▲ 7:01 静寂の白い野をシャカシャカとロッドの音を響かせ行く黒いラッセル列車。カラーで撮っているのに関わらず、モノクロの世界しか残せませんでした。それが津軽の冬、みぞれまじりの氷雨降る中シャッターを切りました。雪飛ばしツアーでは1番気に入っている写真です。
第5日目 2月21日
今日はこの旅の最終日、悔いなく切り上げようと、5時には起き上がりました。窓から見る夜明け前の空はまだ暗く、撮影後はそのまま空港に向かうために荷物を車に積込んでの出発です。
▲ 6:11 まずは津軽五所川原の駅構内に参りました。願いが通じたのか空からは白いものが降ってきました。
▲ 6:21 排雪板(ブレード)も問題なく開きます。これでラッセル列車の準備が出来たようです。我々も急いで撮影地へと出発です。
▲ 7:01 五農校前~津軽飯詰 雪はみぞれに変わりました。夜明けの白い野を黒い塊りが見えやってきました。
▲ 7:12 追いかけて列車交換待ちする津軽飯詰でキャッチしました。
▲ かつては有人駅だった津軽飯詰、綺麗に整頓されて迎えてくれました。
▲ 津軽名物ともなった地吹雪の里にある駅です。間垣(まがき)の設置がされています。
▲ 7:16 ラッセル列車と津軽中里行きDCとの交換です。日曜日の早朝です、乗客は誰もおられませんでした。
▲ 日本で現役のラッセル車(雪かき車)は弘南鉄道に2両と弘南鉄道に1両の計3両です。ただ、ここは後押しするディーゼル機関車も老体で、度々故障して前回は出動できずでした。取り換える部品が既に生産されていなく、特殊で調達まで何か月もかかるそうです。
▲ 7:58 毘沙門~嘉瀬 先ほどの列車が金木に向かって行きます。
【 津軽鉄道 】
1930年(昭和5年)11月13日に五所川原~津軽中里20.7㌔全線が開業した津軽鉄道は津軽半島の中央部を南北に走りますが、急勾配はなくほぼ平坦線です。当初は三厩・青森まで延伸される計画だったそうですが、1958年(昭和33年)10月21日に国鉄津軽線(五所川原~青森)55.8㌔が全通した事で消滅しました。
輸送客数は1974年(昭和49年)の約256万人をピークに減り続け、2010年(平成22年)には12.1%の約31万人にまで落ち込みました。弘南鉄道大鰐線と同じく沿線人口の減少、また道路整備が進みバス、ドアツードアの自家用車に客を奪われたのが理由です。
しかし、ここ数年はストーブ列車による観光客の取込みが成功?したのか落ちついてきています。会社本体がこの地区のバス事業をほぼ独占していますので弘南鉄道大鰐線のように経営が深刻にはなっていないようです。
▲ 8:26 DC2連が津軽中里に向かって行きました。
只今の気温は-3℃、ようやく冬の津軽らしくなってきましたが、氷雨は雪に変わることなく降りしきっています。
▲ 8:31 チャーターしたラッセル列車の戻りです。金木から折り返したのか・・。
▲ 9:07 毘沙門へと再度折り返してくるラッセル列車、今度は津軽飯詰から折り返したのか・・。積雪があれば津軽鉄道で屈指の撮影地なのですが・・。
▲ 同じ場所で以前はリンゴ園から撮っています。意外と津軽鉄道沿線ではリンゴとのツーショットが撮れず撮影地を探しました。
撮影日;2012年10月10日、紀行記は、みちのく一人旅 Part 2 です。
▲ 9:28 五農校前~津軽飯詰 朝のストーブ列車の津軽中里行きです。勾配の少ないこの路線ですのでDCメロス号が牽引します。
▲ 9:37 津軽飯詰 チャーター最後のラッセル列車です。津軽五所川原に戻ります。
この後は皆さん津軽五所川原に集合して、現地解散です。前日ストーブ列車に乗車されていない方々は車を置いて津軽中里への乗り鉄を楽しまれます。また引き続いて撮影に励まれる方もおられましたが、我々は大鰐温泉に向かって旅の垢を落とすことにしました。
【 美味しくないそば 】
▲ 10:58 弘前方面に向かう途中でまだ今日は食事をとっていないので朝食兼昼食を食べようとなりました。ただ国道沿いの食事処は11時からの営業開始が多く、まだ開店していません。たまたま見つけたそば処”北の〇”に入りました。私は例によってざるそば、他の皆さんはカツ丼をご注文されました。ご覧のようにカツ丼はボリーム満点で美味しそうですが、ざるそばは手打ちではなく、香り・コシ・喉ごしもなしです。お腹が減っていたので完食しましたが、東北で食べた中では××のものでした。
