近鉄ファンへのプレゼント! 投稿日時: 2018年11月22日 投稿者: 米手作市 伊勢電鉄モハニ231型 狭軌の名古屋線というと伊勢湾台風の前後と言うこと。古すぎて分かりません・・・ 関連記事: 関連記事がありません。
伊勢電の特徴は荷物室付きの電車が多いとのこと、いま流行のサイクリストが多かったのでしょうかね。考えてみれば時代を先取りしているようなそうでないような。ところで名古屋線の改軌工事ですが伊勢湾台風による復旧工事にかねて改軌工事も一緒にしたと思っていたのですが、近鉄のHPによると改軌工事の施工中に伊勢湾台風による大被害を受けたので、復旧と一緒に改軌工事を繰り上げて実施を当時の佐伯社長が決断して実行したとありました。まさしく災い転じて福となすであります。チラッと見えている「かもしか」はブルーとクリームののツートンカラーは特急色であったようです。名古屋線の特急として昭和28年に新造された6421形を3扉、2灯シールドビーム化されて大井川に行ったのがそのブルーとクリームの特急色を再現したものであったのですが、今はどのようになっているのでしょうか。(添付の写真、撮影は2009年11月でした。) 返信 ↓
どですかでんさん ありがとうございます。私は近鉄と名鉄の違いも分からない私鉄音痴の上、名古屋線ともなればちんぷんかんぷんでした。 それにしてもクローバー会の皆さんは何でも撮っているのですね!井原さんや西村さんと同じ霊感や予知能力を持っている方ばかりと拝察します。 返信 ↓
DRFCは昔から京阪ファンが多いのですが、私の時代には近鉄にうるさい、それだけに熱心な一派がおられました。近鉄などは私鉄の中でも東武、名鉄と並んで各線、各車両等到底覚えきれるのものではありませんが、彼らからは2200、6311、6600等魅力的な車両を教えていただきました。最近デジ青に出演されないのは寂しい限りですが、雑学の私が代って登場させていただきます。さて、伊勢電鉄のモハニ231形ですが栄枯盛衰の衰、つまり晩年の1979年9月14日、近鉄養老線(現養老鉄道)大垣駅で東海道線普通列車の乗り継ぎの合間に撮った5824+5823です。南大阪線で16000系登場まで「かもしか」号で使われていました。その当時は近鉄特急色である橙と紺であったと朝日新聞世界の鉄道65年版(鉄研三田会)に書かれていますが、実際には見たことがありません。養老線に来て一般色になったようですが、車内はクロスシートのままでした。 返信 ↓
遠い昔の話ですが祖母が南大阪線の土師ノ里駅の近くに住んでいましたので阿倍野橋から電車に乗る時に時々かもしか号を見たことがあります。脳みそをふりしぼって思い出してみました。添付の絵のようなものではないかと思っています。今の新特急色の前の特急色の鮮やかな橙色ではなかったように思うのですが。近鉄HPの「鉄路の名優」という項目で特急車の中に六田駅で撮ったカラー写真がのっているのですが、これによると少し赤っぽいクリーム色のようですが、電車の色は本当はどうなのかよくわかりません。関三平さんの色に近いようですが紺色がもう少し濃い色のような気がするのですが・・・とにかく色は緑電車の緑もそうでしたがようわかりません。 返信 ↓
大学時代南大阪線沿線に住んでいましたので平日はほぼ毎日モ5821形4連を見ていました。当時は朝早く古市を出庫し阿倍野橋から吉野を往復し古市に昼ごろ入庫する運用でした。それでも年始の臨時快速「開運号」やさくらのシーズンの快速「さくら号」に使われた時は本領発揮という感じでした。塗色は16000特急車と同じ橙と紺でした。 ペーパーキットを基に5823-5824を作りましたのでご笑覧ください。(模型の写真はむつかしいですね) 返信 ↓
模型の写真、いい感じですね。色はINUBUSEさんの模型の色に近いのではと思います。名古屋線の特急色とちょっと違うのでしょうか。コメントしてから私の絵の色はちょっと赤みが足らないような気がしました。ほんまに米手さんの言われるとおりです。「らくがきてふ」風に言うとこれはやめておきましょう。 返信 ↓
