あの日から5年 ≪ 鉄道版 その1 ≫

“あの日から5年”と言っても震災の記憶ではありません。あの日、2011年3月11日は、JRのダイヤ改正の前日でした。改正の目玉は九州新幹線の全線開業で、新大阪から鹿児島中央まで「みずほ」「さくら」が走り始めます。関西では、アーバン区間で、新快速の土日オール12連化・南草津の停車のほか、特急網では、「雷鳥」がなくなり、すべて「サンダーバード」化、山陰線・福知山線でも、愛称名統一で「北近畿」などがなくなり、車両も287系の新製投入、183系の撤退、381系の転属など、特急網にも大きな変化がありました。その日、“ネタ”列車も含めて、朝から京都・大阪で写し続けていました。5年たって記録を見返すと、ほとんどは現在では見られず、改めて5年の歳月を感じます。別の意味での3・11の記録として、記憶に残る一日を、朝から時系列で振り返ってみました。
syo110311_007▲8:37 京都 福知山行き「たんば1号」+東舞鶴行き「まいづる1号」が30番ホームに停車する。クハ183-851ほかのC33編成、新製された287系と交代するため、本日限りの183系だ。山陰本線の列車は、特急・普通とも、建物の下の薄暗い31~33番の山陰線ホームに停車するが、唯一この列車だけが「はるか」用の30番ホームから発車する。2番ホームから見ると、順光で、きれいな編成写真が撮れる。


syo110311_010▲8:47 京都 福知山行き「たんば1号」+東舞鶴行き「まいづる1号」の先頭側のクロ183-2706ほかのA46編成を見る。この改正で愛称名の統合が図られ、この「たんば」は消えて「きのさき」に統合される。ちょうど横を381系「スーパーくろしお」の回送が通り過ぎる。
syo110311_014▲8:51 京都「たんば1号」、「まいづる1号」の連結面を見る。左は改造車のクモハ183-203で、モハ485-200番台を先頭車化してクモハ485-200番台として「スーパー雷鳥」「しらさぎ」に使用されたが、交流機器を停止してクモハ183-200番台となった。綾部での分割併合で、その目的を達していた。 
syo110311_019▲9:04 京都 湖西線2806M クハ117-307ほかS2編成 4番ホームから、おもに湖西線列車が発着する3番ホームを見る。中線が2線あって編成・形式写真に絶好位置、このS2編成は、京都地区電車が地域色の抹茶色単色に塗り替えが進むなかにあって、いまも新快速時代の原色を堅持している。
syo110311_021▲9:09 京都 貨物列車を牽くEF510 乗車電車の後部から写す EF81が独占していた北陸方面からの貨物牽引に、新型のEF510の投入が始まった。
syo110311_022▲9:39 長岡京 パノラマグリーンのクロ380を先頭にした「スーパーくろしお7号」。「くろしお」381系は、この改正で継続されたものの、つい先ごろの2015年10月改正で消える
syo110311_028syo110311_032▲9:55 長岡京 1往復のみ走っていた485系「雷鳥」が、681・683系「サンダーバード」に統合された。これにより、京都総合運転所に残っていた485系は、定期列車からは撤退、臨時列車のみに残ることになった。最後の下り「雷鳥8号」で、クロ481-2101先頭のA6編成で、グリーン車も満員、運転室にも3人の関係者が乗務しているのが分かる。驚いたのは、こんな駅にも列車通過の前から、助役や本社から派遣されたのか「監視」の腕章を巻いた職員、3人がホーム監視に当たっていた。
syo110311_043▲10:25 京都 「スーパーくろしお6号」クハ381-504ほか6連が0番ホームに到着。くろしおカラーの381系は、この改正でも残った。
syo110311_045▲10:27 京都 湘南カラーをまとったクハ111-5713ほかのC17編成が近江舞子行き2816M発車、現在では、同編成は、地域色に改められている。
syo110311_051▲11:00 二条 上り「はしだて4号」クハ183-701ほかのB62編成。「はしだて」の名は残るが、この時間帯の特急は、天橋立発「はしだて4号」から、福知山発「きのさき10号」に変更される。総じて、北近畿タンゴ鉄道乗り入れのJR特急は縮小され、城崎または福知山始発が増加する。また、こだま色に近い、特急色も本日限り。
syo110311_056▲11:04 二条 亀岡行き1235M クモハ221-73ほか 二丁パンタを上げた221系冬季の霜取り用にダミーパンタをつけている。柔和な顔の221系が二丁パンタで引き締まる。
syo110311_070▲12:23 京都 上り「トワイライトエクスプレス」 EF8144に牽かれて、0番ホームへ。もう50年ぐらい、2番ホームから、ポイントをかき分けて、1番(0番)ホームへ入線する列車を撮ってきたきたが、やはりパンタを掲げた電機の牽く列車入線がいちばん迫力がある。
syo110311_075▲12:40 京都総合運転所(車中から) どこの車両所?と思わせる、ネタ編成が集結した京都総合運転所。手前、JR東日本485系3000番台、その向こう489系H1編成、いずれも修学旅行臨として、新潟・北陸方面から来京して来た。
syo110311_081▲13:12 京都 近江今津行き1820M 湘南色とカフェオレ色の混色のL5編成、現在では同編成も地域色化している。

