鴨の流れに沿って
3000系の走る風景を思い起こすと、それは人により、さまざまだろうが、私はやはり鴨川沿いのシーンを忘れることが出来ない。地下線が開通する昭和62年まで見られた、3000系特急が15分ヘッドで上下する全盛時代だった。
赤・黄の派手な3000系の塗色は、鴨川沿いの景観にホントによく似合っていた。車窓から見る鴨川の水は清く、堤の木々は、桜から新緑へ、紅葉へと変化し、雪の降る時もあった。京都らしく、季節の行事に3000が出会うこともあった。主要な通りとは平面で交差し、3000系がより身近に感じることが出来た。
そんな、鴨川と3000のコラボをいくつか綴ってみた。
▲鴨の流れを見て。 鴨川沿いに育った私から見ると、下水が未整備だった昔の鴨川は、友禅流しで川が赤く染まり、中州もそのまま、ホントに汚い川だった。昭和40年代ごろから急速にキレイに整備された。現在では、生態系の保持のため、中洲を残したまま整備しているが、この時代は、ブルドーザで徹底的に均して、川幅を広げる方式だった
▲四条通を渡る3000系と市電1600形。四条線が廃止となる昭和47年まで見られた平面クロス。京都第一の繁華な通りを、遮断装置もなく、係員の笛ひとつで電車を通していたとは、今となっては信じられないような保安方式だった
▲始発の三条駅に停車中の3000系。狭い2番ホームが特急用のホーム。6連と7連では停車位置が違う。左が7連でホーム端ギリギリ、右は6連のため、先頭は1両分後退した位置に停車している
▲四条通を横断する3000系。乙訓老人の“東華菜館”屋上から撮影の京阪特急は余りにも有名だが、私は、その向かいの“いずもや”へ、撮影を兼ねて食事に行った。背後の南座も、その後に改築される
▲祇園側から見た四条踏切、この頃は、市電が廃止後のため、遮断機も設けられた。向こうに、その東華菜館、阪急百貨店、高島屋が連なる
▲四条河原町の高島屋の屋上からも、四条踏切を行く3000系が望めた。新緑の頃には、東山が手に取るように近くに見える
▲雨上がりの夕暮れ、四条駅に到着する下り特急。大阪方面行きのホームは、この時代、四条通の北側にあったが、地下線工事の進捗にともない、四条通の南側に仮駅・ホームができる
▲五条踏切を行く。ビル屋上に勝手に上がって俯瞰した。“ふとん着て寝たる姿”の東山連山の穏やかな稜線が見える。最近、京都を舞台にしたテレビのサスペンスドラマの殺人現場として、このビルの屋上が出てきた、びっくりした
▲同じビルから南を望むと、鴨川に架かる、正面、七条、塩小路の橋が連なっている。山並みの中央に伏見桃山城も見える
▲七条駅で3000系同士が顔を合わす。昔から、七条付近で交換するダイヤだった。この頃は、地下線工事の進捗にともない、上下線とも仮駅に移転していた。そのため、前後区間は、急カーブで、本線部分に取り付いていた