INUBUSEさま、あと2両の「かもしか」が居なくて申し訳ありません。まだ倉庫?に眠ったままになっています。これだけ完成度の高いのを見るとつい気後れがしてしまい、そのままになっています。5821については阿部野橋~古市間の各停運用で時々乗っていました、ずいぶん得をしたような気分でしたね。特急の色については2250等の旧型?特急はもっと明るい「クリームとブルー」というイメージです、ビスタが出てからこの色になりました。旧型車では「クリームとブルー」の方が軽快な感じが出ていました。残念ながら当初の色の写真はないのですが、模型で当初の色のものがありましたので載せて置きます。 返信 ↓
WAKUHIRO様 5821-5822の番号を空けてお待ちしています。 2250等の特急色はもっと明るい「クリームとブルー」とのことですが、2250系特急色に変更された5200系(5105-5205-555-5155)の色がほぼその色ですね。 返信 ↓
南大阪線の「かもしか」はS35年の登場、16000特急車はS40年登場です。大阪線のビスタカー10000がS33年、新ビスタカー10100がS34年ですので 「かもしか」は当時の特急色と同じと思われます。しかしそれ以前の大阪線2250、2227など、名古屋線の6431、6421など特急色はよくわかりません。どですかでんさんの言われているような色かもしれませんね? 模型の5823-5824の色ですが特急車の色なのですが旧型の車体に塗ると塗り分け線の違いや面積比の違いで印象が違ってきます。 なお先ほどのコメントはS42年からS45年頃の印象です。 返信 ↓
準特急 様 当時のDRFCの部室の様子を思い出します。京阪、阪急、市電、国鉄の話題が中心にあった中 近鉄の話題が時々出ていたように思います。松阪弁での熱弁を思い出します。私は大学入学と共に名古屋から南大阪線沿線に引っ越し 何と種々雑多な電車が走っているのかと関心を持ちいろいろ調べていく中で毎日乗る電車を楽しんでいました。特に「かもしか」は特異な電車でその元が伊勢電でいろいろな変遷の上で特急車になったことを知り毎日の活躍を楽しみにしていました。 一度吉野まで最前列のシートで行ったことが有ります。快適でした。 準特急 様 久しくお会いしていませんが またお会いできるのを楽しみにしています。犬伏 返信 ↓
INUBUSE様 私は最近は行動範囲が限られておりますが、その点、札幌から鹿児島まで全国の路面電車を花を入れたり、夜の流し撮りをしたりして発表されており楽しく拝見しております。人のことは言えませんが、INUBUSEさんも最近は投稿が少なくなったような気がします。路面電車が趣味の対象と思っている人もおられますが私はオールラウンドプレイヤーと思っております。是非発表をお願いします、模型もお得意ですが、また、いろいろ教えていただきたいと思っております。 返信 ↓
外野より失礼致します。関三平様のイラストは、彩色してあるので。カラーの記録がない時代の電車達も、往時を偲ぶことが出来て、たいへん楽しい企画だと存じます。小生とは全然縁がない電車だが、友人だった山本明弘さんの作品に、初号車、モニ6231があったので、お眼に掛けましょう。昭和32年頃に、米野で撮影されたものです。ここで質問。一番前の側窓下部にある標記は、何なのでしょうか? 関様のイラストにも小さく描かれているようです。相棒の杉下右京のように、細かい事が気になる悪い癖が、小生はあるものですから。御存じの方は、ご教示ください。 返信 ↓
宮崎繁幹様 ご覧頂きありがとうございます。 側窓下部にある標記は 上から近畿日本鉄道の社章、形式、定員、自重が鋳出しされた鋳物のプレートですね。旧型車や初期の新型車は側面に取り付けられていました。 返信 ↓
