Tsurukame様のデジ青2016年1月31日[67822]「撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(6)」に関してコメントを差し上げたところ「お前もその辺で撮ってるならいっぺん出せよ」と言われ慌ててネガを探しました。劣悪な記録ですが、ここに報告致します。
撮影は全て1965年4月3日で、宝塚を7時35分発の423Dで道場に向かい武田尾側に気の向くままに歩いて撮影した。最初の上り728列車はC5736でピンボケの失敗。続く下り「まつかぜ」もどうってことはない凡作。
①最初はDF50[米子]牽引下り723列車大阪発福知山行き。Tsurukame様の地図では道場駅に近い第五武庫川橋梁と思われる。(8時45分頃)▼
続く旧塗装DF50の上り730列車(9時15分頃)はレイルに掲載済み。この後武庫川から少し離れた場所で上り準急「丹波1号」、下りC11牽引725列車、上りDF50牽引貨物列車を撮影している。
②続いて昼行客車急行のDF50502[米子]牽引701列車大阪発浜田、大社行き「三瓶」で以前走っていた東京発の急行「出雲」と同じような時間帯である。(10時20分頃)▼
この後上り422D、上りDF5052牽引712列車、上り準急「丹波2号」(レイル掲載済み)を武庫川沿いで撮影したようであるがどういう道を通ったかは定かではない。
昼過ぎに③戦時設計C11271[吹田第一]牽引の727列車大阪発篠山口行きがやってきた。(12時20分頃)▼
12時20分頃のC11271の後は次に掲載する14時13分頃の「白兎」まで記録がなく、どこか道端で持参の弁当でも食べていたのかもしれない。途中に店はなくコンビニや郊外レストランが出現するずっと前の時代で、最近のデジ青流行語となっている「半世紀前」である。
④さて急行「白兎」であるが、松江発2802D大阪行き4連で福知山で京都行き6連を切り離しての運行である。この写真と次のC57の客車列車は大阪に向かって車窓右側に武庫川がありいったいどこで撮ったか記憶がない。準急「丹波」ともどもヘッドマークを付けている(14時13分頃)▼
最後はC5711[福知山]牽引福知山発大阪行き734列車で補機にC57152[福知山]が付いているが、これは回送と思われる。かつての「かもめ」牽引機関車C5711がC5710とともに福知山に配属されていたことは配置表でわかっていたがなかなか巡り会えず、やっと来たという感じでさらに補機付きで手が震えて超ピンボケ写真となってしまった。(14時50分頃)▼
C5711はその後豊岡に転属し、播但線で見難い集煙装置を付けていた姿に再会した。現在豊岡市立野町中央公園に保存されているので保存蒸機の再登場とさせていただく。(2013.8.30)▼
帰りは道場16時12分発のC11バック運転の736列車で帰宅した。
旧塗装のDF50など懐かしいですね。小生は京都在住だったため、当時の福知山線には残念ながら殆ど乗った記憶がありません。
この福知山線と山陰線京都口とは、大都市からすぐのところにご紹介が続いている武田尾や保津峡があり、その線形がよく似ていました。またローカル列車が客レ主体ということもあって運転形態もよく似た形態でしたから、山陰線に乗りながら福知山線もこんなのだろうと想像していたものです。
旧塗色のDF50は丹波口駅や保津峡駅などで客車準急「白兎」を牽いているのを、指をくわえてよく見ていました。個人的には後のオレンジ基調の方が好きですが、茶色に白線という色は地味ながら真っ黒のSLよりは少しは近代的に感じたものです。
客車急行「三瓶」や58系4連の急行「白兎」も貴重な写真で、まだ36年10月のダイヤ大改正の様子を残していますね。
ここに限らず当時は「あそこに行けばこういうカマや車輛が居る」という憧れというか楽しみがありました。その後は全国津々浦々どこもみな同じという状況になってしまいましたが。
また機会があれば懐かしい写真をご披露下さい。楽しみにしております。
準特急様
感激!!。凄い写真が出てきました。お願いしてみるものですね!準特急さん。
今となっては今昔比較できない貴重品ばかりです。コメント記載中の現時刻は、勤務中(学校で仕事をサボりながら)で撮影データが手許に無く、後程改めて比較コメントしますが、喜びのあまりそれまで待てず、慌てて書いています。
先ず1枚目、この辺に鉄橋があった筈と、痕跡がないので想像するしかない場所が当たりました。この画像の右手に鉄橋下を潜る道路があり、そしてすぐ植山トンネルに入ります。トンネルの坑口を見つけるのに時間がかかりましたが、見つかってから逆に鉄橋の位置を想定していたのです。この位置の”今”は撮影しているので後日紹介します。
