望を尊重して、別々に行動することにしていました。

は、次の撮影地阜新炭鉱へと向かう2人の切符です。もっと早くに買っておきたかったのですが、ネットの残席情報では、なぜか「0」が並んでいます。始発駅の赤峰からは、1,000席以上の残席があるのですが、2日前(当日含む)にならないと、平庄からの残席はありません。ネット情報のミスかと思い、昨日も着いてすぐに平庄駅售票処で確認したのですが、「没有」と言われ、今日になりました。

は、 鉄道写真家小竹直人さんがプロモートされた「阿里河森林鉄道」のフォトランツアー(5月2日~6日)に参加後に、解散場所のハルピンから、日本へ帰国される飛行機の出る瀋陽へ向かわれるO氏の切符です。

は、同じく解散後にロシア国境の町満州里へと向かう私の切符です。

これだけの多種な切符です。間違いがあってはならないと、メモ用紙に分けて書き、售票処に2人のパスポートと共に提出しました。

ところが、ちゃんと書いたつもりでしたが、售票処駅員から「どの列車に誰が乗るのか?」と聞かれました。 あ~やっちゃいました。いつもは、同時にこんな多種な切符を買っていませんでしたので、名前まで書いていませんでした。ボケて頭が回らなくなっていた私のミスです。すみませんと謝って、再度説明して発券していただきましたが、受け取って確認すると、の切符が1枚しか発券されていません。今度は、駅員のミスです。もう1枚発券していただきました。
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2012年 春の中国鉄路の旅 Part6 平庄煤礦鉄路 その1

第8日目 4月26日  平庄1日目

瀋陽19:05(K
7362次)→5:35平庄
574キロ 10時間30分

平庄を訪れるのは、昨年5月、今年3月に続いて3回目です。中国鉄ちゃんで訪中50回以上を誇られる、O氏もなぜか同じです。近くの元宝山には、何回か行かれているようですが、ここに蒸気機関車が走っているのは分ってはいたけれど、前進型が驀進する集通線等々、行くなら優先すべき撮影地がいくらでもあった。ここや阜新が注目されだしたのは最近で、蒸気機関車が撮れる場所がなくなったせいでもあると言われます。

1回目2回目とまずまずの撮影はできましたが、確かに平庄では、際立って素晴らしいと感動を持てる撮影場所はありませんでした。
しかし、いつもは平凡単調でDATAから、消してしまいたくなる撮影場所でも、いくつかの条件が揃えば、一転してしまうことがあります。今迄撮り逃がしたのは、西露天口からのズリ捨て列車でした。特に山に夕日が沈む頃の光景は、考えただけでも心が躍る瞬間です。
今回、私たちが平庄に来た目的は、ただの石が突然にダイヤとして輝く、この瞬間を撮りたいがためです。滞在2日間をこれに賭けたいと思ってきました。今日は、雲1つない雨上がりの快晴です。条件1をクリアーするでしょう。きっと素晴らしい夕焼けが見られる事を期待しました。


▲ 常宿化してきた宝山大酒店にチェックインして、ホテルの朝食をとった後、直ぐにTaxiで撮影目的地に向かいました。
10:14
に到着、中々の場所です。ズリ捨て列車がくれば、そこそこの写真は撮れます。近くにいた作業員も10:20には上ってくると言われますが、煙は見えてもここまでやって来ません。
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2012年 春の中国鉄路の旅 Part5 瀋陽から平庄へ

第7日目 4月25日

① 天津 21:40(K345次)→7:45 瀋陽北  785キロ 10時間5分
② 瀋陽北駅 10:34(地鉄)→10:52 瀋陽駅
③ 瀋陽 9:05(K7362次)→5:35 平庄    574キロ 10時間30分

▲ 温州始発の列車は、既に約28時間も走行してきたせいなのか、ゲリラ暴風雨のせいなのか分りませんが、26分遅れの22:06発車となりました。乗車後は、列車の窓に叩き付ける雨音を聞きながら、睡眠に入りました。

▲ 翌朝も、雨音を聞きながらの早起きです。寒いなあと思って通路の温度計を見ますと、15℃です。今迄が暑かっただけに寒さをより感じます。車窓には、雨をたっぷりと吸い込んだ大地が続いていきます。駅に着いても叩き付ける暴風雨で、大きな荷物を持った乗降客は、必死の歩行です。窓から撮ろうとしても、コンデジのピントは合ってくれません。朝食を食べに食堂車に行きましたら、ご覧のとおり、無座客の座席車になっていました。

