2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part1 旅立ち、ソウル経由でヤンゴンへ

中国四川省の山奥でお会いしてより中国各地へと、また夫婦連れでアフリカのエリトリア、そしてインドネシアのシュガートレイン撮影にも同行させていただきましたO氏より「東南アジアで是非に行ってみたい所があるので一緒に行かないか。」との打診を受けたのは、昨年秋でした。
ミャンマー地図01お聞きしますと、場所はミャンマー(旧;ビルマ)です。「10数年前にはまだ現役だった蒸気機関車を撮りに行ったが、その後は政情不安定な国でもあったのと、現地を案内していただける適任のエージェントが見つからなかったので諦めて他の国に行く方を優先していた。しかし最近、民主化解放が進みだし、またミャンマーに40数回も訪問しておられるボンネットバスの巨匠丸谷さんとぶんしゅうさんを通じてお知り合いになれました。信頼できるエージェントを教えてもらえたので、OKなら話を進めていきたい。」とのお話でした。

ミャンマーについては、泰緬鉄道ビルマの竪琴アウンサンスーチーさんぐらいしか知識がありませんでしたが、万事に緻密で慎重なO氏が引率していただけるなら大船に乗ったように安心して行けます。行くことを決めました。
ミャンマーへの訪問日程はO氏にお任せして、私の方は折角行くのだから先乗りして途中どこかに立ち寄りたいと、長旅を計画することにしました。
しかし、迷ったのはミャンマーまでのルートでした。私が海外に行く時には上級会員になっているJALを利用しますが、残念ながらミャンマーへのフライトはありません。日系もう一社のANAは昨年に羽田からの直行便が飛ぶようになりましたが、調べるとビジネスクラスのみの専用機で高額チケットです。これでは年金生活者には利用できません。他の外国航空会社も、直行便はなく途中でのトランジットを必要とします。

ヤンゴンまでのトランジットルート▲ 関空からのフライトをを調べると、上の図のように大韓航空、タイ航空、ベトナム航空、中国国際航空、中国東方航空、中国南方航空、チャイナエアライン、キャセイパシフックを選択できます。他にもLCCもあります。 続きを読む

2013年 記録的大雪のリンゴの町への旅 Part5 広田尚敬先生と一緒の弘南鉄道「雪飛ばしツアー」 その2

第5日目 3月3日

青森空港18:05(JL2158)→19:40伊丹空港

起床してすぐに外を見ますと、昨夜からの雪は止んでいました。積雪は、約15㎝で移動には問題なさそうです。朝食後まっすぐに大鰐方面へと向かいました。

01_あけぼの_edited-1▲ 朝から快晴です。前日まで運休が続いていた寝台特急「あけぼの」が今日は約8分遅れですが運行しています。大鰐温泉近くには、定番の有名撮影地があるそうで皆さんまずはここで朝1番の撮影となりました。大多数の皆さんは正面から撮りたいと雪原を渡って行かれましたが、数名は晴れた青空、雪と木、そして「あけぼの」を入れてのカットはそんなに撮れるものではないと横から待ちました。
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2013年 記録的大雪のリンゴの町への旅 Part4 広田尚敬先生と一緒の弘南鉄道「雪飛ばしツアー」

第4日目 3月2日

今日は、待ちに待った鉄道写真の巨匠広田尚敬先生が参加されての神谷武志さん企画の弘南鉄道{雪飛ばしツアー」の開催です。
朝、ホテルのレストランで皆さんとご挨拶です。今回は、いつも海外鉄でご一緒させていただくO氏も久しぶりにお会いできました。心強い限りです。
ロビーで参加15名の方々と対面しました。半数は面識ありますが、初めての方も半数おられます。じっくりとご挨拶することなくレンタカー5台に分乗しての出発となりました。皆で一緒に行動するのかと思いましたが、最初の目的地大鰐駅だけが決まっていて後は車別での自由行動です。私はO氏、O氏の鉄ちゃん朋友と3人乗車となりました。しかし、3人とも撮影ポイントと道筋を熟知していません。前に行く車に付いていくしかないのですが、出発早々に見失いました。車のナビの言うとおりに行くしかありませんでした。
02_大鰐駅01_大鰐駅▲ 9:06、何とか大鰐駅に到着することができました。先を行かれた神谷隊長も大鰐駅近くで迷走されたようで後からの到着です。構内では、雪が降りしきる中でED221+キ105は、出動準備をされていました。

