凍える大地への旅 2016年 Part17 青春18きっぷの旅 旭川⇒音威子府 ラッセルを撮る

第10日目 12月18日 その4

音威子府行きのキハ54-504に荷物を置いてからホーム先頭へ行き、午後2時頃には来るであろうラッセルを待ちました。

▲ 14:02 予想通り旭川に到着したラッセル車のDE15-2515号機編成です。南稚内からやってきてこれから折り返すようです。

② 旭川 14:20(327D)⇒14:47 比布

ラッセルを撮るには先行する列車に乗って先に撮影地に着いていなければなりません。
撮影場所はネットで探した比布をまあまあかなと選びましたが行ってみなければ分かりません。

ipadを取り出してGoogle地図を見ながら撮影場所を探します。駅に近くてウイングが開いていて雪が多い場所が1番なのですが、初めてきてそんな好撮影地など見つけられるはずはありません。
まあちょっと開けていて邪魔物がない場所なら文句は言うまいと、比布を選びました。
当初は昔撮りに行った塩狩かなとも思ったのですが、なぜか比布を選んでいました。

▲ 14:45 比布駅が見えてきました。

▲ 14:46 乗車したキハ54-504を降りて比布駅舎に入りましたが、綺麗にリニューアルされていました。荷物を預けたいのですがロッカーがありません。駅舎内にはカフェカウンター「ピピカフェ比布駅」が設置されていましたので、後からお買い物をするので預かってとお願いしました。

▲ 15:03 ダイヤ上、駅から歩いて約15分程度が限界でした。着いてしばらくするとラッセル編成がやってきました。線路に残った雪はわずかなものです。それでも少し飛ばしながら通過です。降雪がなかったので仕方ないですがショボさは否めません。
今回は宗谷本線稚内までの鈍行乗り鉄旅が目的ですのでこれでも良しとしました。


③ 比布 15:20(3323D)⇒16:32 名寄

15:20 比布からは快速なよろ7号のキハ40-830の単行で北上します。
名寄までの59.1㌔を所要時間1時間12分ですので表定速度は49.2km/h、快速で途中止まるのは4駅だけですので速いと言える列車ではありません。
ただ運転停車時間が13分間ありますので平均速度は、60.1km/hにはなります。

最初の撮影候補地では鉄ちゃん2名がカメラを構えておられました。こっちの方が良かったのかなと悔いが出ましたが仕方ありません。

 

 

▲ 比布から乗車した3323Dはキハ40-830の単行です。乗車率はご覧の通りで、暖かい車内で殆どの皆さんは眠っておられます。▲ 15:33 蘭留で上りの快速なよろ8号と交換です。北の大地の夕暮れは早くに来ます。だんだんと暗くなって来ました。
15:43 次の塩狩にてラッセル編成を追い抜きました。名寄までの途中で降りてラッセルを待ち受けても良いかなと一瞬思いましたが、さっきのショボさの印象がありましたのでパスしました。ヤル気のある相棒が一緒でしたら変わっていたかもですね。

 

▲ S46年9月に撮影した塩狩峠を駆け上がるC55-49号機牽引の客車列車とD51-60号機牽引の貨物列車です。塩狩駅が峠のサミットになっていて、駅前にあった塩狩温泉YHには何泊かしました。別に女湯もありましたが、メインの大浴場はYHなのに混浴の温泉宿になっていたのも魅力でした。今回も思い出ある宿にまた宿泊したいなあと調べましたら、2005年(平成17年)10月に休館となり再開されることなく閉館したそうです。今回宿泊ホテルの第一候補だったので残念です。

▲ 16:32 すっかり夜の帳が下りた名寄へ到着しました。ホームの向かいには旭川から比布まで乗車したキハ54-504音威子府行きの4329Dとして接続待ちをしていました。音威子府と言えば黒い駅そばが有名です。食べてみたいなあと思いました。ただ都会なら普通に店が開いている時間ですが、廃線なろうかと言われる閑散とした路線でこの時間に営業しているかが疑問です。音威子府まで行っても折り返しの列車がある事を確認して乗り込みました。

④ 名寄 16:36(4329D)⇒17:38 音威子府

▲ 17:38 静まり返った音威子府に降りました。降車客は私を入れてわずか3人だけです。
▲ そば屋のある待合室ですが誰もいません。勿論そば屋は閉まっています。聞けば、おじいさんとおばあさんの2人で営業していて開店はお昼前、4時を過ぎると閉まってしまうとの事です。

黒いそばとしか分からないので帰りに稚内のスーパーを回って、このそば屋で使われているそばを買い求めて帰宅後に作ってみました。
そばがらのまま挽いたそば粉で作ったそばで確かにそばそのものの味が楽しめました。
製造元は畠山製麺です。ネットで通販もしていますので興味ある方は取り寄せてご賞味ください。

▲ 17:42 都会では夕方のラッシュが始まっている頃でしょうが、この駅はもう終わっているというかラッシュそのものがありません。現在1日で発着する列車は上り下り共各8本(うち各3本が特急)です。昭和44年当時は上下共12本(うち各4本が急行)、また当時はオホーツク海側から稚内へと回る天北線もあって上下共9本(うち各1本が急行)がありましたので盛況な駅でした。半世紀が経ち、鉄道の時代が終わろうとしている象徴を見ます。

⑤ 音威子府 17:47(4330D)⇒18:49  名寄

▲ 先ほど乗ってきたキハ54-504が折り返しになっていました。乗客は私を入れて3名、18:49には名寄に到着しました。

▲ 18:54 タクシーやバスは止まっていません。人けのない名寄駅の駅前広場です。

19:16 宿は駅から歩いて10分ほどの駅前旅館を予約していました。宿泊客は私1人です。
ホテル名は、ビジネスホテル サンフラワーです。

▲ 19:53 音威子府でそばを食い損ねましたので手打ちそばの美味しい店を紹介してもらいました。店名は紅花です。まっとうなそばが食べられて幸せ一杯の夜でした。明日はいよいよ稚内へと向かいます。半世紀ぶりに訪問する街です。どう変わっているのか楽しみでした。 Part18へ続く

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