2012年春の中国鉄路の旅 Part24  长春(満州国首都 新京)その2 長春の軽軌と路面電車

第27日目 5月15日 長春の軽軌と路面電車

いつものように元気に目覚めましたが、無理をせずに午前中はPC作業に没頭して、外へはお昼からにしました。目指すは、久しぶりの長春の路面電車です。
人民広場近くに泊まっていましたので、路面電車54路が走る所までは遠いです。まずはホテルを出発して、2011年6月30日に試運転(客扱い有り)を開始した軽軌4号線の初乗車兼ねて向かう事にしました。、


▲ ホテル前からバスに乗って軽軌の东大桥站(東大橋駅に着きました。ガラス張り円形のすばらしい駅です。4号線の総延長は、16.33キロ(地下軌道3.3キロ含む)で、16駅(内、地下3駅)が設置されています。駅に入りICカードを購入しようとしましたが、まだ売っていません。改札口はICカード対応になっていますが、どうしてかなと思いましたが、乗車してみると分かりました。まだ工事中で未完成な駅が2駅ありましたので、暫定開業扱いなのです。4号線の使用車両は、2000系3000系の2種類です。


▲ 仕方なく切符を買う事にしましたが、下車駅が分かりません。メモ用紙に54路路面電車に乗りたいと書いて渡すと、起点の长春北站まで行って降りて、3号線に乗り換えるのが早いと申されます。いや、私は遠回りになっても良いので3号線との接続駅で乗換えて行きたいと言うのですが、理解してもらえません。またいつもの挨拶です。その頃には、駅員が全部集まってきてしまいました。駅員を見ると全員20代前半のの若いお嬢さんばかりです。新しい路線ですので、全て若い女性に絞って採用したようです。一人が手書きで乗換駅
卫星路站)と下車駅(卫星路站)を書いていただきました。老人にはやさしい娘さんばかりです。


▲ 早速乗車しました。軽軌と言っても4号線を走る車両は鉄道車両ではなく、路面電車です。こんな立派な高架軌道を走れるとは、この路面電車は幸せですね。 他の都市では軽軌のホームに駅員がいて、撮影しようとすると撮影禁止とか危ないと言って、静止させられることが多いですが、ここでは誰もいませんので気にすることなく撮れました。3000系
70%低床式C型軌道電車で、連接6両編成です。車両長62m、車高3,600mm、車幅2,650mm、最大定員能力500人、座席定員132人、走行音は65デシベルに押さえられています。最高速度は70km/hですが、現在40km/hに抑えられてのノロノロ走行です。


▲ 3号線への乗換の卫星路站(衛星路駅)に着きました。この駅も設備は路面電車が走っているとは思えないほど立派です。

▲ 3号線を走る路面電車です。こちらにも3000系は走っていますが、主力は開業時に導入された連接3両編成の2000系です。

3号線は、2002年10月30日に长春站~卫光街が開業、2006年12月26日に长影世纪城まで延伸され、全線34.4キロとなりました。33駅が設置されています。最高速度は、開業当初は40km/hでしたが、今は70km/hで運転されています。乗客は多く3両編成では、日中でも満員で走っていました。富山のライトレール同様に市民に定着した感があります。
最初に敷設された区間は、国鉄線と平行した地上線を走行しますので、道路が線路上を跨いでオーバークロスしていますが、離れてからは道路とのの平面交差があります。軌道優先とはなっていなく、停車しての信号待ちとなります。
運賃は、4号線と同じ乗車キロ制で、14.5キロまで2元(約26円)、14.5~24.5キロは3元(約39円)、24.5キロ以上は4元(約52円)となっています

今後、軽軌を市内交通の中心として新規開業されます。1、2号線、5~7号線と、2050年には総延長距離179キロとなる計画です。1、2号線は市内中心部を走行しますので、全線地下化されます。ただし、同じ車両が走るかは現在、発表されていません。

▲ 軽軌3号線4号線有轨电车(路面電車)が走る54路の路線図です。

▲ 卫星路站で降りて、54路路面電車に乗換えて、終点の西安大路へと向かうことにしました。

長春路面電車は、1999年8月に長男と一緒に東北旅行で初めて訪れて以来、4度目の訪問です。


 


