東海道本線、静岡駅での記録(2004~2007)

はじめまして。2012年度生の寺田と申します。今年の3月に卒業し、現在は京都を離れて東京で働いております。現役生の頃は、写真展の企画などで名前を目にした先輩方も多いかと思います。今後はクローバー会の会員として活動をしていきます。どうぞよろしくお願いします。

はじめての投稿で、何を書こうかと非常に悩みました。もう一つの活動分野である音楽を絡めて書こうか、はたまた昨年の青信号で書いた300系新幹線の記事の補足をしようか…。ネタを考えつつ掲示板を眺めていると、特派員様の清水市内線の記事が目に入りました。自分の出身である静岡の写真をこの場を借りて整理してみるのも面白いと思い、テーマが確定しました。写真をとりはじめた2004年から静岡から国鉄型が一掃された2007年頃までの写真を中心に振り返ってみます。小学生から中学生の頃の写真で、見苦しいものばかりですが、あたたかい目で見ていただけると幸いです。

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(2006/3 フェルケール博物館)

静岡市清水区(旧清水市)内に保存されていた65号です。一度は所有していた博物館が解体を決定しましたが、地元有志による保存団体の尽力により解体を免れ、現在は富山県の伏木ヤードにて保管されています。

私が生まれたのは静岡県静岡市。静岡駅から歩いて15分ほど、静岡鉄道のとある駅までは歩いて3分ほどの非常に立地の良い場所です。家からは静鉄と東海道新幹線、東海道本線に静岡車両区への出入庫線が見えましたが、最近マンションが建設されてJR線はほぼ見えなくなってしまいました。

そのような家に住んでいたため、普通列車からブルートレインに貨物列車、時には臨時列車や甲種輸送などを眺めて大きくなっていきました。

はじめてカメラを持ったのは小学校5年生のころ、2004年でした。その年に発足した静岡鉄道少年団に入団し、そこで仲良くなった同級生が写真を撮っていることに触発されたことがきっかけでした。

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(2004年9月 静岡駅)

カメラを持ったわずか半月後のダイヤ改正で、島田・静岡―東京間の直通列車が1往復に大幅に削減されるということで、大慌てで113系国府津車を撮りに行きました。写真の撮り方も分からない頃だったものの、辛うじて静岡まで来ていた証拠が残っていました。

ぜひともこのサロに乗りたかったのですが、それが叶うことはありませんでした。

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(2004年9月 静岡駅)

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(2004年11月 静岡駅)

9月には583系「つばめ」、11月には写真の「御殿場線70周年記念号」が走り、非常に濃い年だったことを覚えています。

臨時列車が一段落したあとは、時たま撮影に出かけては113系や115系を撮っていました。程なくして雑誌で臨時列車や甲種輸送の情報を手に入れるようになりました。

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(2005年4月 静岡駅)

2005年春には欧風客車「ユーロライナー」の最終運転がありました。しかし、当時はこれが最終運転とは知らず、やけに人が撮影者が多いことがただ不思議でした。

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(2005年2月 静岡駅)

当時の自分にとってのスター車両は、クハ115-188でした。静岡車両区唯一の原型ライト車で、車内のつくりも他の車両とは違い、珍しさもあいまって非常に好きな一両でした。こちらも写真こそありますが、かっこいい一枚は残せずに2006年の12月に、313系の投入直後に廃車となりました。

2006年の春に東京口から113系が撤退したものの、静岡地区はまだまだ安泰…と思っていたのもつかの間、その年の秋には次のダイヤ改正で撤退するという情報が回ってきました。しかも置き換え用の車両が313系のロングシート車と聞いたときは絶句したものです。今でこそ慣れてしまいましたが、当時は本当にがっかりでした。

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(2005年5月 静岡駅)

増解結を頻繁に行うのは今も変わらない、静岡駅の魅力です。

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(2007年2月 静岡駅)

駅のホームには立ち飲み屋もありました。当時はおつまみがおいしそうに見えましたが、お酒を飲んでいるおっちゃんの間に入って注文する勇気はなく、気が付けばいつの間にか閉店していました。

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(2007年2月 静岡駅)

2007年のダイヤ改正では、113系と115系、クモハ123の撤退と、特急「東海」と通勤快速の廃止、「するがシャトル」から続いていた島田―興津間の区間列車の廃止および普通列車の運行区間見直し、一部区間の増便および減便という白紙ダイヤ改正となりました。ダイヤ改正前は毎日のように駅へ通い、来る列車は何でも撮影をしていました。

ダイヤ改正前日は、大混雑の静岡駅で特急「東海」の最終列車を見送りました。その日もたくさんの113系が走っていたため、これらが消えるような実感は全く湧かないものでした。

しかし、翌日になると待てど暮らせど湘南色の電車はやって来なくなりました。このときになってやっと、幼少の頃から馴染んだ車両がいなくなったことを実感できました。

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(2007年8月 静岡駅)

ダイヤ改正の直前から貨物列車に凝るようになったこと、沿線での撮影地を開拓したことで駅に行って撮影する機会は一気に減りました。近年は甲種輸送が通過する度に駅員さんが総出で対応する混雑だそうで一層距離を置くようになってしまいました。けれども、このように振り返ってみると自分の趣味活動の原点の場所であることを強く感じます。