伊勢電の特徴は荷物室付きの電車が多いとのこと、いま流行のサイクリストが多かったのでしょうかね。考えてみれば時代を先取りしているようなそうでないような。ところで名古屋線の改軌工事ですが伊勢湾台風による復旧工事にかねて改軌工事も一緒にしたと思っていたのですが、近鉄のHPによると改軌工事の施工中に伊勢湾台風による大被害を受けたので、復旧と一緒に改軌工事を繰り上げて実施を当時の佐伯社長が決断して実行したとありました。まさしく災い転じて福となすであります。チラッと見えている「かもしか」はブルーとクリームののツートンカラーは特急色であったようです。名古屋線の特急として昭和28年に新造された6421形を3扉、2灯シールドビーム化されて大井川に行ったのがそのブルーとクリームの特急色を再現したものであったのですが、今はどのようになっているのでしょうか。(添付の写真、撮影は2009年11月でした。)
どですかでんさん
ありがとうございます。私は近鉄と名鉄の違いも分からない私鉄音痴の上、名古屋線ともなればちんぷんかんぷんでした。
それにしてもクローバー会の皆さんは何でも撮っているのですね!井原さんや西村さんと同じ霊感や予知能力を持っている方ばかりと拝察します。
DRFCは昔から京阪ファンが多いのですが、私の時代には近鉄にうるさい、それだけに熱心な一派がおられました。近鉄などは私鉄の中でも東武、名鉄と並んで各線、各車両等到底覚えきれるのものではありませんが、彼らからは2200、6311、6600等魅力的な車両を教えていただきました。最近デジ青に出演されないのは寂しい限りですが、雑学の私が代って登場させていただきます。さて、伊勢電鉄のモハニ231形ですが栄枯盛衰の衰、つまり晩年の1979年9月14日、近鉄養老線(現養老鉄道)大垣駅で東海道線普通列車の乗り継ぎの合間に撮った5824+5823です。南大阪線で16000系登場まで「かもしか」号で使われていました。その当時は近鉄特急色である橙と紺であったと朝日新聞世界の鉄道65年版(鉄研三田会)に書かれていますが、実際には見たことがありません。養老線に来て一般色になったようですが、車内はクロスシートのままでした。
遠い昔の話ですが祖母が南大阪線の土師ノ里駅の近くに住んでいましたので阿倍野橋から電車に乗る時に時々かもしか号を見たことがあります。脳みそをふりしぼって思い出してみました。添付の絵のようなものではないかと思っています。今の新特急色の前の特急色の鮮やかな橙色ではなかったように思うのですが。近鉄HPの「鉄路の名優」という項目で特急車の中に六田駅で撮ったカラー写真がのっているのですが、これによると少し赤っぽいクリーム色のようですが、電車の色は本当はどうなのかよくわかりません。関三平さんの色に近いようですが紺色がもう少し濃い色のような気がするのですが・・・とにかく色は緑電車の緑もそうでしたがようわかりません。
“色の道”は難しいものです
大学時代南大阪線沿線に住んでいましたので平日はほぼ毎日モ5821形4連を見ていました。当時は朝早く古市を出庫し阿倍野橋から吉野を往復し古市に昼ごろ入庫する運用でした。それでも年始の臨時快速「開運号」やさくらのシーズンの快速「さくら号」に使われた時は本領発揮という感じでした。塗色は16000特急車と同じ橙と紺でした。
ペーパーキットを基に5823-5824を作りましたのでご笑覧ください。(模型の写真はむつかしいですね)
模型の写真、いい感じですね。色はINUBUSEさんの模型の色に近いのではと思います。名古屋線の特急色とちょっと違うのでしょうか。コメントしてから私の絵の色はちょっと赤みが足らないような気がしました。ほんまに米手さんの言われるとおりです。「らくがきてふ」風に言うとこれはやめておきましょう。