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2012年 春の中国鉄路の旅          Part4 天津天重公司の上遊型蒸気機関車

第4日目  4月22日

鄭州10:55(T254次)→20:08天津  831キロ 9時間13分

今日は、鄭州からかつての駐在先であった天津に向かいます。駅前のホテルに宿泊していましたので、徒歩で30分前に着きましたが、約50分も列車が晩点(延着)しました。これでは、天津着は21時近くになります。中国のホテルは、21時を過ぎますと、キャンセルとみなして部屋を飛び込みで入った人民に売ってしまうことがあるので、心配です。
鄭州鉄道日記さんに電話をしますと、このT254次は、遅れることが多いので有名ですとの事です。本当は、前夜の夜行寝台に乗りたかったのですが、彼に頼むのが遅かったので空席なしで、仕方なく昼間の列車にしました。


▲ 座席は残念ながら下段はなく上段になりました。同室客は、始発駅から乗ってきたと言うおばさん達でしたが、至って静かにしてくれていたので助かりました。食堂車を覗きましたが、品数が少なく今日はパスです。昼夕食とも車内販売の弁当にしました。

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2012年 春の中国鉄路の旅 Part3 鄭州世紀歓楽園の満鉄展望車トク2形

第3日目 4月21日

今日は朝5時半に起きて、鄭州駅で4月25日に乗車する瀋陽から平庄までの切符を買いに参りました。上海で買うのを忘れたからで、残席が十分ある列車ですので、昨日鄭州到着後で良いなあと思っていましたら、降りたメインの東口では何と前日の切符しか売っていません。
鄭州鉄道日記さんによると、裏の西口では10日前からの切符を売っているとのことですが、通り抜けの通路がありません。大きく迂回していかなければならないとの言われましたので、夜道は危ないと昨夜は断念して今日の朝にしたわけです。

▲ 駅前のホテルから歩くこと約30分余りで西口に到着しましたが、開いている窓口は1つだけです。そして早朝にも関わらず、約50人以上が並んでいます。丁度、労働節休暇(4月29日~5月1日)の3連休があって、小旅行に出かける人民達が多くなっているためだそうです。

途中で別の1つの窓口も開きましたので、ダッシュで前に並んで20分後には購入できましたが、軟臥下鋪2枚と書いた紙を渡しているのに、上下です。おまけにコンパートメントの部屋が別々です。これはダメだと申し立てるのですが、窓口のおばさんは頑として聞き入れず、途中からは次の客の発券をやりだし、完全無視です。困ったおばさんです。
諦めてホテルにトボトボと戻り、まだ終わっていない前回の旅日記の投稿作業をやりだしましたら、瞬く間に時間が過ぎていきました。
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2012年春の中国鉄路の旅 Part1 17日ぶりの大地へ

前回の旅の途中で、O氏より小竹直人さんが5月連休にプロモートしている阿里河森林鉄道ツアーに参加するが、一緒に行きませんかとのお誘いを受け、即決しました。そのまま中国に滞在した方が、安くつくのでそうしようかなとも思いましたが、香港で再入国したのはノービザでした。問い合わせますと、延長手続きは無理と分りましたので、一旦帰国して再度30日ビザを取って訪中することにしました。

帰国後に中国大阪領事館に赴き手続書類を窓口に提出しますと、「個人ビザ申請は3月から旅行代理店を通じてしていただくように変わりました。」との返答です。確かに、個人からのビザ申請は、大阪のみが受け付けていて、異質でした。
仕方なく、道を挟んで正面にある旅行代理店で申請用紙を渡しましたが、手続料は倍額の6,000円です。たった、8mほど歩いて書類を持って行き、4日後に受け取りに行くだけで、3,000円とはボロい商売ですね。わざわざ大阪まで、往復1,200円も出費して出てきたのは、無駄足でした。
折角大都会まで出てきたので、大型ショップに寄って、旅行用品などを買い求めました。重ねての出費です。

出発までの16日間は、HPへのアップロード等で瞬く間に過ぎ去り、いよいよ続いての訪問となりました。

4月19日 第1日目

① 自宅6:50→長岡京7:00(JR)→大阪(地下鉄)→なんば(ラピート)→関西空港
② 関空10:25(JL891)→11:55上海浦東(地鉄)→大世界→ホテル

