福知山線道場界隈の記録に寄せて

haya11福知山線廃線跡記事の続々編、道場近くの今昔です。準特急さんの写真のお陰で随分はっきりしました。

【昔】右写真:撮影準特急さん、第五武庫川橋梁を行く723列車。直ぐ奥の道路橋は当時の地図になく不詳です。
【今】下写真:岩はそのまま、橋台跡と思われるコンクリート部分が残っています。川中に橋台は残っていません。
IMG_7118【昔】下左写真:準特急さん撮影、踏み切り前の701列車、左隅に失くなった橋が写っている
【今】下右、部外者進入禁止。haya12IMG_6902

【今】下、盛り土跡が残る踏切付近、同じ場所の軌道跡、バラスもところどころに。
左上の工事は新名神国道の建設。(tsuruは空から、kameは隙間から侵入撮影)
IMG_6899【今】左:川中に残る橋台跡と、橋に向かう道路跡、右手に橋に向かう道路と線路の土堤。何故川中に台跡が残っているのだ不思議だったが、お陰で解明できました。
右:左岸に渡る現在の橋。ひょっとすると第五橋梁の橋桁の転用?
IMG_7054IMG_7023

【昔】下左:準特急さん撮影727列車。踏み切り小屋と遮断機ポールが写るっているが場所が判らない。民家があるから道場に近い所と思われる。【今】下右IMG_6670道場駅跨線橋から東を望む。
haya13

道場駅は現在地よりも、少し西にあったと思われるから、武庫川を渡って直ぐの踏切ではないかと想像される。いずれにしろ、筆者一人では想像するしか仕方なかった事が、解明されてすっきりしました。持ち寄るものですね。高齢者諸氏の”昔”を。準特急さんに感謝です。

福知山線道場界隈の記録に寄せて」への1件のフィードバック

  1. Tsurukame様
    早速新旧対比をしていただき有難うございます。撮影位置の若干のズレや半世紀の経過による自然界の微妙な変化があると思いますが、急行「三瓶」の背後の山容や第五武庫川橋梁付近の岩肌などはそのままの様でして逆に先輩によく撮っていただいたと感謝しております。左岸に渡る現在の橋は確かに鉄道橋梁(第五武庫川橋梁)を流用した感じですね。JR西日本黙認(?)の廃線跡遊歩道の生瀬-武田尾間に対し、奮闘努力の必要な武田尾-道場間探検調査を果敢にされたTsurukame様に敬意を表しますとともに私の道場界隈オールドワンデイカメラハイクが少しでもお役に立つならば大変嬉しく思います。

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