兵庫・鷹取工・高砂工・姫路3

兵庫の次は鷹取である。兵庫-鷹取間には1954年4月1日新長田駅が新設されたが、この当時では兵庫の次が鷹取である。ここには機関区だけでなく貨車区、それに鷹取工場があり、先ずは工場へ。看板は復元なった義経号で、目立つところに鎮座しているだけでなく、博覧会の類にも貸し出されていた。確か事前に文書で見学を申し入れていたと記憶するが、たった1人の学生(その実受験生)にも助役がつききりで案内してくれる。正直言うとこっちは早く機関車や救援車を撮りたいのだが、そこは礼儀正しくご案内に従う。ブレーキシューの自動鋳物システムが面白かったと記憶する。
義経鷹取工場1955.37.16S

義経号1955.7.16鷹取工場S義経は現在梅小路鉄道博物館にいるが、堺の梅鉢鉄工場→帝国車輌で入換をしていたものを引き取り、修復したもので、テンダーは丸ごと新製である。北海道は我国で自連使用の最初だが中心高が低く、内地が自連化した際上げて揃えた。復元車を背後から見ると、自連がやたらと大きく見えるのは、それだけ機関車そのものが小さいことである。復元で付されたPORTERの製造銘板はリプリカで、同じ鋳型から作ったものが関係者に記念品で配られたはず。

C5412二休1955.7.16鷹取工場S

オエ19918大タカ1955.7.16鷹取工場S

スエ29900大タカ1955.7.16鷹取工場S

スエ29900大タカ鷹取工場1955.7.16S

この時の本命は救援車で、3軸ボギーの中型=1万台、大型=2万台がいる。他にも広い構内には二休と書いたC5412、前米手作市氏が本欄に記された若鷹号(阿波鉄道買収小型コッペル機ア4=番号7=を鷹取工場技能者養成所が教材として整備し、キャブ等を作り替えたもの)は、現在嵯峨野観光鉄道トロッコ嵯峨駅に鎮座している。大日本軌道小田原支社買収の「へっつい」7号は、ボイラー、シリンダ等の右側を半分切開しているが、これも後年復元されて熱海駅頭に保存されているのは周知の通り。ただ復元に際し資料不足というより知識絶対不足から、末年の立って運転するためのキャブ前妻(後褄はなくオープン)の丸窓を、うんと上げてしまった姿でなされたのが残念である。何かの機会があれば、うんと低い=座り込んで運転したため=位置に戻してほしいものである。

兵庫・鷹取工・高砂工・姫路3」への2件のフィードバック

  1. 文頭に出て来る義経号の復元の経緯や復元工事内容についての記録で、昭和43年に鷹取工場が編纂した「機関車 義経号」というA5版205ページの本(非売品で多分部内配布されたもの?)を持っています。ご興味のある方はお知らせ頂ければお送りします。

  2. 湯口先輩様、
    貴重な救援車の写真、きれいで驚きました。少し解説を頂ければありがたいのですが・・・

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