今回は、マイレージチケットを受け取れるマイル数が貯まっていなく、正規航空券で最も安い関空からの上海便を利用しました。

▲ 私としては、アルコールが飲み放題だけで満足ですが、関西風味の上海線の機内食です。

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2012年 冬から春への中国鉄路一人旅  ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅 総集編

海外旅行では欠かせない、クレジットカードを忘れるという大失態から始まった旅でしたが、倹約を重ねて何とか手持ちの現金でやりくりしながら、O氏に自宅から送ってもらったクレジットカードを持ってきていただくまでを凌ぎました。
O氏と合流できなかった場合は、街角に這いつくばって道行く人からの施しをお願いするしかないかと覚悟しておりました。O氏様、助かりました。ありがとうございました。

44日間の人生最長の旅は、前半の「2012年冬から春への中国鉄路一人旅」と、後半の「ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅」になっております。まとめましたので、ご覧ください。


▲ 今回の旅では、成都から广州までと、深圳から大連までは、飛行機を利用しましたので、乗車地図では、つながっていません。

▲ 昆明のメータゲージ区間は、時刻表に記載がないので、現在調べております。分り次第に差し替えます。广州~九龍間の乗車距離は、中国鉄路区間のみです。

下記をクリックしていただきますと、内容をご覧いただけます。

【2012年冬から春への中国鉄路一人旅】

Part  1  とほほのスタート
Part  2 1891次に乗って齐齐哈尔へ
Part  3 富拉尔基(フラジル)の蒸気機関車
Part  4    国境の町、黒河(ヘイフー)へ
Part  5  国境の町、黑河(ヘイフー)のあじあ号展望車
Part  6 ( ハルピン )から鸡西(ジーシー)へ
Part  7  鶏西鉱業集団鉄路 その1
Part  8  鶏西鉱業集団鉄路 その2
Part  9  鶏西鉱業集団鉄路 その3
Part10 大地横断5,010キロ 鸡西から昆明へ
Part11 昆明のメータゲージ、 湏越(雲南)鉄道
Part12  昆明のミシェラン 雲南鉄路列車陳列館
Part13  成昆鉄路に乗って、グースの里 北碚(ベイベイ)へ
Part14  江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その1
Part15 江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その2
Part16 江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その3
Part17 北碚(ベイベイ)から重慶(重庆)へ
Part18 重慶モノレール(重庆軌道交通)
Part19 重慶から芭石鉄道へ
Part20 芭石鉄道その1
Part21 芭石鉄道その2
Part22 芭石鉄道その3
Part23 簡単便利に購入できる中国国内線航空券と鉄道切符
Part24 一旦出国、再入国で大連へ
Part25 大连市電(大连軌道交通)

【ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅】

Part  1 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その1
Part  2 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その2 展示車両
Part  3 平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型)
Part  4 平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型) その2
Part  5 平庄炭鉱から阜新炭鉱へ
Part  6 阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その1

Part  7 阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その2
Part  8 北台製鉄所 その1
Part  9 北台製鉄所 その2
Part10 北台製鉄所 その3
Part11 錦州八角台発電所の建設型
Part12 瀋陽から天津へ、そして帰国

以上です。現在、次の中国鉄路乗車の旅も始まっております。近々にアップロード始めさせていただきますので、またご覧いただければ幸いです。

2012年春の中国鉄路の旅  Part1へ続く

 

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part12  瀋陽から天津へ、そして帰国

第11日目(訪中43日目)   4月1日

中街(地鉄)→瀋陽駅8:30(D164次)→14:14天津西 699キロ 5時間34分

 

長かった旅も最終へと入りました。お連れいただいたO氏にお礼を申し上げて、7時前にはホテルを出ました。着いた瀋陽駅も大連~哈尔滨間の新幹線建設工事で、瀋陽北駅と同様の大改造中です。駅横のマクドで朝食後、乗り込みました。

▲ 乗車した車両は、何とオール6人掛けのコンパーメント車でした。しかも、シートピッチが狭くて、後ろにリクライニングもできずで窮屈です。これなら、1+2列にしてくれたら、どんなに快適だったでしょうか。
この日は通路側席でしたので、いくらかはマシでしたが、途中から真ん中席には赤ん坊を連れた2組が乗車してきましたので、ウトウトもならずです。幸いにして電気は使えましたので、乗車中はひたすらHP用の画像処理に専念しました。


