面白山トンネルを潜り、仙台12時半に到着

山形での2線の車庫訪問は歓待を受け目的を全うすることが出来た。山形駅改札を18時30分ごろに出て付近を見渡すと上品なオバサンに声を掛けられた。「お宿ですか?今夜は空いております。1泊2食6百円で如何でしょうか?」。これに飛びついたのは正解で、8畳の間でゆっくりした風呂、銚子2本で50円の追加で終わった。作並機関区のことは古いデジ青で紹介したので一挙に仙台駅に飛ぶが、仙台市2008年発行の【文集「仙台市電」市民が綴る50年の軌跡】に投稿したら採用された。それを「引用箇所は【】で包む」しながら話を進めことにしよう。

地図13

杜の都と言われている仙台に到着した時、駅のアナウンスに驚いた。「すんだあ-い、すんだあ-い、おちる方がおちてからあ・・・、」電車の好きな京都人にはこのように聞こえた。「駅前に出て、とても嬉しい場面に出会った。関西では見る機会が少なくなったマッチ箱と言われている小型電車・単車が元気よく走っていたからだ。仙台市電の開業は1925年11月25日で、仙台駅中心に2方向に1067軌道が敷かれ、3期に分かれモハ1型30両の木造車が新造された。その後の増備は路線延長に従い半鋼製車12両を2回に分けている。この12両は日本で最初の転がり軸受け装備車として知られている。

 

4

2

その半鋼製車の増備車43型に興味を持っていた。流線型43型を知ったのは昭和30年夏、四国松山へ行った時のこと、車庫の一隅に8号と付番された流線型単車があり、仙台市電の注文流れだとの話を聞いた。そのプロトタイプが仙台で今も走っていると聞き、今回の旅行目的の一つでもあった。翌日、北2番丁車庫を訪ねたところ佐藤技師が対応して下さり、43型の顛末を話してくださった。更に昼食までお世話になり、今も忘れることのない一時であった。【市電網が南(長町)、北(北仙台駅前)へ伸び他鉄道と連絡がなり利用者の急激な増加がみられた。更に西(八幡町:文京地区)、東(原ノ町:陸軍駐屯地)へ路線延長が見込まれ、モハ43型は1938年に14両の増備車が認可されたが、竣工したのは3両であった。その後1940年2両、1941年に1両新造が認可され日本鉄道自動車工業に発注されたが完成に至らなかった。その代替として東京市電名義で9両の中古車(2両は江ノ電、同じく竹鼻鉄道)が1941~1945年間に納入されている】。【 】内は佐藤氏の調査による。【戦時下の出来事では元東京市電名義車が9両、モハ43型の身代わりとして仙台市内を走っていた。】空襲を受けた仙台市だが被災車のリストがなかった。話題とならなかったが、43型の代替車の働きぶりは悪かったようで東京都電の生残り400型10両が1948年11月1日譲渡認可を受けているが、10両が揃って仙台市民にお目見えしたのではないだろうと思われる。代価300,000円とは1両の価格のようだ。訪問の時には7両の車籍があったが、1両は事故破損による休車であった。

56

秋保電鉄の車庫は市電の長町車庫に接続していると湯口兄に教えられていたので、市電の車庫引き込み線を南方に向かった。その前に車庫事務所で聞いてみたら、今は接続なしで旧線跡には民家があるので断っていくように言われた。無事に辿り付いところへ市電になりそこなった411号が到着した。折り返し温泉行きになるのかと思い車掌に乗り場を聞けば、車庫から顔出しの1408号がトレーラーを増結して温泉に向かうのだという。この日は夜行で古間木まで北上しようと思っていたので温泉往復に余裕があった。乗り場に向かえば先頭車の電動車は学生諸君で占拠されており、止む無くトレーラー403号車で温泉に向かうことにした。403号は2軸車の元貨車で、若者達は電動車に寿司詰めで家路に向かい、温泉客その他は激しい上下動に身をまかせたのであった。秋保終点で元貨車は留置車となり翌朝に備えた。

 

 

1 thought on “面白山トンネルを潜り、仙台12時半に到着

  1. 乙訓の老人様
    宿代とか上品なおばさん(多分そこらのおばはんではなく山形美人であったことと思います)とか凄い記憶力ですね。今は駅のアナウンスは関西でも標準語で、東北全般に東北弁は日常ほとんど聴けなくなりました。ただ、標準語なのですがアクセントに東北を感じることがあります。
    題の面白山トンネルに魅かれてコメントをしました。コメントは今回の貴重なご報告の仙台市電や秋保電鉄の話ではなく恐縮です。小学校の頃、朝日年鑑だったか毎日年間だったか小学生向きのそういう年鑑があり、川の長さ、山の高さ等いろいろなデータが出ていましてそれを覚えたものです。その中に5000mを超す仙山線面白山トンネルもあり、日本のトンネルのベスト10に入っていたように記憶しております。北陸トンネル、青函トンネル、新幹線のトンネルなどがない昭和30年代前半の話です。つい先日ぶらっと近くの交流電化発祥の地作並に行ってきましたが、面白山を挟んで山形市と仙台市が隣同士の位置にあり、県庁所在地が隣接している例はここくらいと思います。もっともこのあたりは熊が出るそうです。仙台市電も1976年昭和51年3月末で廃止されたそうでその数年前仙台駅前で数カット撮っただけです。老人様からは単車を改造してつくった連接車の画像をいただきました。結構東西南北に走っていたことがわかります。最近は仙石線を撮ることが多いのですが、次期仙台訪問は保存機C601と仙石線と東北本線の交直をつなぐ区間での新型気動車の撮影です。今台風が東北上陸とか報道しておりますが、いよいよ夏も終わりです。どうぞお元気で昔話をお続け下さい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください