デト11

年末年始お休みでした、関三平さんの「昭和の電車」シリーズが再開されました。

また、阪堺電車ですが無蓋電動貨車のデト11です。もちろん私は見たこともありません。しかし、昔はこんな電車はどこの鉄道にもありました。国鉄のクルやクモルを始め、京都市電にもありました。京都市電の無蓋電車は中央市場からゴミを運び出すのに使われていたようですが、どこへ持って行ってたのかは知りません。今回も乙訓の長老様にご高説を伺うことにしましょう。

デト11」への3件のフィードバック

  1. 老人の出番や!とご指名いただき有難うございます。デト11へのコメントは迷図作家のとおりで、付け加えるとすれば台車がブリル27GE1改であることでしょう。改とはこの台車新造時、枕バネ上部にコイルバネがあり、当節の空気バネのごとく、ふんわか気分の乗り心地であったと伝えられている。それがアダとなったのか、その後に取り外され満員電車対応台車となったようだ。それでデトとなり砂利運びに適応出来たとか。おそらくこの台車は1911年、阪堺電車開業時のものと思われ、長崎電軌168号の台車と共に、日本に残る明治遺産であろうと思われる。
    デト運転台下を覗いて下さい。主電動機が外吊りになっている。これも特長の一つ。台車のホイールベースを短くして、急カーブ対応の市内電車用であった。電車時代到来となった1900年前後の電車用の台車は、ありとあらゆる工夫が詰まっており、興味深いものがあります。見えるものは楽しく、見えないものはツマラン!

  2. 長老様、
    なるほどよくご存じでいらっしゃる。絵を拡大して見ると、運転台下になにやら丸い筒状のものが描かれていますが、あれが外吊りのモーターというものですか?
    関さんもたいしたものですが長老様もやっぱりただ者ではなかったのですね。これでは別に“全般検査”に入場する必要はないように“ただもの”には思えるのですが・・・

  3. 床下で見えているものは、エアタンクだと教えて下さった「ぷるぷる」さん、ありがとう。老人は何を見ていたのであろうか。100均へ行って眼に合った老眼鏡を用意しなければならない。ところで27GE台車のGEはgeneralの略だとのこと。つまり「何にでも使えまっせ」と言うことだったが、実際にはよく整備された線路上を低速度で走る路面電車向きある、と結論ずけられたとか。ホィールベースは4フィートが多く、4.5フィートのものもあった。
    中央市場へ出入りしていたオープンデッキの貨物電車は、下鴨(高野)や伏見(棒鼻)集荷場から野菜を中央市場へ、中央市場からは主に鮮魚を公設市場へ戦中、戦後に運搬していた。その後、下鴨集荷場跡に出来た京都市用品庫から用品(主に帳票や文房具)を市の施設に配給していた。そのため散水電車を改造した。これらは小学校時代に裸眼2.0で見ていた事だから大丈夫だと思う。

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