▲ 殆どの乗客は1つ手前の天津駅で下車しましたが、私は北京~上海間新幹線が開業して大変身を遂げた天津西駅にはまだ行っていません。
まあ、昔の駅を知っている者にとっては、びっくりです。 11本もの相対式と2面の片式ホームの数は以前とは比べようがないくらいに多く、コンコースは広大です。ホームから地下鉄まで15分もかかりました。

この日の夕食は、馴染みの日本料理屋へ行き、久しぶりのカレーライスを頼みました。

第12日目(訪中44日目)   4月2日

① ホテル 11:30(Taxi)→天津空港14:00(JL840)→17:45 名古屋空港
② 中部国際空港 18:36(ミュースカイ)→19:05名鉄名古屋
③ 名古屋 19:25(のぞみ247号)→20:02 京都 20:08→20:19 長岡京

 

今日は、生涯で最も長い旅の最終日です。2月19日に旅立ち、44日間何とか無事に過ごせました。一人旅を続けたわけではなく、途中からはO氏、そしてドイツ人一行と合流しての変化にとんだ旅でしたので、一人旅の楽しさ、グループでの旅の楽しさの両方を味合えました。撮った写真の枚数も生涯最高です。

どの1日が最高だったか、どの1枚が最高だったと問われても、毎日が思い出に残り、1コマ1コマのシャッターを押す度に生きている幸せを感じていました。学生時代に戻ったような感覚を持つ事が多い旅でした。また、こんな旅をしたいと思っております。

これができるのも元気な身体があってこそです。私は、丈夫な身体ではなく、いつポックリ逝ってもおかしくない持病を持っていますが、じっとしておられない性質ですので、ついつい出かけてしまいます。

▲ ホテルでゆっくりして、正午前に天津空港に向かいました。出張ペースでの駐在でしたが、その頃と比べようがないほどの渋滞です。ちょっとヒヤリとしましたが、中心部を抜けるとスムーズに進み空港に到着しました。
搭乗前のラウンジサービスがありますが、北京等と比べるとしょぼいものです。
機内食も近距離で、初めて天津から日本への国際線が飛んだ時は、おにぎり1個と信じられない機内食に搭乗客のみならずCAさんも唖然としましたが、今日はマシです。昔のように国際線はステーキがどかんと出ることはありませんが、これなら我慢内です。もっとも私としては、アルコールがあれば問題ありませんが・・・。

久しぶりのセントレアに着陸、名鉄、新幹線の流れで無事帰宅しました。自宅では、まだ1歳の孫が誰が来たのかと、不思議そうな顔で迎えてくれました。
2012年冬から春への中国鉄路一人旅 ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅総集編へ続く

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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part11  錦州八角台発電所の建設型

とうとう紀行記を完了投稿することなく、また次の旅に出ています。只今、大地に中心地「鄭州」からの書き込みです。2週間の予定は立てていますが、その先はいつものように未定で切符が買えた方向に向おうかと、気ままな乗り鉄旅を楽しむ予定です。

第10日目(訪中42日目) 3月31日

① ホテル 8:10(Taxi)→9:07 錦州八角台(Bus)→錦州市内’Taxi)→ホテル
②   
ホテル(Taxi)→錦州駅(Bus)→錦州南站(D9次)→瀋陽(地鉄)→中街

今日は、帰りがけの駄賃として、O氏と一緒に锦州から約40キロ先の八角台にある発電所に走る建設型の撮影に参ります。錦州市内のホテルに昨夜チェックインしましたが、約40キロの発電所までの所要時間が分りません。八角台まで行くには駅前ターミナルからの路線バスがありそうですが、駅まで行って乗り換えてとなると結構時間がかかりそうです。今日夕刻の列車で瀋陽に戻りますので、早めについておかないと撮影にさしつかえがでます。

昨日の感じではTaxiで行っても50元(約680円)前後だろうと思いましたので、ホテル前からTaxiで向かいました。広い道路を走り出しましたが、郊外に出ると左に回って迂回します。道路が混んでいるので、抜け道を行くのかと思っておりましたら、コの字型に回り道をしたのが、後でGPS通過記録で分りました。昨夜といい、この地のTaxiの運転手は、メーターは倒すが、よそ者と分ればわざと迂回をします。何とも、せこい人民ですね。おまけに、復路に乗ったトロトロ走る路線バスと比べて、所要時間は殆ど変わらずでした。


