昭和8年の新聞から

毎度おなじみの中国新聞記事の紹介ですが、今回は趣向を変えて82年前の記事からの引用です。と言うのも 須磨の大先輩のお手伝いで備後の某鉄道のことを調べているのですが、戦災を受けた広島や福山、あるいは中国新聞社には戦前の地元紙が残っておらず、一方 戦火を被っていない三原には図書館に昭和5年11月以降の中国新聞備後版が残っていることを最近知りました。これを順次閲覧しているのですが、鉄道関係の記事が結構出てきて 時間の経つのを忘れます。そんななかで 意外な記事がありましたのでご紹介します。

昭和8年1月24日阿里山

昭和8年1月24日 中国新聞備後版

昭和8年1月25日阿里山

昭和8年1月25日 中国新聞備後版 23号機のようだ

昨今は 台湾の鉄道を訪問される方も多いのですが、台湾と言えば阿里山森林鉄道というイメージが強かったものです。この鉄路は日本の統治下の大正元年12月に全線開通したそうです。そして阿里山と言えば「シェイ」が代名詞です。そんなシェイの写真を含む記事が一地方紙のそれもローカル版に載っているのには驚かされました。海外取材報告としてかなりの紙面を割いて連載されていました。阿里山には2シリンダの18Ton機と3シリンダの28Ton機がいましたが、写真はいずれも28Ton3シリンダ機です。シェイのことはともかく、24日の記事の中に「嘉義・竹崎間にはアンドリユーバーラツグサンス會社製6輌連結サイドタンク(13トン)ほか2種を使用し」と書かれています。このアンドリユーバーラッグサンスのサイドタンクがどういう機関車なのか、我が国にはこのメーカーの機関車が無いのでわかりません。

阿里山で伐採された大木がこの森林鉄道で搬出されて日本に運ばれ、神社建築などに使われ 現在でも国内各地で阿里山材を見ることができます。80年前の新聞を見ていると、戦後70年の時の流れを思わずにはおられません。もうしばらく図書館通いを続けるつもりですので、またおもしろい記事があればご紹介したいと思います。

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