昨年冬から母親の病状悪化のために何かあった場合に備えて連絡のつきにくい外地訪問は封印となっていました。内地だけで鉄ちゃん活動を強いられていましたが、最近になって病状が急激に良くなって、専門家の家内からも「これから相当に長い付き合いに成りそうよ。出かけても大丈夫。」との診断が下りました。
6月、大阪で開催された小竹直人先生との写真展に参加してみますと、会場でいつも海外にご一緒させていただくW田さんより「神谷さんのインドネシアのシュガートレインツアーが今年も開催されます。今募集をしているので聞いてみてあげよう。」と、連絡を入れていただき、即決の参加表明になりました。
【 ツアーの内容 】
ツアーは今まで行ったことのないジャワ島東部の製糖工場訪問と、タイのパシナ撮影も含まれていての現地集合・解散の8月6日~8月14日の8泊9日の期間です。すぐにJALのHPから海外航空券の料金を調べると10万円前後で高額ですが、毎日が日曜日族にはツアー開催日を含めて安いフライト日を自由に設定できる強みがあります。インドネシアは3回目の訪問で乗り鉄旅もやってみたいと思ってました。またツアー解散地はバンコクなのでヤンゴンまでフライト時間1時間20分前後で行けます。広電を見に行ける絶好の機会です。これらを含めて行程を練っていきました。
【 航空券の手配に難儀する 】
日程を確認してからJAL航空券の手配を行い始めましたが。当初は約56,000円程度で安かった航空券はわずか1週間程度でなくなっています。溜まっているマイレージでも手配をかけましたが、これも空席待ちです。
焦るところですが、今まで航空券が取れなかったことは一度もありません。海外では最近、テロも発生しているのでその内に席が空いたと電話が来ると楽観的に思っていましたが、1週間、そして空席待ちを延長しての2週間を経過しても状況には変化ありません。既に単独行動をする間のホテルの大半の手配は済ませていますので心配になってきて、JALのグローバル会員専用デスクに問い合わせをしてみることにしました。
聞いてみますと、夏休みとあってかなり前から満席状態となっています。ここ2週間を見てもキャンセルはなく空席待ちでの期待は難しいかもとのお返事です。それでは、現時点で有料搭乗するなら最も安い日程はいつだろうとお聞きしますと、「往路8月2日伊丹⇒成田⇒ジャカルタ、復路8月17日バンコック⇒関空のフライトが最も安いチケットは税・諸経費込みで71,800円です。」との返答です。とりあえず、これを押さえておき、様子を見てから後日の7月7日に購入としました。
【 ビザの手配 】
前回は取得に約1ケ月を要したミャンマー入国ビザ(5,000円)は、今回は約1週間に大幅スピードアップされていました。写真展の開催場近くのミャンマー渡航支援情報センターで難なくできました。
インドネシアもビザが必要で飛行機で入国後に25㌦を支払って現地発行されていましたが、2015年6月12日より30日以内の観光目的で入国する場合に限り、免除されていました。
両国とも行きやすくなりました。特にミャンマーは東南アジアの原風景が最も残っている国で、前回はナムツ鉱山まで行きました。今回はヤンゴン市内だけですが、これから地方へも訪問したい国ですので助かります。
【 渡航前のトラブル発生 】
準備を済ませて後は指折り数えて待つだけとなりましたが、2つのトラブルが発生しました。1つは既に投稿しました7月に入って分った訪問予定のヤンゴンの広電路面電車の運行休止。もう1つは、2週間前の7月17日に発症した脳梗塞でした。
この日は朝食を済ませてからいつものようにベットで少し朝寝をしてから起き上がりましたが、どうも身体が重いように感じました。そして立ち上がって歩こうとしますが両足の関節が脱臼したような感じで、力が入らずまっすぐに歩けません。横にいた孫にジイジは様子がおかしいからバアバを呼んでくるように行かせました。
家内は一目見て、動かないように言い救急車を呼びました。2階の自室からは降りられずタンカに乗せられ下されて病院へ搬送です。行きつけの総合病院が受け入れてくれ、すぐにCTスキャン等の検査と血液を綺麗にする点滴が始まりました。主治医から「血の流れも良く高血圧でもない貴方が発症するとは思わなかったが、タバコをよく吸うのには問題があった。お酒の量も多いのも要因になっていたでしょう。後遺症が残らなくて何よりですが、しばらく入院しての精密検査が必要です。」と言われてしまいました。入院は好みませんので、夕方落ち着いてきましたので退院を申し入れて歩こうとしましたが、やはり関節が抜けたようでよろよろ状態で歩けません。諦めて入院手続きを取りました。