ED221は、まだ日本の鉄道車両製造技術が未成熟だった1926年(大正15年)にアメリカより輸入された電気機関車です。車体と台 車はボールドウィン社製、電気機器はウェスチングハウス社製です。最初は、信濃鉄道(現;大糸線)で使用され、1937年国有化後ED22-1となり1943年には飯田線に転出しました。その後西武鉄道→近江鉄道→一畑電気鉄道と譲渡され弘南鉄道には1974年に参りました。日本各地へと移動を重ねた波乱万丈の人生だったのですね。弘南鉄道では大鰐線に配属されて、キ105とタッグを組んでの冬期のラッセルが担当業務となっています。年齢は87歳、元気ですね。
キ105は、1929年(昭和4年)国鉄苗穂工場で誕生しました。国鉄時代はキ157で、1927年旭川工場で改造されています。弘南鉄道には1975年に譲渡され、キ105となりました。同型車は、苗穂・大宮・浜松・土崎・郡山の各国鉄工場と、飯野産業(飯野重工業)・立山重工業において製造が行われ、全194両が存在しました。現役で活躍しているのは極めて少なく、弘南鉄道大鰐線弘前線の2両、今回DL不調で運行されなかった津軽鉄道キ101(国鉄時代;キ120)と思われます。

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2013年 記録的大雪のリンゴの町への旅 Part3 弘南鉄道 大鰐線

第3日目 3月1日

① 弘前中央9:00→9:29大鰐9:50→9:56石川プール前
② 石川プール前10:36→10:44義塾高校前12:46→12:49石川
③ 石川14:39→14:53聖愛中高前15:53→15:58弘前中央
④ 中土手町(循環バス)→弘前駅→中土手町
⑤ 弘前中央17:30→17:34聖愛中高前18:34→18:38

今日は3月1日、暦では春ですが、本州北端の地はまだ冬の季節のまっただ中です。
朝から天候が期待できませんので、弘南鉄道大鰐線ロケハンと撮影です。ホテルのデラックスな朝食をたらふく食べてから向かいました。

大鰐線の起点弘前中央駅までは、ホテル前の坂道を下って約5分少々でした。
01_弘前中央駅01_弘前中央駅201_弘前中央駅3▲ 8:47に到着しましたが、電車はまだ入線していません。改札係のおばちゃまは、前回10月に来た時にリンゴをくださった方でした。ご挨拶しますとよく覚えておられて、「また来たね。今日は正常通り運転していますよ。でも、ラッセルは必要ないから運行しないでしょうね。」と申されます。

8:51、大鰐からの折り返しの電車が到着しました。
通勤客と思われる乗客が下りて来られましたが、都会のラッシュとは雲泥の差でパラパラです。
降車客が改札を通過してからの乗車改札です。待合室にはそんなに乗客はいなかったのに車内に入ると半分くらいシートに座っているお客があられました。途中駅は温かい待合室などありませんので、折り返し電車が待合室代わりなのかも・・・。

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2013年 記録的大雪のリンゴの町への旅 Part2 津軽鉄道

第2日目 2月28日

① ホテル6:00(Taxi)→弘前6:34(JR)→7:19五所川原
② 津軽五所川原8:10(津軽鉄道3)→8:54大沢内(徒歩)→津軽中里
③ 津軽中里12:50(153)→13:00川倉(徒歩)→芦野公園15:34(156)→
④ 芦野公園15:34(156)→16:06津軽五所川原16:11(JR)→17:01弘前

13今日は5時過ぎに起床。支度を整えてホテルが宿泊者のためにチャーターしている無料TaxiでJR弘前駅へと向かいました。このホテルは、駅から歩くと坂道もあって約30分近くはかかりますのでこのサービスは、宿泊者にはとても便利ですね。

弘前駅では、今回も津軽フリーパスを購入しました。JRの他に津軽鉄道(金木まで)、弘南鉄道全線バスにも使えてとても便利です。雪飛ばしツアーの皆さんと合流するまでの間の2日間は、これで乗り鉄、撮り鉄に使います。
02_弘前ホーム

▲ 弘前駅のホームです。ラッセルされているのは、浪岡駅同様に乗降する場所のみがやっとのようで、後のスペースは雪山です。
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2013年 記録的大雪のリンゴの町への旅 Part1 弘前へ

インドネシアのSL撮影ツアーでお世話になった神谷武志さんから3月2日、3日のひな祭りに津軽鉄道ラッセル車をチャーターしての雪飛ばしツアーを開催するので参加しないかとのお誘いを受けました。津軽鉄道は、昨年10月にリンゴとDCのツーショットを求めて撮り鉄に励みました。冬にはストーブ列車も乗ってみたいし、撮ってみたいと思っておりました。そして今回も巨匠、広田尚敬先生が参加されます。喜んでの参加を申し出ました。