それに、鉄橋の向こうに道路橋があります。左手は現在武庫川上流浄化センターになっているのですが、道路橋があったのですね。当時の地図を確認せねばなりません。
二枚目、これも凄い!踏切とその向こうの直線区間ではありませんか。建設会社の私有地になり、”今”が見れないところです。踏切を渡った道路の左手で武庫川を越えます。その当時の橋がかすかに写っているではありませんか。”今”この橋の台跡が川中に残っています。なんで台跡がと、疑問でした。そして”今”は道路真っ直ぐの左手に新しい橋(といっても古い橋桁をどこかから運んで、移設したと思われる)が架かっています。
三枚目も興味あり!どの辺かを探る必要がありますね、踏切小屋が写っているのかな。
残りの二枚も懐かしい風景です。この五枚も、レイル82号に載せたらよかったのではないですか。編集長垂涎の五枚ですよ。後日、”今”を投稿します。本当にありがとうございました。
1900生様
いらん学校に1年ほど通っていた関係で私の方が1900生さんより少しだけ年寄りの先輩ですがま-同期生の様なものでして同じ時代のあの話この話を共有できるのは大変嬉しいことです。保津峡と武田尾は鉄道写真の好きな人にとって関西在住者は強みでした。どちらも都会から僅かな時間で深山幽谷の静寂な感じを体験できる場所でした。また、前にデジ青にコメントしたことの繰り返しですが、道場と馬堀は渓谷を出て盆地に入る場所が似ているように感じました。DF50の旧塗装はレイルの方に掲載されています。EF58同様に私は旧塗装の方が好きでした。不器用で模型をやらない私ですが9ミリの旧塗装DF50が今も手元にあります。神戸の西にお住まいの大先輩のよく使われるお言葉ですが、私も「余命いくばくもない身」ですので今のうちにできるだけあの頃の写真を登場させたいと思っております。
Tsurukame様
早速のコメント有難うございます。第五武庫川橋梁での撮影後の私の足取りがよく分かりません。Tsurukameさんの私有地になり進入ができない現在の旧線跡の写真を拝見しておりましたが急行「三瓶」の撮影地点がそれに当たるとは驚きました。デジ青にもレイルにも掲載しませんでしたが、11時33分頃に鳥取発712列車DF5052を撮影した時は道が無くて線路にへばりついて撮ったような記憶があります。C11271も場所の記憶がありませんが、福知山線の大阪-篠山口間の吹田1区のC11はTsurukameさんの個人発表、デジ青、レイル等でよく拝見しております。私も撮り鉄処女作は宝塚駅踏切で撮影したC11のバック運転でした。一度お話を伺えれば嬉しく思います。
失礼いたします。検索でこちらのページにたどり着きました。1年以上の遅延コメントとなりますが「半世紀前」のこと故、何卒お許しください。
さて、さっそくですが、4枚目「白兎」と5枚目734レの撮影場所について心当たりが有りご連絡します。
この2点は、武田尾駅前の橋を右岸に渡り、林道を下流方向に約1.2キロ歩かれた場所から撮影されたものです。同じ場所からC11を撮影したことがあります。また、写真左端に写っている白い屋根の保線小屋付近にも何回か足を運んでいますので間違いありません。
以下は推測ですが、3枚目のC11は人家や背景の山容から類推しますと、道場駅付近と推定されます。道場駅から300mほど三田寄りに幸田踏切がありますが、そのあたりの可能性が濃厚です。
僭越ながら準特急さまの4月3日の行動を推定しますと、お昼を食べて道場付近でC11を撮影されたのち、道場13:35発の1728レで武田尾に移動され、下流に約30分歩いて白兎とC5711を撮影されたのち武田尾に戻り、16:28発の1730レでご帰宅されたのだと推定されます。
takaginotamago様
コメントを頂きながら返事が大変遅くなり申し訳ございません。武田尾は友人と遊びに行ったことが一度だけありますが、駅の雰囲気や駅前の橋などほとんど記憶にありません。数年前に生瀬-武田尾間の旧線を歩き通しましたが武田尾旧駅のことは思い出せませんでした。3枚目のC11271ですが道場付近ですが、道場から武田尾よりで撮ったと思います。また、この日に武田尾まで戻った記憶はありませんが、このC11271を12時20分ごろに撮った後、14時10分過ぎの上り白兎まで写真を撮っていないのでご指摘の通りこの間武田尾に列車で移動したのかもしれません。列車内で高校の先生に偶然お会いして話をしていますが下車駅宝塚まで同行した記憶がなく、あるいは武田尾で下車したのかもしれません。何れにしましても記憶が曖昧になる歳になりました。ご指摘ありがとうございます。