9:07、迂回を重ねて、国道と交差する踏切に到着しました。ヤードの向こうに白煙が見えました。左手前にも蒸気機関車が止まっています。
さあ踏切からヤードに入って撮影しようとしましたら、門番から大声で静止させられました。見つかったらおしまいです。仕方なく踏切を国鉄八角台方向へと通過する建設型6211号機を見送りました。
そして門番が発電所から出る車のチェックをしている間に、踏切番の部屋に行って、運行状況を聞きました。
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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part10  北台製鉄所 その3

第9日目(訪中41日目) 3月30日

① ホテル→北台製鉄所→食堂→ホテル→15:10瀋陽空港→16:33地鉄奥体中心駅
② 奥体中心(地鉄)→17:13瀋陽北駅18:38(D8次)→19:58錦州南(Taxi)→ホテル

今日は、TANAGOの中国SL撮影ツアーの現地最終日です。午前中撮って昼食後には、瀋陽空港に向かいます。最終日とあって皆さん元気よく出発しました。


▲ 3日間の定番となった朝の通勤列車の発着シーンです。撮り飽きていますので、早くに入場したいのですが、発車した後で開門です。この編成は、鞍山~ 田师府等の区間列車にも使用されています。ドイツ人も撮影はもういいのか、カメラは向けず朝飯屋台を覗いていました。


▲ 朝から活発にスラグ捨て作業が始まっています。
今日は、撮り逃がしたシーンがないかと、工場内をうろつきましたが、ここでの最高は、夕刻以降の暗くなってからです。今年の冬まで、蒸気機関車の運用が続くことを願って、今まで見たことのなかった衝撃シーンを撮らせてくれた北台製鉄所を去りました。再見!

今日会えた上遊型は、448、1075、1191、1560、1561、1648号機と昨日と同じ蒸気機関車の6両でした。


▲ 13:30、初めてお会いして9日間、人種、国籍は違っても蒸気機関車を愛する気持ちは一緒の仲間たちとの最後の食事です。昨日と同じ食堂での麺でしたが、箸を使えなった人も、ホーク感覚でで使っていました。左上は、待ってる間に食べられる漬物類です。今日は昨日食べた美味しい白菜はなかったですが、結構つまみましや。


▲ 15:10、瀋陽空港に到着しました。彼らは、一旦国内線で上海に向かい、出国手続きをしてから、改めて国際線でドイツに帰国します。スイスから来たという方は、何やらおかしな物を持っているので見せてもらったら、北台のヘルメットです。こんな者を持って帰るとは参りましたね。彼の職業はお医者さんです。サイクリングも趣味の1つで、アルプスを走り回っているそうです。

▲ 16:33、彼らを見送った後、そのままバスに乗って、地下鉄駅まで送ってもらいました。通訳の史超さんも両親と住む長春へ帰るようで、一緒でした。2号線の奥体中心駅から乗車しましたが、面白いことに乗車時にチェックされるレントゲン機がありません。1号線にはありますが、乗り換えられる2号線にないとは、検査はええ加減ですね


▲ 17:13、着いた瀋陽北駅は、大連~ハルピン間の新幹線建設に向けて大改造中でした。改札が始まりましても、左右に曲がったり、階段を上下したりで、ホームに着くまで10分以上かかります。乗車したのは、CRH5-31Aでしたが、1等車は真ん中でなく両端でしたので、たどり着くのは大変でした。


▲ 1時間20分で錦州南駅に着きましたが、周りに建物はありません。結構たくさん降りましたので、ついていくとTaxi乗り場に着きました。ホテル名を書いたメモを渡して、連れて行ってもらいましたが、後でO氏がお持ちにだったGPSで見ると、かなり遠回りをしていました。メーターは倒しましたが、セコイ錦州のTaxiです。
ホテルチェックイン後に近くの食堂で羊肉の しゃぶしゃぶを堪能しました。こんな美味しいものがあるのに毎日同じような夕食でした。どうしてかなと思いましたが、O氏は、欧米人はみんなで鍋をつつくといった食習慣がないので、あえて出なかったのではと言われます。チーズフォンデは別として、確かにそうですね。
この食堂、私達が食べ始めると、日本の音楽を流しました。店長らしき人が来て、横に座って何やらコミュニケーションを取りたいようですが、日本語も中国語もさっぱり分かりません。
でも、肉を追加サービスで出してくれたり、親日的なのは分かりました。
  Part11  へ続く