ところが、2年ぶりのラッセルを牽引するDL機関車DD352号機の軸受メタルに不具合が発見されて部品交換等の準備手配をしていたが今年度中の復旧は不可能になったと、残念なお知らせが参りました。
しかし、参加希望者の方々にそれではどうするのかを聞かれた結果は、代わって弘南鉄道(大鰐線、黒石線)のラッセル撮影に振り替えて挑むこととなりました。

参加者の皆さんの行程は3月1日夜に弘前着です。時間に束縛されない失業者の私は、津軽鉄道も訪れてみたいと、例によって2日間前倒しで先乗りすることにしました。

第1日目 2月27日
① 伊丹10:30(JL112)→11:35東京12:30(JL1205)→青森13:50
② 青森空港14:05(リムジンバス)→14:18浪岡BS
③ 浪岡14:30(JR)→14:47弘前15:00(弘南鉄道)→15:19津軽尾上
④ 津軽尾上15:30→15:32柏農高校前16:02→16:19弘前

01_青森空港出発当日までの弘前は、観測史上最高の積雪量153㎝を記録、今シーズン最悪の気象状況となり、行くこと自体危ぶまれましたが、当日は雪も止んで快晴となり到着できました。

02_リムジンバス03_青森空港~浪岡BS 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part15 帰路・帰国

第16日目 1月7日

漠河 前日22:26(2668次)→23:00哈尔滨

01_朝食03_昼食車中で目覚めると雪原地帯を走行していました。今日は、食堂車が付いていますので温かい食事の車内販売が回ってきます。
朝食は、お粥定食15元(約200円)です。列車受持ちの鉄道局によって、麺もあったりしますが、お粥は定番ですべての列車で用意されています。違っているのは惣菜等です。
かつては食堂車でバイキングを用意してあったこともありましが、最近は見かけなくなりました。食堂車に行っても注文できるのは、このお粥定食のみです。

昼食は、同じく車内販売の弁当にしました。25元(約350円)です。食堂車内では、1品単位をオーダーできますが、注文しても車内販売の弁当を作り終わってからになります。量も多いので多人数で一緒に食べる時には4~5品頼んで楽しめますが、夜食時の方が良いですね。
03_昼食3

 

夕食です。毎度即席の手書きメニューでしたが、この列車では珍しく印刷された物が出てきました。肉と魚料理を注文しました。哈尔滨鉄路局受け持ちだけあって、見た目濃いめ東北料理の味付けでした。やはり成都鉄道局受持ちの食堂車に勝る料理は出てきませんね。

03_昼食2 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part14 中国最北端の北極村 その3

第15日目 1月6日
漠河22:26(2668次)→翌日23:00哈尔滨

01_北極村今日は北極村での3日目です。ゆっくりとくつろぎました。夜には、夜行列車で哈尔滨へと向かいます。
小竹先生は、朝食後すぐに朝の村の様子を撮りたいと出かけられました。私は、部屋でゆっくりPCで中国鉄路の列車残席情報のチェックです。
と、言いますのも哈尔滨に戻った後、東方江等の国境の町に向かいたいのですが、往路の切符はあるのですが復路がなく、何処にも行くことができません。切符発売の12日前から同じ状態が続いていて、ネット上で検索が不可能状態です。春節は2月10日ですので、民族大移動にはまだ早いと思われます。站で切符を押さえているのか何か理由がありそうです。

03_02_温度9時過ぎに先生が返ってこられ、今度は山の方へ行こうかと言われ付いて行きました。麓には民俗村もありましたが、冬は閉館です。山頂からはアムール川とロシアが見えるそうです。しばらく登りましたが、私はしんどくなってギブアップしました。老体には雪深い登山は無理です。麓の山小屋でストーブにあたって休憩です。外温はマイナス28℃です。山小屋の番人は、昨夜はマイナス38℃だったと言っていました。陽が昇りだすとすぐに温かくなるそうです。

04_魚売り 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part13 中国最北端の北極村 その2

第14日目 1月5日

01_外温02_日の出7:30、中国最北端の北極村で極寒の朝を迎えました。温度計を窓の外に出して外温を測ってみましたが、マイナス28℃とそれほどではありません。深夜にはもっと下がったでしょうが、哈尔滨に着いた時の漠河は、マイナス46℃でした。大寒波に見舞われたそうですが、以降は温かくなったようです。今日と明日は、北極村で極寒の世界を堪能する予定です。朝食後、早速に村の様子を見に行くことにしました。
03_国境警備隊今日の記事にはが出てきません。1月6日と合わせて北極村紹介とさせていただきます。ご了解のうえご覧ください。

