先日、マルーン会長のお供をして明延1円電車乗車と坑道見学に行ってきました。
その時に随行してくれたのが山科で有名な旅行社・わらくろや旅行社社長です。各地の有名人とのコネがあるのか、行く先々で土産店や食堂で歓待されました。
その旅行の途中で「客車には記号があって“ナオスマカ”が付くのです」と会長や同行のJR西日本大株主・ましたしも氏にのたまうので、思わず「コホナオスマカが正しい記号で・・」と言いかけると、「コホの付く客車などありません。見たことがない」と言下に否定するのです。見たことのないものは信じないというのは心貧しき人々によくあること、でも客車となると見逃すことはできません。井原さんに叱られる!
で、帰って調べましたら一枚撮していました!
かなり古く、しかも濃い霧の中で撮ったものですから写りはもう一つ、でもそんなことは言ってられませんのでお許しください。
わらくろや社長、これが“コの付く客車”や!
出自が多少怪しげです。なんでも地方鉄道からの編入車で移動診療車だとか。
井原さんから詳しい説明があるかもしれません。
わらくろや社長様、お世話になりました。次回もよろしくお願い致します。
米手作市様
コハ2600を撮っておられるとは驚きました。昭和42年に廃車されていますからそれ以前の撮影ですね。出自は昭和12年日車製の中国鉄道キハニ190です。キハニと言っても荷物扉はなく、運転室横に荷物置き場があった程度のもので キハ41000と同じ窓配置です。中国鉄道は昭和19年に戦時買収されて車両も国鉄籍に編入されます(多分改番はなくキハニ190のまま)。昭和24年に東洋レーヨン(石山?)で移動診療車に改造され、コヤ6680となり、昭和28年の改番で保健車コヤ2600と名前が変ります。釧路には保健車や工事車などアヤシイ車両がいて中学、高校時代は訪ねて行きたくても、余りに遠い存在でした。昭和42年に姿を消してしまいました。写真手前側のドアが診療室入口で 入ったところが待合室。煙突は多分だるまストーブでもあったのでしょう。その奥が調剤室、診察室、レントゲン室、寝室、調理室、トイレとなっていたようです。客車の一員らしく、号車番号札や列車名札を差し込む受け金具もありますね。へき地の簡易線にも入線できるよう”コ”であることが必要だったのでしょう。釧路を拠点に道内各地を巡り、国鉄職員の健康管理にひと役かったことでしょう。ひと目見たかったナア、保健車。井原大先生スミマセン。
この手の車両は湯口さんや西村さんの領分ですので、西村さまありがとうございました。
少し補足しますと、中国鉄道の竣工図によれば、代価は¥33,033-だったそうです。
米手さんの写真では扉間窓を2箇所埋めていますが、反対側側面の窓は3箇所埋めています。また、調理室の流シにあたるため、1位寄り扉を埋めています。
ストーブの煙突がチャームポイントですね。
わらくろや旅行社催行のツアーなら部屋のドアの鍵がかからないホテルに泊まらされることもありませんから安心です。
さらに社長の添乗となればどんな無理でも聞いてもらえそうですね。
米手作市さま
『コホナオスマカ』が常識でしょうネ。
ただ、事『客車』と言うと、更に『客車』とは何か?のギモンが出るかも知れませんネ。
ホ以下については『客』車記号のイ、ロ、ハ、ネ、シ等を当てはめて見ると、小生もホハやナハ~スハ、マロネ等の記憶がありますが、コハやカハが有ったかどうか記憶薄です。
で、敢えてイ、ロ、ハ、ネ、シ等を純粋に『客車』とすれば、ヌ、ヤ、ニ、ル、ユ等は『客車関連』と言う事になるのかも知れず、むしろ『ホナオスマ』が客車や!となるのでしょうか?
以上、屁理屈が好きな小生の異説です。
コヤ90なんていうのもありましたが、オロ31ベースの新幹線車両を在来線で運ぶための限界測定車だったので、客車ではありませんね。
先日久々に上賀茂の学び舎に訪問しましたが、あまりの変貌ぶりに浦島太郎になってしまいました。
西村様、
特派員氏ではありませんが、何でも撮っておくものですね!
撮したときは気動車のなれの果てか、程度でしたが半世紀を経て楽しみを与えてくれました。
井原様、
わらくろや社長は人気者らしく、行く先々で「カメムシ」につきまとわれていました。
河 昭一郎様、
改まって“客車とは”となると難しいものですが客車列車に組み込まれていれば客車と考えております。それで行くとカニ20なども客車になるので「ほな、押すまか?」が客車では?
ほへほへ様、
そういえばコヤ90と言うのもありましたね。見たことがないのですが、オロ31の改造車ですか?見たいですね。
米手作市さま
そうですネ、客車編成に入っていれば『客車』でしたネ。
むしろ小生のはコジツケ論でしたネ。(笑)
西村さんが青信号24号に「買収気動車を追って〔1〕中国鉄道の巻」に元のキハニ190について書かれてあるのですが、この項目の最後に〔(なお現役当時の写真がボックスの「客車のアルバム第4巻」にあるので見ておいてほしい)〕とあるのですが、投稿された写真がこれにあたるのですか。他にもこの客車の写真があったのですか?
大分前の記事ですが、湯口先輩が簸上鉄道(木次線前身)の小型客車の晩年の写真を上げておられ、コハ級の超小型ボギー車です。
また私がコメント欄に書いていますが、山陰本線の西の端を私鉄で開業させた長州鉄道の客車も超小型ボギーで、買収後はコハの形式が付けられていたと記憶します。
https://drfc-ob.com/wp/archives/9875
K.H.生様、
さっそく拝見しました。湯口先輩の投稿記事ですね。闘病中の先輩を想いながら読みました。さすがの研究ですね。いま、木次線の研究をしているので感慨深い記事です。早くご回復なさって、詳しくお聞きしたいと願っております。
少し早めですがお歳暮代わりにコヤ2600のVC03343をお送りします。
字が小さすぎて読めない!
×××ルーペがよろしいのでは?