ビア電乗るまで

ビア電イベントでは幹事様はじめお世話になり、どうもありがとうございました。みなさまお疲れさまでした。

事前に近江鉄道の乗車券を送っていただいて、どのように現地入りするか考えました。最も常識的には貴生川からで、このルートを使われた方も多かったようです。

私は、数年前に貴生川から近江線に乗車したことがあり、今回は高速バスを使い多賀から入るルートを考えました。ところが、バスの時刻をネットで調べたところ、多賀に止まる便は京都発のみで大阪からはなく(数年前に大阪発は名古屋直行のみ化された模様)、京阪藤森経由で深草バス停から乗車しました。

深草10:45→多賀SA11:50で多賀大社前12:25発の近江線に乗ればちょうど集合時刻にぴったり(1分遅刻だが)ですが、多賀大社に参拝するのは少し厳しい感じ、ということで、もう1本前は9:15発で、これに乗るには最寄り駅は7時過ぎと普段より早い出立となりました。土曜夜に念のためバスの時刻を再確認したついでに、予約状況を見たところ、なんと残席1であわてて席を予約しました。あわてたせいで、コンビニ決済を選択してしまいコンビニに寄る分、さらに早起きとなってしまいました。

当日朝、なんとかコンビニでバスの乗車券を手に入れ、予定のバスに乗れました。バスはトイレ横が空席で、これが予備の席で予約なしでも乗車できたかもですが、せっかく早起きして行ったが満席で乗れないことを思うとぞっとします。

多賀大社駅  広い構内はキリンビール輸送の名残でしょうか?

多賀大社駅の観光案内所にあったスタンプ 

高宮で米原行きに乗換え

バスを1本早くしたので、参拝しても多賀大社前11:25に乗れば、集合までに少し時間が取れることになり、どこに行こうかと地図を見ていたところ、近江線の東海道線との並走部にひこね芹川という駅ができているのを知り、ここで折り返しまでの約一時間を過ごしたうえで近江八幡へ向かいました。この駅から近江八幡へは彦根乗換の方が早くて安いのですが、近江線の1日券を活用しました。

小一時間で貨物が4本あり、うち1本は原色のPFというオマケ付きでした。

架線柱の更新が行われるようで北側に新しい柱が並んでいます。芹川駅ホームそばの架線柱のプレートには1956.1とあり電化時のもののようです。木柱や鉄柱と違い、コンクリート柱には全く興味を持ったことがありませんでしたが、これでも60年超、建ったときはC62が走っていて、架線が張られてからも青大将やこだま号等を見守ってきた歴史を持つ柱なんですね。

芹川駅すぐ下の架道橋の石積み こちらは開業以来?

 

 

ビア電乗るまで」への10件のフィードバック

  1. 宇津家様
    朝早くから遅くまでお疲れさまでした。
    高速バス多賀経由で来られたとは知りませんでした。確かに多賀大社駅の手前で名神高速道路と交差しているのは知っていましたが、高速バスとは結び付きませんでした。名神高速バスは以前大津インターにも停留場があり、自宅から歩いて10分ほどでバス停に行けたので名古屋行きが便利で何度か利用したことがありました。大津インターの停留場はなくなりましたが、最近は京田辺や舞子など高速途中のバス停へのアクセスを便利にして利用が増えているところがたくさんありますね。高速バス利用もアクセスの選択肢となりそうです。
    また、鉄道遺構にも興味をお持ちのようですね。滋賀県は鉄道遺跡が多くありますのでまた是非お越しください。

  2. 大津の86さん 多賀大社前駅の構内が広いのはキリンビール輸送の名残ではありません。今はダイニック滋賀工場になっていますが、以前は住友セメントの多賀工場でした。その専用線があったのです。廃線となってから、一部は道路になっています。一部と言っても駅からコメリの前を通って、多賀北交差点を過ぎてもう少し行ったところまで比較的長い距離です。滋賀で仕事をしていた時、いつも通っていた道でその時は廃線跡とは知りませんでした。また橋台跡が1か所残っています。以前は両側にあったのですが今は片側のみです。エフベーカリーの滋賀工場ができたのでなくなったのでしょう。この道は国道306号線で、ここをどんどん東に行くと峠を越えて三岐鉄道の西藤原にたどり着きます。以前、滋賀に単身赴任していた頃車で峠越えをして上笠田に行きましたが、とんでもなくえげつない道でした。いつも冬期通行止めです。橋台跡を少し北西方向に行くと「さくら」という喫茶店があります。ランチが安くボリュームがあり、時々一緒に仕事をしていた人と行きました。今でも人気があるそうです。