最初に訪れたのは、国境警備隊の建物でしたが、門衛はいません。北朝鮮との国境とは雲泥の差です。これを見てもロシアとの緊張感がないことが分かります。

04_国境 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part12 中国最北端の北極村へ その1 古蓮駅、月牙湖駅、漠河駅

第13日目 1月4日

齐齐哈尔10:50(6245次)→9:16古蓮

朝、目覚めると二人だけだった部屋には、あと二人の乗客もおられました。そして、ガラガラだった他の部屋も満員です。爆睡しておりましたのでどこで乗車されたかはわかりませんが、多分加格达奇(ジャガダチ)だったのでしょうね。
11_漠河へ12_DSC_8749▲ 列車は昨日までの雪原ではなく森林地帯を走っていました。1站1站、古莲へと近づいていきます。いよいよ中国最北端に来たなあとの実感がわいてきました。育英を過ぎた頃に朝日が昇ってきました。

10分停車の漠河では殆どの乗客が降りました。我々の下車站は、まだ17キロ先です。
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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part11 阜新から漠河の北極村への旅路 齐齐哈尔站(チチハル駅)

第11~12日目 1月2日~3日

① 1/2-阜新17:41(4207次)→21:07沈阳(Taxi)→沈阳北
② 沈阳北22:35(K549次)→1/3-7:24齐齐哈尔(チチハル)
② 齐齐哈尔1/3-10:50(6245次)→1/4-9:16古蓮

今夜から小竹直人先生と二人で阜新を出発して、中国最北端の地、黒竜江省漠河のその名も北極村へと向かいます。移動距離は、約2,000キロです。
北極村の極寒の冬はマイナス50℃にもなり、運が良ければオーロラも見えると言われています。鉄道とは無関係の所ですが、小竹先生より「中国の蒸気機関車撮影には数10回も来ているが、最北端の地も一度は行ってみたい。それも極寒の真冬こそ一番。」とのお誘いを受けて、綏棱森林鉄路阜新大爆煙ツアーの後で訪れることにしました。
また丸谷氏からは、グーグルアースを見ていると終着站の古莲から線路が伸びている。古莲站構内にはデルタ線も見えているので、ひょっとして森林鉄道ではないだろうか。古莲には訪れた日本人も少なく情報がない。行かれた方でも列車本数が少なく、周りになにもない站なので直ぐの折り返し列車で戻っている。行くなら是非とも探索をお願いしたいとの依頼もありました。
2つの目的を持って訪れることになりました。
中国鉄路線_地図 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part10 阜新煤礦鉄路の大爆煙 その2

第10日目 1月1日

新年があけましたが、中国では春節(旧正月)がお正月です。何のお祝い行事もありません。我々にとっては、月夜の大爆煙ショーこそが新年の始まりです。
0時前にすぐに「フライアッシュ号」が来るので、急ぐようにとの連絡が参り、ホテルをでました。凍てつく道をワクワク気分で山へと向かいました。
[googlemap lat=”41.957471594303776″ lng=”121.6317629814148″ align=”left” width=”300px” height=”180px” zoom=”16″ type=”G_HYBRID_MAP”]遼寧省 阜新[/googlemap]
ところがです。撮影ポイントに行くには、205信号所の下の道にあるゲートをくぐらなければなりませんが、鉄柵の門は閉まっていて車では入れません。降りて開けようとしましたが、電動になっていてビクともしません。

仕方ありません。もう1つのゲートがある205信号所上の道に進路を変えて向かいましたが、ここもガッチリ閉まっていて施錠されています。困りました。すでに「フライアッシュ号」は、五龙炭鉱前にある信号所で待機中です。205信号所へと向かうのは時間の問題です。
こうなれば、撮影ポイントに行くには徒歩しかありません。約40分程度は必要です。再度、先ほど通った205信号所に行って、発車を遅らせてもらうように交渉しようとのことになりました。
交渉が上手くいくようにと祈りましたが、やってきた「フライアッシュ号」は、205信号所前を殆ど停車することもなく、我々の前を通過していきました。呆然と見送る以外ありませんでした。

01_月

正月の午前3時、全てが終わって見た阜新の月はとっても綺麗でした

結果論ですが、最初のゲートでチャーター車を降りて山に向かうべきでした。まだ時間がありました。

しかし、月明かりの外は凍てつく寒さです。こんな条件下で待つのには勇気だけではできません。できれば温かい待機場所を必要としていましたので、その時にこの選択は考えられませんでした。

