5年前のあの時のこと

 総本家青信号特派員さんが「あの日から5年≪鉄道版その1≫」を見て、ハットしました。5年前のあの時はまだ富山で仕事をしていました。ちょうど、ダイヤ改正前で富山でも高山線のキハ58+キハ28の最終運行となるということで、前日の10日と最終日の11日に撮影をすることにしました。19時台に富山発越中八尾行きがあるので、それを撮影することにしたのですが、夜であることと仕事帰りに車で行って撮れる場所として速星駅にしました。近くにファボーレというショッピングセンターがあり、ここの駐車場に車を停め、ついでに買い物をして帰るという算段でした。(いつも買い物に行くので買い物のついでに写真を撮りに行ったといってもいいかもしれません。)

3月10日の速星駅-1

 ヘッドマークを付けたキハ58+キハ28が到着して乗客が降りて行きました。

 3月10日の速星駅-2

夜行ディーゼル急行列車と言ってもおかしくないような雰囲気があります。

3月10日の速星駅-3

3月10日、あの巨大地震の前日のことでした。まさか、あんなことが起こるとは・・・・

 朝もこのキハ58+キハ28の編成で富山から越中八尾まで運行されているので、ぜひ撮ってみたいと思っていました。仕事があるので写真を撮るからといって休んだり、遅刻することもできないし・・・よく考えてみると車通勤であったので、越中鵜坂駅であれば時間的に写真を撮ってすぐ会社に向かえば遅刻せずに写真が撮れることができるのでした。

 7時頃に越中鵜坂駅に着き、富山行の列車を撮り、目的の列車はこの富山行と西富山駅で交換となります。若干ですが遅れているようです。7時20分頃にやってきました。

3月11日の越中鵜坂駅-1

「ありがとうキハ28-58 富山地域鉄道部」というヘッドマークを付けていました。絵柄は立山連峰と風の盆の踊り子です。

 写真を撮ってすぐに会社に行くと、一緒に働いている人たちがあまりにも私が出社するのが遅いので、もしかして家で倒れているのではないかと心配していたようでした。更衣室で着替えていると携帯電話の呼び出し音が鳴って、電話に出ると、電話機の声と、隣の休憩室の声と同じでした。「どこにいるんけ」というので「となりの更衣室にいてるで」と言って隣の休憩室に行くと「家で倒れていると思たがやちゃ。心配させんといてくれんけ。何で遅れたんけ」と聞かれたので列車の写真を撮ったいたとは言えず、「ちょっと」と言ってごまかしましたのでした。

 地震発生時は工場内をウロウロと動き回っていたので、揺れは感じませんでしたが、事務所に戻るとなにやらとんでもない大きな地震が発生したとみんなが言っていましたが、はっきりとわかりませんでした。わからないままで退社して昨日と同じようにショッピングセンターの駐車場に車を停めて、速星駅に行きました。そこで見たものとは・・・・

 駅にあったテレビ画面にくぎ付けになってしまったのでした。そこで見たのは海から遠く離れた広い農地に攻め寄せてくる波でした。アッという間に家や農地が飲みこまれていくのを見て何が起こっていたのかということが初めてわかったのでした。駅におられたJR職員の方にお聞きすると東京方面の列車はほとんど動いていなくて、東京は大変なことになっているということでした。しかも、ダイヤ改正に関するイベントはすべて中止ということでした。しばらくすると目的のキハ58+キハ28の列車がやってきました。とりあえず、撮影をしましたが、何やら複雑な気持ちでした。

3月11日の速星駅-1-1

 2011年3月11日速星駅に最後の富山発越中八尾行きキハ58+キハ28がやってきました。

3月11日の速星駅-2

この列車は越中八尾へ向かって出発して行きました。列車を撮り終えて、急いでショッピングセンターに向かいました。その時、ある心配事を思い浮かんだのでした。とにかく、急いで帰ることに・・・・ その心配事は次の日の朝に消え去ったのでしたが。その心配事とは・・・・

5年前のあの時のこと」への5件のフィードバック

  1. 真っ黒の画像です。見苦しいので出来る限り画像修整しております。「記事の続きを読む」も一緒に修正しました。ご了解ください。

    • 管理人様
       せっかく画像修正いただきましたが、画像を明るくすることで荒れていて余計に見苦しくなっていましたので元に戻しました。暗さを表現したいのでこのままでよろしくお願いします。投稿画像についてはいつも画像修正して、プレビューで確認しております。ご了承お願いします。「記事の続きを読む」のところは修正していただいた所にしようかと悩みましたが、この方がいいですね。ありがとうございました。

  2. どですかでん様
    おぅ~、5年前はまだ富山時代だったのですね。私もキハ58を撮りに行きましたよ。ちょうど、どですかでんさんの1週間前でした。雪の積もる速星、千里で、まったりと撮りました。良かったです。前日は、夜間にキハ58に乗ったのですが、写真のキャプションにあるように、まるで昔の夜行急行列車の雰囲気がしました。たぶん、気動車独特の揺れやニオイ、車内構造が、タイムスリップさせたのでしょうね。

    • 総本家青信号特派員さん そうなんですよ。まだ越中にいました。越中をさいならしたのはこの年の11月でした。このキハ58+キハ28は、この1年前(2010年2月28日)に大糸線糸魚川にキハ52撮影とレンガ造りの車庫の一般公開の時に乗りましたし、撮影もしました。車内にあった運賃表が猪谷とか書かれていたので大糸線への出稼ぎに行っていたようです。この時に糸魚川駅で帰りの北越を待っていると、待合室のテレビに太平洋沿岸(三陸海岸)のところに大津波警報が出ているのが写っていました。調べてみると前日の2月27日に発生したチリ中部沿岸で発生した地震によるものでした。富山に人は地震が少ないので奈良から富山に来たらと言っていましたが、安政5年の飛越地震で立山連峰の山が崩れて、山が一つ無くなっています。この時の土砂災害による砂防工事の為に立山砂防工事専用軌道があります。これは文化遺産に登録されています。地鉄立山駅すぐのところに砂防軌道の施設と立山カルデラ砂防博物館があり、立山の違ったところを知ることができると思います。ここには何回か行っています。黒部峡谷とは違った面が見られると思います。

      • どですかでん様
        コメント、ありがとうございます。しょちゅうお会いしていると、ずっと前から関西にお住まいのような気持になりましたが、5年前はまだ富山でしたか。この5年間、さぞ激動の時代だったと思います。
        安政5年の大地震の痕跡が今も残り、その改修のために、砂防軌道があること、初めて知りました。安政5年と言えば、今から160年ぐらい前ですが、地球の歴史からすれば、まばたきするような時代なんでしょう。

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