68190の続編は遠州鉄道の規格型

太平洋戦争は日本の全面的な降伏で終わった。鉄道の復興で被害の大きかったものに車両も上げられた。当時の所管機関であった運輸省は、車両新造には独自の標準設計を決め許可制とした。これに基づいた車両の建造は少なかったが、制約を受けた割には鉄道会社の独自性に負うものがほとんどであった。復興資材が取り合いにならぬように国が認めた新造車の資材については責任を持って優先的に割り当てるということであったが、鉄道会社はそれぞれに動いた節もあるようだが、それには触れない。

割り当てによる車両建造第一弾は悪名高いモハ63型で、関西では南海電鉄20両、山陽電鉄20両が知られている。その後、規制は緩和され独自設計のものが各社で出現したが、その内容は中学生(1951年)になり、松本模型店が開業するに及び鉄道趣味誌購読することで知り関心を持つようになった。規格型電車は大手私鉄中心に建造され、関西の中小私鉄では奈良電鉄と神戸電鉄だけであった。東海道線沿いで遠州鉄道にある事を知り、東北旅行は東海道線利用で浜松に立ち寄り調査することにした。西が崎車庫で車両竣工図を見せていただき直ぐに分った。電動車13,14号、制御車51,52号の4両で、戦争中に新製された11,12号を原型としていた。53,54号は規格型車両の指定を受けたものではなく、11,12号の制御車として使われていた。これら8両が主力で昭和20年代の混乱期を乗り切っていた。

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その後、木造車の老巧化に加え耐火構造への運輸省通達は、車両近代化へと進み大手私鉄のお下がりを待つのではなく、意欲的な新型車登場となった。軽量構造の61号制御車で湘南スタイルの魁となった。その量産は新技術の採用を伴い、車体長と巾の延長は収容力の拡大に繋がり現在の遠鉄の標準仕様となった。昭和33年11月竣工のMc31+Tc81編成に始まり2年後には寸法拡大、出力増強と進み20年に及ぶ長期間量産を達成した。これは地方中小私鉄としては稀有のことであった。

西鹿島から国鉄線乗り入れに04型を3両購入した

ーつずくー

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