INUBUSEさま、あと2両の「かもしか」が居なくて申し訳ありません。まだ倉庫?に眠ったままになっています。これだけ完成度の高いのを見るとつい気後れがしてしまい、そのままになっています。5821については阿部野橋~古市間の各停運用で時々乗っていました、ずいぶん得をしたような気分でしたね。特急の色については2250等の旧型?特急はもっと明るい「クリームとブルー」というイメージです、ビスタが出てからこの色になりました。旧型車では「クリームとブルー」の方が軽快な感じが出ていました。残念ながら当初の色の写真はないのですが、模型で当初の色のものがありましたので載せて置きます。
WAKUHIRO様
5821-5822の番号を空けてお待ちしています。
2250等の特急色はもっと明るい「クリームとブルー」とのことですが、2250系特急色に変更された5200系(5105-5205-555-5155)の色がほぼその色ですね。
INUBUSE様
そうでした、まさしくこの色です。2250が復活した思いです。
南大阪線の「かもしか」はS35年の登場、16000特急車はS40年登場です。大阪線のビスタカー10000がS33年、新ビスタカー10100がS34年ですので 「かもしか」は当時の特急色と同じと思われます。しかしそれ以前の大阪線2250、2227など、名古屋線の6431、6421など特急色はよくわかりません。どですかでんさんの言われているような色かもしれませんね?
模型の5823-5824の色ですが特急車の色なのですが旧型の車体に塗ると塗り分け線の違いや面積比の違いで印象が違ってきます。
なお先ほどのコメントはS42年からS45年頃の印象です。
準特急 様
当時のDRFCの部室の様子を思い出します。京阪、阪急、市電、国鉄の話題が中心にあった中 近鉄の話題が時々出ていたように思います。松阪弁での熱弁を思い出します。私は大学入学と共に名古屋から南大阪線沿線に引っ越し 何と種々雑多な電車が走っているのかと関心を持ちいろいろ調べていく中で毎日乗る電車を楽しんでいました。特に「かもしか」は特異な電車でその元が伊勢電でいろいろな変遷の上で特急車になったことを知り毎日の活躍を楽しみにしていました。
一度吉野まで最前列のシートで行ったことが有ります。快適でした。
準特急 様 久しくお会いしていませんが またお会いできるのを楽しみにしています。犬伏
INUBUSE様
私は最近は行動範囲が限られておりますが、その点、札幌から鹿児島まで全国の路面電車を花を入れたり、夜の流し撮りをしたりして発表されており楽しく拝見しております。人のことは言えませんが、INUBUSEさんも最近は投稿が少なくなったような気がします。路面電車が趣味の対象と思っている人もおられますが私はオールラウンドプレイヤーと思っております。是非発表をお願いします、模型もお得意ですが、また、いろいろ教えていただきたいと思っております。
準特急様
返信ありがとうございます。こちらこそいろいろお教えください。なるべく投稿するように心がけますのでよろしくお願いします。
外野より失礼致します。関三平様のイラストは、彩色してあるので。カラーの記録がない時代の電車達も、往時を偲ぶことが出来て、たいへん楽しい企画だと存じます。小生とは全然縁がない電車だが、友人だった山本明弘さんの作品に、初号車、モニ6231があったので、お眼に掛けましょう。昭和32年頃に、米野で撮影されたものです。ここで質問。一番前の側窓下部にある標記は、何なのでしょうか? 関様のイラストにも小さく描かれているようです。相棒の杉下右京のように、細かい事が気になる悪い癖が、小生はあるものですから。御存じの方は、ご教示ください。
宮崎繁幹様
ご覧頂きありがとうございます。
側窓下部にある標記は 上から近畿日本鉄道の社章、形式、定員、自重が鋳出しされた鋳物のプレートですね。旧型車や初期の新型車は側面に取り付けられていました。
INUBUSE 様
早速に教えて頂き、有難うございました。ペンキ書きではなく、鋳物プレートでしたか。さすが大私鉄ですね! 勉強になりました。