河 昭一郎様の秘蔵写真を掲載するに際して、自分が撮っていないことを残念に思っていましたが、そういえばどこかに正体不明のロハが写った写真があったことを思い出して探しました。
撮っていました!とは言えない「写っていました」写真が出てきました。
言い訳ではありませんが当時はまだ中学生、客車に興味はまだなく、線路端でシャッターを切ることだけに専念していた時期でした。特派員さんの言葉通り、記憶が記録となったいい例です。ご笑覧ください。
なお、特派員さんの投稿を利用してばかりでは申し訳ないので、たいした写真ではありませんがスレを立てます。
C51の牽く下り各停、オハニ61の次位がスロハ38と思われます。こんな写真しかなくて本当に残念です。場所は旧丹波口駅に進入する直前、今の鉄道博物館入り口に当たるところです。
【95976】の河様の画像とスロハ38の向きが逆ですが、理由は何ですか?
向きとしては河様のスロハ38の向きが正しいと思いますが。
分かりません。
向きに正しい・誤りがあるのですか?
2両あったとか、一周して向きが変わったとか?
客車には編成順序とその向きが決められています。山陰本線ではロハの場合、幡生寄りに連結し、ロ室が幡生寄りになるのが正しいのです。
福ツルでは、或る駅を出発して帰ってきたら逆向きになる運用があったかなかったか知りませんので、何とも言えません。
福ツルのスロハ38は101の1両だけでしたので、何かの都合で一時的に逆向きになっていただけなのかもしれません。
もう一台ありました。
京都駅を出発する同列車(日時違い)です。スロハ38109となっていますので河 昭一郎様のスロハ38101福ツルとは違うのがもう一台あったことになります。
撮影日時がはっきりとしませんが昭和30年代後半ですから河 昭一郎様の撮影より前であろうと思います。そのため配置が複数だったり、ロザが京都側だったりと違っていたのではと推察します。
次々に出てきますね。
スロハ38 109は中セキではないでしょうか。
これも向きが変ですが、ロハの向き等、適当だったのでしょうか。
時刻表を見ると、この時間帯でロザを繋いでいるのは17:00発の園部行きだけです。だから中セキの所属ではないと思います。
「京都17:00発の園部行きだから中セキではない」とは必ずしも言えないと思います。たとえば昭和37年10月月号時刻表でしたら、翌朝園部発6:33の840レで京都着7:46のあと休んで22:05発817レで下関行きになるのかもしれません。京都に来るのは、門司発8:42の818レがあります。
井原 実さま & 米手作市さま
この頃の客車にも『向き』が有ったんですか。知りませんでした。
国電には奇数向き&偶数向きが有って、更に海側&山側などと結構ややこしいですが、客車や気動車、更に貨車については、『渡り』は空気ホースだけだったので『No問題』と思っていました。(SLも幹線外では正方向、逆方向メチャクチャでしたし。)
もっとも、後年ではDLやPCの固定編成化が有って、放送用その他の電気配線が増えたため、『向き』が重要に成って来たようですが。
ところで家探し(ヤサガシ)の結果、先に掲載していただいた小生の写真に関するデータが出て来ました。(直ぐに出せず、もったいぶった様でスミマセン。)
スロハ38 101(福ツル) 1962(昭和37)年4月6日 京都駅にて
スロハ 32 62(福ツル) 1962(昭和37)年7月14日 京都駅にて
当時、福ツルのロハは、スロハ38は101の1両だけで、スロハ32が31,32,38,50,62の5両、スロハフ30が12の1両、ロハ合計7両でした。
それでは下関のアルバイト運用ですね。
訂正
6行目のDLはDCが正です。(例によって迂闊者の私です。)
河 昭一郎様、
他にも客車などを撮られている旨、是非とも公開して頂けませんか?見たいのです。
小生の撮影はアットランダム&ついで撮りでしたので、系統立っておらず、撮影にも一貫性が有りません。
『適当に』と言えば失礼かも知れませんが、それをお許しいただけるなら発表に機会を頂けるのは嬉しい限りです。
河 昭一郎様、
おこがましいようですが、「適当な」「ついで撮り」の大家がお願いしているのですからご遠慮なく見せてください。お願い致します。
もう一枚もロザが後ろですから下関のアルバイト運用でしょう。
まだありましたか。本当はもっとあるのではありませんか。
申し添えますが、スロハと蒸機の間はオハニ61ですが、福ツルにはオハニ61の配置はありませんでした。
エーッ!!?