3月のある日、「おろち号で備後落合まで行って、そこでどうするねん。」と言われて「おろち号を撮りますねん。」といったところ、「なにもないで。悪いこと言わんからやめとけ!」とありがたい忠告を受けたのであります。木次線ツアーに行く前に現役時代に2年先輩の人との会話なのですが、40年ほど前にもこのような会話がDRFCの室町BOXであったようななかったような・・・そんなことを言われても、とにかく行くことにしたのです。それより天気の方が心配でありました。備後落合に行く4月9日は週間天気予報の傾向から雨が降るような感じであったのです。しかし、実際は時々日ざしがあるまずまずの天気でありました。
木次線ツアーについてはすで多くの方が報告されているので省略させていただきます。さて、木次から乗車したおろち号は沿線の山村風景が展開するところを走っていきます。車内では地元の木次乳業の牛乳やアイスクリーム、プリンを車内販売があります。そばは八川駅、亀嵩駅で予約しておけば駅で受け取れるようです。
そして、メインイベントの三段スイッチバックの出雲坂根駅に到着です。駅はきれいになっていて、延命水で有名ですが、今は焼き鳥もなかなかおいしいようです。出雲横田駅から地元のボランティアガイドさんが乗車して、まさしく観光トロッコ列車です。三段スイッチバックを登って行くとおろちループが見えます。しかし、まるでおろちが口から煙幕を吹いたような雲がかかってはっきり見えません。
備後落合駅に到着少し前ぐらいから日ざしが出てきました。これは撮影には好都合です。到着後すぐに撮影ポイントに急いで向かう必要があります。おろち号は到着後21分で折り返して木次方面に出発するからです。ついにクモハ73106東ウラさんが46年前に撮影されたと思われるポイントにつきました。後はおろち号が来るのを待つだけです。しばらくするとおろち号がやってきました。今度、いつ来るかどうかわかりませんので失敗は許されません。心地よい緊張感です。アッという間におろち号は木次へ去ってしまいました。
民家は既に廃屋となり、田んぼも荒地になっています。人の営みがなくなれば元の原野に変わっていくようです。ここに来るまでの間にはまだ生活をしている人家があり、駐在所もありました。駅前にも立派な建物があり、ただの民家ではなさそうでした。駅に戻る前にすでに廃屋となった家を撮影しておくことにしました。廃屋であるのに黒光りした屋根瓦が印象的でした。
ところでどのようにして、この撮影ポイントを調べたというと、今はネット上でいろいろな種類の地図が見ることができます。それを利用しました。まず、国土地理院の地形図から調べてみました。さがすものとしては木次線の鉄橋とクモハ73106東ウラさんの写真に写っていた民家とそこに渡る橋です。地形図上で民家がわかりましたが、橋がわかりません。そこで次はGoogleマップで調べてみました。この地図では国道と鉄道と川しか 表示されません。そこでEarthという空中写真で見ると橋が写っていました。さらに駅の前を通っている国道183号線からのストリートビューを見ることができましたので、撮影ポイントの位置が確認できたのです。実際に調べた撮影ポイントに行き、写真が同じような雰囲気になるところで撮影をしたということです。今回の旅の最大の目的は達成することができたのです。
備後落合ではもう一つの知らないことがわかりました。それはおろち号のガイドさんが言っていたことで、「砂の器」を執筆された松本清張さんが備後落合で宿泊されたということです。このことを松本清張さんが紀行文として書かれているコピーが駅のファイルにありました。この紀行文はあとで調べると雑誌「旅」に掲載されていた「ひとり旅」という中の「芸備線の一夜」という文です。駅に置いてあるこの紀行文を読んでみると八畳ばかりの部屋の真ん中にある掘りごたつに七、八人の泊り客が足を突っ込んで寝たと書かれてありました。学生時代に某先輩の某下宿でこたつに四方から足を突っ込んで寝たことをふと思い出しました。
さて、この宿屋は現存するのだろうか。そして、私は松本清張さんと同じく備後落合から芸備線で新見方面へ向かったのです。
備後落合の写真をありがとうございました。同地へは、何年か前に参りましたが、時間の制約や準備不足もあり、この場所を探し出すことが出来ませんでした。懐かしさでいっぱいです。樹木が成長したとはいえ、民家、川の流れなど46年前にタイムスリップしてしまいました。撮影当日は、備後落合の旅館に宿泊し、翌日出雲坂根に赴いたという記憶があります。今は、その宿は存在しないでしょうね。
懐かしく写真を見ていただきうれしく思います。クモハ73106東ウラさんの写真と見比べても、おっしゃるように樹木が成長しているのと民家が廃屋になっていること以外は46年前と同じ雰囲気でした。47年前に備後落合の旅館で宿泊されたとのことですが、駅を出て、橋を渡る手前にある大きい民家に住んでおられる方にお会いした時に立派な家なので店か何かされていましたかと尋ねました。そうすると、以前はやどをしていたとのことでした。備後落合と油木の中間点に民宿比婆山温泉がありますが、47年前はどのあたりの旅館に泊まられたのでしょうか。備後落合駅すぐ近くの宿でしたら、もしかしたら松本清張さんが泊まった宿と同じかもしれません。
備後落合の宿屋ですが、1971年3月18日(木)に宿泊しております。駅近くの宿でしたので、どですかでん様がおっしゃるところだと思います。当時のノートを見ますと、宿の名称は記されていませんでしたが、1,100円支出と書かれていました。食事付きかどうか、全く記憶にありません。(翌日、米子?で食べたかつ丼が180円と記されていますので、金額比較から夕食は付いたのかな?)
18日は布原で撮影後827レで備後落合17:08着。
19日(金)備後落合6:28の448Dで出雲坂根、9:18の497レ撮影後道後山へ行き、再度14:37に備後落合に戻り、この場所で15:13の496レを撮っております。このあとは、新見~米子経由で801レさんべ3号で長門市へ向かっているようですね。どですかでん様からこのお話しがなければ、当時の行動を振り返ることはなかったと思われます。ありがとうございました。
あれだけやめとけと言うたのに、窓ガラスも無い吹き曝しの客車にやっぱり乗って行きましたか。それにしてもいい写真が撮れましたね。橋とその左の建物が気になりますが、フォトショップで消したりしないようにしましょう。
撮影のあと、ドライブインにでも行きましたか。備後落合駅で暇を持て余したのでもなさそうですね。
そうですねん。あれだけやめとけと言われたのに、運転席付の大変風通しのいい客車に乗って、備後落合までいてきたんですわ。けっこう、おおぜいの人が備後落合で降りて乗り継ぎの時間つぶしをしてましたわ。まあ、こんなところにはなかなか来れませんので、おもろかったでっせ。ドライブインにはいかんかったんですが、ご奇特な人がいてドライブインに行って缶コーヒーを飲んできたそうですわ。フォトショップで消すようなことはしまへん。めんどくさいから。しかし、この写真はクモハ73106東ウラさんの写真があったから撮れたので、まあ、いうたらマネしんですよって。46年経って撮った写真でもいいのはクモハ73106東ウラさんのオリジナル写真がそれだけごっつういい写真であるということですわ。こんな写真を撮らせてもらえるとは、ほんまありがたいことです。