「新年第1回は山陽電鉄のアルミカー」の湯口先輩のコメントを拝読して胸が透く思いであった。と言うのも「アルミボディ電車の最初は山陽電鉄」の記事に対し、いつも「日本初のアルミボディ電車は越後交通のモハ210でっせ」と心の中で叫んでいたからである。
という訳でモハ210と電装解除後のクハ112の画像をご覧いただきたい。
長岡駅/43-9-30
下長岡/48-4-29
越後交通栃尾線には特徴ある車両が多数在籍していたが、その中で両端デッキ付のモハ209を紹介する。昭和27年自社工場製でモーターは平行カルダンの55.95kW×2と吊掛式42kW×2の双方を持つという変わった機構で、ラッシュ時には客車を4~5両引き、正に機関車兼用の電車であった。
長岡駅/47-4-30
藤本様、
質問です。アルミカーとは210だけですか?そもそもアルミを使う理由はどこにあったのですか?
米手作市様
越後交通のアルミカーは「モハ210」1両のみです。
何故アルミカーが作られたのか、この件については全く判りませんが、私は次のように考えています。「自社工場製」というのがキーワードで、同社に新進気鋭の技術者がおられて「試験的にアルミを使用して車体を新製した」ということではないかと思います。
当時の技術では加工が困難なため、長方形の箱のような車体になったのではないでしょうか。
下のモハ209と共に手作り感溢れる電車でした。
藤本様、
この当時、アルミがどの程度流通していたのか分かりませんが、終戦直後は鉄が不足していたため、戦闘機や爆撃機のジュラルミンを流用した通称ジュラ電なるものがありましたがそれとは違うようですね。203は、人が乗れる電気機関車ですね。