 あの日から5年 ≪ 鉄道版 その1 ≫」への6件のフィードバック

  1. 懐かしい車輛と色ですね。僅か?5年でも本当に月日の経つのは早いものです。当たり前のように見られた車輛がどんどん無くなってゆく、そんな大きな節目の時期だったことが写真からよくわかります。
    あの時は九州新幹線の開業が哀れでした。大震災で祝賀ムードが吹っ飛んでしまい、沿線の人々が手を振って迎えるというコマーシャルがほとんど放映されませんでした。昨年の北陸新幹線開業時とは雲泥の差でした。
    今回、こういう切り口での発表もあるのかと新鮮な印象を持ちました。総本家さんは今までも色んな切り口で投稿頂き、いつも楽しませて頂いていますが、これからも秘蔵写真をご披露下さるよう楽しみにしています。

    • 1900生様
      いつも素早いコメントをありがとうございます。おっしゃる通りですね。5年前と言えば、半世紀以上写真を撮り続けてきた我々にとっては、一瞬のことのように思えますが、ここに挙げた写真の列車・車両のほとんどが見られなくなりました。地元での地道な記録の重要性を再認識しました。
      九州新幹線のCMは、たしかカンヌか何かの広告賞を受けた、世界的に有名になりましたが、震災以降は中止されてしまい、陽の目を見ませんでした。九州の人たち、何万、何千とエキストラ出演した内容は印象的でしたね。

  2. 総本家青信号特派員様
    早いもんですね。2011年3月11日は逗子のTさんと横須賀の田浦の梅林で京浜急行を撮影していました。快晴でしたが撮影終了後に経験したことが無い地震の大揺れに遭い、横浜まで20kmほど歩き郊外レストランで夜を明かしました。その3か月後仙石線を訪問しましたが、風景は惨憺たるものでした。ところで総本家さんの素晴らしい風景写真や人を入れた日常の風景写真は定評のあるところですが、一方で今回の様に丹念に記録される姿勢を少しは見習いたいと思いました。ところで5年前の時刻表の京都駅ののりば案内をみておりますが、東海道本線上りは0番線はありますが1番線が見当たりません。15番線から29番線もありません。デジ青を始めどこかで説明がなされたことがあるのかもしれませんがわかりましたらご教示下さい。

    • 準特急様
      いつも暖かいコメントをありがとうございます。震災当日の準特急様の一日は、以前から聞かせていただきました。こちらでは、暢気に写真など撮っていたのに、大変な思いをされた皆さんには、申し訳ない気もしましたが、別の面の記録として、載せさせていただきました。さて、京都駅の0番線があって、1番線がない件ですが、これは、ほかの駅でも見られる、ホームの番線と、線路の番線を一致させたためです。新しい京都駅ビルができたとき、本屋側にあった1番ホームを広げることになりました。拡幅方法は、1番線ホームの本線にフタをして広げて、隣にあった、当時は通過線の0番線を1番ホームとします。京都駅では、その他のホーム番線と、線路の番線は一致していたため、ここでは1番ホームではなく、0番ホームに改称することにより、すべてが統一できて、運行管理上の混乱を防ぐことができました。山陰線ホームは、以前は「山陰1」「山陰2」ホームと称していましたが、「はるか」も使用することから改めることになり、「サンイン」から、30番以降とした次第です。

  3. 総本家青信号特派員様
    コメントまでコネタで申し訳ありません。
    かっての1レ2レ 寝台特急さくら と現在の新幹線さくら では九州のみなさまが発する言葉のイントネーションが違います。
    寝台特急さくらは→→→ 花のさくらと同じでした。が、なぜか新幹線さくらは ↑→→ 一般人はもちろん、JR九州のみなさんの車内放送も ↑→→ 花のさくら→→→ と違うことは認識されているようです。何人かのJRスタッフにも確認しました! これって九州の方言?でしょうか。他地区では如何でしょうか・・・失礼しました・・・

    • おとりん様
      いつも、コネタのコメント、ありがとうございます。コネタ、大歓迎です。些細なこと、ショーもないこと(失礼)を、おもしろ、おかしく論じるのは、当会の伝統でもあります。さて、ご質問の「さくら」の発音、言われてみれば、その通りですね。新幹線車内放送も「さ」にアクセントがあり、九州ではなく、JR各社の思いが見え隠れします。思うに、過去のブルトレイメージのしみ込んだ「さくら」から決別して、新幹線の愛称としてアピールする狙いがあったのでしょうか。もともと「さくら」には二種類のアクセントがあって、桜のように平板なものと、人名、地名(佐倉など)のように「さ」にアクセントのあるものがあって、後者を採用したのでしょうか。

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