レトロ列車出発 加悦鉄道まつり

いささか旧報になるが、5月4日朝日新聞京都版でタイトルの如きキューズ(旧ニュ-ス)が掲載された。加悦で何ごとぞと、読んでみたら次の通りであった。

「与謝野町滝の加悦SL広場で3日、初夏の加悦鉄道まつりが始まった。多くの親子連れなどが、風船プレゼントや再現列車乗車会といったイベントを楽しんだ。4日まで。

加悦

なに!今日までのものをその当日に知らすとは……。新聞社の見識を疑った一瞬であった。

「再現列車乗車会で走ったキハ101型は、1939年に製造された片ボギ-式と呼ばれる珍しい3軸車両だ。NPO加悦鉄道保存会が協力して2004年に復元し自走可能となった」、とある。老人はNPOのことを知らなかった。ところで老人は1968年春にこの片ボギー車に、それも運転台後部中央で両足を踏ん張り丹後山田~三河内(加悦終点一駅手前)間を乗っている。発車するや暫くは“ガタン”の音だけであったがスピードアップ(時速30㌔ぐらい?)となるや“ダァ-ン”の連続音となり、その振動は車両全体をゆさぶるものになった。

和歌山鉄道

以前デジ青【360】で和歌山電軌の片ボギ-車を紹介しているが、この時に乗った位置は先頭のかぶりつきで2軸台車の上で、衝撃音に見舞われることはなかった。一軸台車の中心は連結面より約1.5mばかり車体中央部にあり、軽やかな?衝撃音を奏でていたに違いない。この差はレイルの保守の違いによるものだろうが、それにしても加悦鉄道では酷いものであった。

1968年はその後2往復している。この頃、電電公社は日本全国で電話設備の近代化を進めており、加悦地区の局舎を三河内駅の傍で建設していた。その工事の一端を請け負う事で老人は打ち合せに赴いていたのであった。冬場の工事はストップで、早春を迎えるや再開となる。いよいよ仕上げ工事着工打ち合せで1969年4月丹後山田駅に到着、オハ61から降り立ち加悦線のホームを見たら、車体が長いボギー車(キハユニ51)が老人を待ち受けていた。以後、片ボギー車キハ101に乗る機会はなかった。廃線の噂が取り沙汰されるようになった頃に終点の加悦に赴き、片ボギー車をゆっくり見ることが出来た。当車については須磨の大人が造詣深い。是非ご登場願いたい。

 

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