▲ 春の日差しを受けて緑一杯の専用軌道を走ります。13年前と比べると、緑も増えて綺麗になりました。

【長春の路面電車の歴史】
1932年3月1日、日本は中国東北部に満州国建国宣言をしました。首都は長春に定められ、名前も新京と改められました。建国後、大規模な都市計画が実施され、上下水道・ガスが完備された近代的な人造都市が誕生しました。街路は、60m幅の舗装された大路となり両側には街路樹が植えられ、美観を損ねる電線は土中に埋められました。

都市交通は、都市美観を守るためにバス・Taxiによって運行されていました。1939年には瀋陽と同様に当時最も進んでいた大阪市交通局の指導のもとに地下鉄計画が立案されました。1940年より工事着手となっていましたが、戦争による資材不足のため断念され、1941年1月から路面電車の敷設工事が始まりました。路線は都市美観を守るためにメインストリートは避けて、翌年にはさらなる新線も建設され、総延長距離は37.3キロに達しました。
使用される車両は、日本車両名古屋工場で新造された車両の他、玉川電気鉄道の2軸ボギー車5号、武蔵電気鉄道の車両や、四国仏生山からの塩見温泉鉄道の気動車が電装化されて送られ走行したそうです。

▲  2005年に訪問した時に長春号の車内に展示してあった写真です。これが本土から送られた車両ではないかと思いますが、どうでしょうか?

敗戦による満州国崩壊後は、トロリーバスに転換されたりして、全長7.64キロの54路を残すのみとなりました。最初に訪れた1999年当時は、まだ道路共用軌道もありましたが、2000年6月から突然線路撤去工事が始まり、一時廃線かと案じましたが、約1年間の間にPCコンクリート枕木化、架線柱のセンターポール化、屋根付きホーム整備、道路共用軌道から専用軌道への配線替えが行われ、近代化した都市交通へと変貌を遂げ、国産新車(800型)も投入されました。最後まで残った満州時代の日車製200型も車体更新して生き残りましたが、その後に廃車となり現在は走っていません。



▲ 上の写真は、1999年、2005年と2012年の西安大路駅での比較光景です。1999年では泥だらけの道路と道床でしたが、迴に植林された木々も育ち、徐々に整備されてきました。戦前の200型は、床の木材が磨り減って所々は下が見えているような状態でしたので、この国では補修が出来ていないのだと思いました。


▲ 54路を全線乗車・撮影後、明日北京圣由にて上海へと乗車するリニューアルなった長春駅を視察に参りました。夕食はいつものように麺です。  Part25  へ続く

2012年春の中国鉄路の旅 Part24  长春(満州国首都 新京)その2 長春の軽軌と路面電車」への2件のフィードバック

  1. 以前、5万あれば長春に行けると誘ってもらい、その気になったのにドタマの事でドクター並びに「山の神」ストップとなり残念です。その姿を紹介していただき大感激です。軽軌の台車構造など大体想像が付きます。準特急氏が紹介されたJISによる連接構造ではなく、車体は現在ドイツ中心に欧州で普及している「連節」構造のようですね。車体2両目が2軸の台車となっており、ここに駆動装置が収納されているようです。どんな音を立てていました? ドイツ方式なら直角カルダンでしょうね。西安大路の市電、車体は現代風ですが、台車や駆動装置はどうでした? まだKR8とPV弁ですか。もう一度「こうた里」でお話を展開していただきたいと、思っています。その時は準特急もご一緒に如何!

  2. 乙訓の老人 様
    コメントをいただきまして、ありがとうございます。
    お礼が遅れまして申し訳ありません。2日の「こうた里会」で、詳しいお話をさせていただこうと思っておりましが、展開がないままになりました。
    早くにご質問の返答、また長春市電のこれからについての作業を続けておりましたが、四国への突然の臨時運用がありました。その後、思わぬ故障が発生して自走できず、救援車の厄介となるところとなりました。現在近くの検車区にて修理復旧を続けております。
    周りには、休車や廃車寸前の老火車が多く、このままでは同じく捨て置かれますので、早々の本線運用を嘆願しております。出庫は近いと思われますので、今しばらく、お待ちください。

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