2日後、CTでは患部が分らなかったのでMRIでの再検査が行われましたが、脳内の血管が詰まったであろう小さな点しか見えず断定には至りません。しばらくは入院して点滴治療を続けるしかありませんでしたが、翌朝には困難だった歩行も問題なくなり、退屈な入院生活となりました。担当医からは2週間程度の点滴治療を続けながらの入院を薦めるとは言われましたが、症状が出ていないので耐えるのは無理です。
こんな事で、しばらくは入院して経過状態を見なければいけなくなりましたが、渡航は2週間を切っていました。
【 決断 】
入院後の経過状態はあれは何だったのかと思うほど良好で、担当医からは通院投薬治療でも十分との診断になり、退院は5日後でした。ただ家族一同からは当然ながら今回は心配です。もし再発した場合には一緒に行かれる方に多大な迷惑がかかる。訪問する国は医療体制が日本とは違って遅れているので不安があると猛反対を受けました。担当医にも相談しましたが、やはり渋い顔をされました。
これは諦めざるを得ないかと思いましたが、身体が元に戻ってくると行かないのには悔いが残ると強く思い始めました。インドネシアのシュガートレインは聞いていると殆どが運用についていない様子で、最後の撮影チャンスになりそうです。ミャンマーを走るキハ181にも会いたい。幸い後遺症もないし、再発するかもと言っても予測不可能な病です。くたばる時は運命に任そうと、いつもの割り切りが出ました。
第1日目 8月2日 その1
① 長岡天神6:03(阪急)⇒6:18南茨木6:31(大阪モノレール)⇒6:54大阪空港
② 伊丹7:55(JL3002))⇒9:20成田10:50(JL725)⇒16:35ジャカルタ
ツアー本隊より4日前に出発です。私は環境の変わった土地に身体がすぐになじめないのでこの行程がベターです。大反対でした家内ですが、いつものように長岡天神駅まで送ってくれました。伊丹発、成田でトランジットしてジャカルタを目指します。
▲ 9:48 自宅を出る時に軽く食べてはきましたが成田に着いてからはすぐにラウンジに入り朝食です。いつも同じ時間に来ていますが今日もたくさんの渡航客で込み合っていました。
▲ 10:35 ラウンジで搭乗案内を待ちます。掲示板には搭乗開始となっていますが、突然の雷雨となって預け荷物の積載が出来ないので遅れますとの案内をいただきました。
約35分遅れの10:55に搭乗開始案内が出ましたがこのラウンジからゲートまでは随分離れていました。近くにももう1つのラウンジがありました。
▲ JGC会員デスク予約時に席はCAさんとのお見合い席が足元が広いので出来ればお願いしたいと希望を出しておきましたら、伊丹で受け取ったチケットは17Kになっていました。エコノミー席チケットでしたが、搭乗してみると1クラス上のプレミアムエコノミー席にアップグレードされていました。シートピッチはリクライニングすると10㎝広がって快適です。スリッパや新聞雑誌等のアメニティはビジネスクラス並みのサービスです。食事はエコノミーと同じですが「うどんですかい」が注文できます。飲み物も追加されて焼酎やシャンパンが選べます。
こういった上級会員へのアップグレードによるサービスはJAL破たん前にはよく行われていましたが、以後ピタリとなくなっていました。最近はJAL以外に浮気することも多くなっていましたので、引き戻し策なのでしょうか。私が受けたアップグレードは、約5年ぶりです。空席がある時は是非に復活して欲しいサービスです。ジャカルタまでの搭乗時間は7時間45分、快適な空の旅になります。
▲ 13:45 離陸1時間25分後に提供された機内食です。今日はいつもとちょっと違ってフードスタイリストの飯島奈美さん監修メニューで、パスタと塩おでんと茶飯の2種類から選びました。
迷わず後者を注文しましたが、これが中々のお味でした。今まで食べた機内食でも10本指にランクできます。
食事後はビールや日本酒を飲みながらゆっくりとくつろぎました。
▲ 17:46 離陸は遅れましたが後は順調に飛んでジャカルタ到着間近のアナウンスが出ました。
16:50(現地時間18:50)にジャカルタ国際空港に到着です。
▲ 17:31(現地時間)、入国手続きを終わってからは Ipadに入れるSIMカードの購入です。到着ロビーに出ると左側に「Queen Cellular」のお店が1軒見えましたので早速購入しました。
▲ 約2週間4Gの使用が欲しいと注文すると300,000 IDR(約3,000円)を要求されました。日本と比べると安いですが適正価格なのかは?です。(多分、街中の方が安いのでしょうが、それまで待てません。)
空港を出てからは1人旅で、私にとってはIpadは必需品です。首都の国際空港なので法外なぼったくりはないだろうと、全てセットしていただき支払いました。
これからジャカルタのホテルへと向かいますが、飛行機が遅れたので夕闇が近づいています。安いバスにしようと思っていましたがバスターミナルが分りません。タクシーに乗って向かうことにしました。 Part2へ続く