    • 宇都家さん、失礼いたしました。滋賀と言えば大津の86さんという風に条件反射で、てっきり宇都家さんの投稿とは思いもよりませんでした。専用線のある住友セメントの工場に石灰岩をどこから運んでいたかというと、詳しく地形図を見て分かったのですが、306号線を東に向かうと佐目という集落に着き、さらに佐目トンネルがあります。そのトンネルの東側に石灰鉱山があり、石灰岩はトンネルを掘ってコンベアで運んでいるようです。住友セメントの石灰鉱山ですが今でもあります。さらに、地理院HPで1976年発行の2.5万分の1地図でははっきりと見ることができませんので概略しかわかりませんが、今のダイニックの工場のところまで運んで、そこから専用線を使っていたことがわかりました。近くで仕事をしていながら今になってわかりました。宇都家さんのおかげです。ありがとうございました。

  3. 宇都家さま
    さっそくの投稿、ありがとうございます。当日、近江八幡駅の階段で“投稿、頼んまっせ!”と、宇都家さんにお願いしたら、さっそく投稿してもらいました。集合地まで、こんなアクセスがあったとは、さすが百戦錬磨のクローパー会会員です。JR線を撮られた、ひこね芹川は、私も車窓から狙っていた撮影地でした。いい角度で撮れますね。私も“ビア電”をきっかけに、近江鉄道への思いが強くなりました。少し遅れて報告したいと思っています。

  4. 宇都家様
     ビア電とその後の反省会⁉楽しかったですね。
     それにしても、宇都家さんのアクセス振りやJR貨物の撮影等、その鉄分の濃さを再認識させていただきました。
     いよいよ、天神祭りや淀川花火大会も近付いて来ました。夕暮れや花火をバックの鉄道写真の掲載を楽しみにしております。

  5. コメントありがとうございます。

    大津の86さま  数年前に京都での所用の折、少し早めに出て逢坂山トンネルに行ったことがありました。またいろいろ訪ねてみたいです。

    どですかでんさま  住友セメント、現ダイニックまでは、仰るように結構長い専用線ですね。彦根駅の山側にも大きな工場がありましたね。ところで、多賀大社前の少し高宮方、名神交差部あたりから円弧状に西に分岐する道路はキリンビールの専用線跡ではないでしょうか?

    総本家青信号特派員さま  芹川は結構名所みたいでPFの通過時には同業者もありました。

    マルーンさま  当日は早起きでビア電、2次会ともたくさん飲んで翌日は二日酔いでした。また花火のシーズンですね。十三の夕景はまた河岸を変えて撮りたいです。

    • 宇都家さん おっしゃる通りにキリンビールの専用線ですね。1968年測量の地図には工場もありませんでしたが、1974年測量の地図にはありました。キリンビールのHPを見ると1974年に滋賀工場が完成したとありました。多賀大社前駅まで貨車を運んで、貨物列車に仕立てて輸送していたのでしょうね。なんでも撮っておられる総本家青信号特派員さんビール列車はありませんか?

      • はい何でも撮っている私ですが、多賀でのビール列車は撮っていません。ただ、彦根で撮ったビール列車はありますので、私の投稿の【2】を見てください。

        • 総本家青信号特派員さん 失礼いたしました。写真を拝見いたしました。ビール列車は長大な編成だったのですね。このような編成でしたら多賀大社前駅の構内が広いのは当然ですね。長大なビール列車にセメント列車が加わるのですから。宇都家さんの最初のコメントは私の間違いでした。ごめんなさい。ところでビール列車やセメント列車を牽引していた機関車はすでに解体されたのでしょうか。

          • 私も多賀のセメント専用線のことは承知していなかったので、新知識をいただけました。ありがとうございました。
            引込線のあるビール工場と言えば尼崎のキリン、西ノ宮、吹田のアサヒ、茨木のサッポロが思い出されますが、1974年でもまだ鉄道輸送が前提だったのですね。上記の工場の現存は吹田のアサヒのみですが、貨車での輸送はもうありません。最近のモーダルシフトの流れからも再開できないものでしょうか。
            多賀キリンへは非電化でDLだったようですね。

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