一回目にして長文となってしまいました。このような調子で、たまには最新情報や変わった切り口も交えながら投稿をしていきたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。

東海道本線、静岡駅での記録(2004~2007)」への7件のフィードバック

  1. 寺田咲築様
    デジ青への鮮烈デビューおめでとうございます。クローバー会会員一同大歓迎だと思います。2012年度生ということは、今年春のご卒業、社会人1年生ということでしょうか。私の手元にある名簿は1993年度生までのものしかなく、改めてDRFCの歴史を感じさせられました。静岡には「鉄道少年団」があったのですね。我々世代は「少年探偵団」の時代でした(?!)。ところで静鉄65号のうしろには何やら客車らしきものが見えますが、何者でしょうか? 寺田様、たまにはと言わず、どしどしご登場下さい。期待しています。

    • 西村雅幸様
      コメントありがとうございます。
      オヤ30の写真、感動しました。地平ホームの写真はもちろんですが、このような車両がいたことに驚きです。静岡車両区への職員輸送は物心ついた頃には既になかったはずなのでその点も興味深かったです。
      65号の後ろは、清水港線の晩年に運用されていたスハフ42 2105です。こちらは2010年頃に解体されたと聞いています。その後ろにはスイッチャーがいましたが、こちらについては詳細は不明です。
      最近はTwitterなどのSNSが中心でしたが、鉄分豊富な文章を心置きなく書けるこの掲示板が楽しいと感じております。今後も積極的に参加させていただきます。よろしくお願いします。

  2. 寺田咲築様
    東海道を気ままに歩いている準特急です。いつぞや東海道本線を青春18切符で旅をすると一番うんざりするのは静岡県を通過する時であると失礼なことを申し上げましたが、寺田さんが述べられているように静岡地区は普通車はロングシート車ばかりなのもうんざりの原因なのかもしれません。デジ青によく登場するお爺さん達の時代は静岡付近の普通列車は客車や80系湘南電車、113系の時代でした。最初のコメントとエールの交換で静岡の古典客車を出された西村さんは毎度地元広島地方の情報を発表されていますが、寺田さんも新車の入った静鉄を含めた静岡地方やそれ以外も歓迎ですので今回の様な素晴らしいレポートを出していただくと嬉しいです。

    • 準特急様
      コメントありがとうございます。今後もどうぞよろしくお願いします。
      在来線ならともかく、最近では東名でも新幹線でも長いと散々な言われようの静岡県ですが、学生時代に京都から東京まで行く際に通るとその不満もよく理解できました。ロングシートと座れないことが嫌でわざわざ中央本線まわりで行ったり、飛行機を選んだりとあの手この手で回避しようと躍起になりました。
      持ちネタと写真の数には先輩方には遠く及ばないですが、少しでも面白いと思ってくださるような記事を書いていきたいと思います。静鉄の細かな話もまだまだありますのでちょっとずつ書いていきたいです。

  3. 寺田咲築 様
    ご卒業、ご就職、そしてOB会初見参おめでとうございます。
    いつぞやは Mail でお世話をお掛けしました。その時の鶴です。お蔭様で第5回並びに第6回DRFC写真展の現役生の部門、画像とキャプションが揃い、『鉄路輝く web版』の体裁が整いました。御同慶の至りです。

    さて、ご出身が静岡ですか。大阪人の筆者らはいつも中間点を素通りしてしまいます。西に向かっても、東に向かっても。それでも10年ほど前から静岡県は大井川に魅力を感じまして、大井川と、その川沿いの鉄道を、年に3~4回訪ねています。それが昂じて昨年はとうとう同志社工学部のゼミの仲間10人までを大井川沿線に引っ張り出しました。彼らとは半世紀に渡る付き合いです。往路は大井川鉄道の蒸機と旧型客車に乗せました。とりわけ旧型客車と車内で食べた駅弁が大受けでした。

    大阪から大井川への手段は、新幹線で浜松迄、浜松から金谷まで東海道線です。この区間、駅間距離が長く、鉄橋あり、トンネルあり、特に金谷近くでは長大編成でも編成全部が撮れる大カーブ、とても眠ってなどしておれないワクワク区間です。この地に撮影に来るには車が要るだろうなと考えながらいつも車内から眺めています。

    ようやく秋の気配が感じられ始めました。紺碧の空、山紫水明、満天の星空、大井川に向かいカメラがムズムズし始めたようです。

    • tsurukame様
      コメントありがとうございます。現役生の頃は大変お世話になりました。ご迷惑をおかけしたこともありましたが、うっかりすると散乱しがちな写真をまとめてくださり大変感謝しております。今後ともよろしくお願いします。

      静岡の生まれでありながら、大井川へ足を運ぶようになったのはかなり遅かったです。なにしろ静岡から千頭まで片道2000円以上、井川まで行くと東京に行くよりも高いとあってはなかなか行けない場所でした。それでも、旧型客車に揺られて川を眺めるのは平成生まれの自分にはとても贅沢な時間です。
      東海道本線も島田から掛川、天竜川付近の車窓は随一です。大きな川に茶畑と富士山が見える、まさに静岡のイメージ通りの場所でございます。

      大井川といえば、京阪3000系の引退運転の際に訪れると、南海に近鉄、京阪の車両を並べて撮影会をしていました。関西私鉄が好きな方々にはたまらないシーンだろうなと思いつつ、自分も見とれてしまいました。

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