北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part11 ユジノサハリンスクの子供鉄道に乗る撮る、サハリン州立郷土史博物館視察

第6日目 7月14日 その2▲ 9:55ユジノサハリンスク駅北側の踏切での撮影を終えてからはもう列車の運行も夕刻までないので市内にある子供鉄道を見に行こうとなりました。

【 子供鉄道 】
旧共産圏諸国の多くの主要都市では、子供の社会教育を目的とした「子供鉄道」が運営されていました。将来の職業選択の際役立つように子供たちの社会学習の一環として行われており、現在も続いているものが多いそうです。以前にハンガリーのブタペストに行った時に訪問しましたが、全長は11.6㌔もあって本格的なものでびっくりしました。ここでも山裾のガガーリン公園の池の周りをループする2.5㌔の子供鉄道があります。

行くについては、徒歩で向かわれる健脚のクモハ73106東ウラさん、不銹鋼號さんとバスに乗って行きたい千住のヤスベイさんNETさんと私に分かれました。
バスは直通では到達せず途中で乗換えを必要としましたので結構時間がかかり結果、先に到着したのは健脚組でした。

▲ 10:55 この鉄路唯一の駅舎です。

▲ 11:00 まずはグルっと1周の乗車です。客車は新しく入れ替えられたのか綺麗な車内です。
列車を運転するのは大人の機関士ですが、それ以外はあどけない少年少女たちがピシッとした制服に身を包み、車掌、切符の窓口販売などとして働いておられます。私も小さな頃にこんな学校に行ってみたかったです。日本にもあれば入学希望者は相当数いるのではと思います。
▲ 11:11 途中にあった車庫兼検車区です。古い客車が留置されていました。

 

11:30 次の列車が発車です。サハリンらしくアシカ君が見送りです。

▲ 11:38 公園の森の中を通ってきました。普通の鉄道の定期列車と言っても分らないぐらいの列車です。

▲ 花を前景に列車、駅舎にスワンボートを入れて撮れるお立ち台もあります。

▲ 12:37 ガガーリン記念文化公園の角にあったロシア正教会、独特の建築様式です。

▲ 12:44 日本統治下時代から豊原の象徴だったサハリン州立郷土史博物館(旧樺太庁博物館)、1937年(昭和12年)に建てられた和洋折衷の建築様式、帝冠様式」の建築だそうです。樺太の動植物、鉱物、民俗、考古学などの日本時代からの資料が引き継がれて展示されています。
入口正面には狛犬はが正座していて異質ですが、旧樺太神社から移設したものだそうです。
地元の新婚夫婦が結婚式の後に記念撮影で立ち寄る人気スポットだそうで、この日も装飾をした新車でご夫婦と親戚・友人たちを同行してきておられました。

▲ 入ってすぐに入場券売場の窓口があります。入場料は1人50ルーブル(約100円)で、写真撮影する場合には追加で100ルーブルを一緒に支払うノグリキと同じシステムです。

▲ 鉄ちゃんとして見たい資料はわずかですが、展示はされていました。約1時間を過ごして外に出ました。

▲ 13:53 他の建物前でも記念写真集団に会います。今日は金曜日なのですが多いようです。

▲ ガガーリン公園から駅方向に散歩ですが通りは札幌に似て都市計画に基づく整然とした町の区割りが出来ています。通りに面しての建物も由緒あるものが多いようです。

▲ 14:21 D51-22号機が展示されています広場まで来ました。これから奥鈴谷までDCに乗って行きますが約3時間もあります。後に隣接する博物館の中も見たいと願望していましたが、常時担当者がおられるわけでなく入口に掲示されている電話番号に連絡しなければならないというハードルの高いものです。
まずは行ってみようと入口に向かうと、中から見学を終えた集団が出てくるところに遭遇しました。最後にドアを閉めようとしていたのがこの博物館のチリーキン・アンドレイ・ニコライ館長さんです。思わず駆けつけて中を見せていただきたいと嘆願しました。まさに奇跡の遭遇です。 Part12へ続く

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