【 寂れてはいるが、安くて広く寛げた泉質も良い喜龍温泉 】
食後ぶつぶつ言いながら先を進むと五能線藤崎駅近くで喜龍温泉玉の湯の看板が見えました。なんの変哲もない寂れた建物ですが、入浴料は350円と格安です。大鰐温泉まではまだまだあります。お腹もふくれて満腹ですのでゆっくりとできればそれでいい。ここからなら青森空港までは近い、一応源泉かけ流しの温泉なので、”まあいいか”になりました。
老朽化した温泉ですが正真正銘の源泉かけ流し、湯量も多いアルカリ性で歩く時に気を付けないと滑るほどつるつるしていました。何よりも浴室は空いていて、広くて大きな浴槽でした。
すっかり長湯になって、あがってからもロビーでゆっくりとしました。穴場ですかね。
14:25 青森空港までは約21㌔、所要約30分余りで到着。そして、レンタカーを返す頃には突然の降雪に見舞われました。降る雪は半端ではなく見ている間に辺りは真っ白になっていきます。あぁ~、半日早くこの雪が欲しかったと嘆きました。
【 またも天候不良で遅れるJAL 】
チェックインカウターへ行くと既に別グループが到着しておられました。東京への帰路を急がれる方がおられてキャンセル待ち搭乗をしようかと考えておられます。そして、フライト情報を見ますと私が予約している大阪便は天候不良で着陸できず着陸空港変更もあるとの掲示です。1便前の15:20発も遅れるとの案内になっていました。
私も家の事情で早く帰らないといけなくなっていましたので1便早い15:20発の便に搭乗したいのですが、購入しているのは特割チケットで、”ご予約の変更はできません。ご予約便に限り有効です。”の搭乗便限定ですので規則では搭乗変更はできません。
カウンター嬢にお聞きしますと、「着陸空港変更のなると今日の搭乗は出来ません。予約されていますのは最終便ですので、もしそうなった場合は翌日の搭乗となります。ただ1つ前の便は予約満席ですが、現在2名のお客様が未着となっています。もう20分間お待ちください。未着となった場合は特別にキャンセル待ちを適応させていただきます。」とのありがたい返答です。
予約便がフライト変更となる事が予想された場合は、1便前に空席があれば搭乗可能になる事が分かりました。ただJGC会員だからできた便宜だったのかは未確認ですが、キャンセル待ちとなった場合には1番手で特権を生かせます。
15:15 予約未着客はついに来られず「搭乗口までお急ぎください。」と、搭乗券が発券されました。
15:20 既に他の客は搭乗済み、最後の搭乗客となりました。
▲ 15:30 副機長が席までやってきて翼に降り積もっている雪の量を窓越しに確認した後、遅れてのフライトでした。積雪が多い場合は、雪落としが必要となります。
搭乗機は初めてのボンバルディアCRJ200、座席数50人でした。往路はこれも初めてだった1回り大きなエンブラエル170、座席数76人でしたので機内持ち込み荷物は荷だなに収まりましたが、CRJ200ではキャリアーケース、カメラバックとも入りません。搭乗後、貨物室預けになりました。地方線に搭乗する時は機種も調べておかないといけないと知りました。
17:22 伊丹には約20分遅れの到着でしたが、そもそもは19:55着でしたので約2時間半早くに着けた事になります。
こうして今回の4泊5日の旅は終わりました。函館は日中のササラ電車の雪飛ばしが撮れました。白い道行く市電も朝は撮れましたのでまあまあだったと思いますが、弘南・津軽鉄道のラッセルは冒頭のカットを除けば惨敗です。来年に機会があれば再挑戦したいと思いました。
最近は温かくなってきて近場で雪景色と鉄道が撮れる機会がなくなってきました。家の都合もありますが、天気予報を見ながら、もし雪が降るようでしたら福井・えちぜん鉄道で再挑戦したいと思っております。
紀行記をご覧いただきまして、ありがとうございました。老体が自走できる限り頑張りたいと思っております。またよろしくお願い申し上げます。
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