T中さんは、ここでの夜撮のご経験もおありでしたが、いつもは205信号所に一旦停車する蒸気機関車に乗せてもらって向かわれていたそうです。今回は、案内人を入れての8名です。多いので乗せてもらう交渉は始めから不可でした。

と、いうわけで、新年早々は失意から始まりました。

02_踏切前【DATA】 7:11、125㎜、F7.1、1/5秒、ISO200、-03段
02_点検【DATA】 7:22、300㎜、F6.3、1/125秒、ISO2000、-0.3段

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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part9 阜新煤礦鉄路の大爆煙

第9日目 12月31

① 哈尔滨 前夜21:51(1522次)→4:22沈阳北
② 沈阳北站4:45(チャーターバス)→8:38阜新

01_瀋陽北駅ホーム4:33、まだ夜明け前の沈阳北站に着きました。
12月1日に哈尔滨~大连を結ぶ哈大高速鉄路が開業しましたが、在来線と同じ站は、沈阳站と、ここの2站だけです。
ただ2站間距離は3キロしかないので、両駅とも停車する列車は殆どなく、どちらかになっています。かつては満鉄時代に東京駅を模して建築された沈阳站がメインでしたが、今は、沈阳北站を発着する列車が圧倒的です。両站は地铁、BusまたはTaxiを利用しての移動となっています。

02_瀋陽北駅03_夜明け04_高速道路▲ 沈阳から阜新へ向かうには新义線の利用となりますが、沈阳北站ではなく沈阳站からの乗車となります。1日6往復があります。鉄路利用で行きたかったのですが、接続列車は沈阳站10:17発しかありません。
阜新に行きたいのは、大爆煙を撮るのが目的でしたので、できるだけ早くに着く必要があったためにチャーター車となりました。沈阳北站北口から今夜のホテル中林国際酒店までは、高速道路で約200キロあります。
凍てつく道は、スピードを上げられません。約4時間弱を要して8:38に到着しました。
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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part8 小竹直人企画「綏棱森林鉄路(スイリン森林鉄道)撮影ツアー

第8日目 12月30日
哈尔滨21:51(1522次)→4:22沈阳北

今日は綏棱森林鉄路の復路です。晴天になればと期待をして6時前には起き上がり、まずは荷物を持って宿泊所を出て、昨夜の夕食をした食堂に置きました。
01_建国駅01今日は朝から失敗はできません。夜明け前の積雪路をカメラのレンズキャップはしたまま、建興站構内へと向かいました。
残念ながら夜空には月はおろか星すらも見えません。

DLから前照灯をいただいて夜撮ならぬ朝撮です。
【DATA】ズーム48㎜、F7.1、
6秒、ISO200、0段

01_建国駅00【DATA】44㎜、F7.1、1.6秒、ISO200、0段
上の写真2カットは、ほぼ同じ場所で同一条件で撮りましたが、三脚を極力使用したくない私的には、シャッタースピードを速くして自然に近い状態で撮影することが好きです。今回は折角三脚を持ってきましたので使用しましたが、この条件下であれば単眼レンズの55㎜F1.4か、35㎜F2.8に換えての手持ちで撮っても良かったと、後で悔みました。

F値については、デジタル一眼レフカメラでは、F8が一番良いとカメラ雑誌に出ていましたので選びましたが、小竹先生によると一般的であって、使用するレンズ特性によって画一ではないと申されます。最近のレンズは解放でもそこそこの画質を得られていて、1段絞れば十分なのが多いそうです。もう少し自分で勉強する必要がありますね。
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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part7 小竹直人企画「綏棱森林鉄路(スイリン森林鉄道)撮影ツアー

第7日目 12月29日

今日から小竹直人先生が企画された「綏棱森林鉄路撮影ツアー」の始まりです。 丁度今夜は満月で、昨日にも増しての綏棱のC2型蒸気機関車とのツーショットが期待できます。ツアーに参加された皆さんは、私を入れての12名と、にぎやかになりました。01_乗車
皆さんは海外鉄のベテランばかりで、頼もしい限りです。半分の方は顔なじみでした。
その中で、遠く駐在先のタイ、バンコクから来られた方もおられました。 何と私がタイに行ってバンコクのファランボーン駅で夜間、SL撮影をしていた時に直ぐ近くにおられたそうです。びっくりです。タイ鉄の話に花が咲きました。 01_林鉄スイリン駅1▲ 7時過ぎに林鉄绥棱站に着きましたが、今日の天気は,、昨日までの快晴がウソのように曇り空で、粉雪が舞っていました。まあ皆さんは、達人ばかりですので、こんな日も慣れたもので、それならそれで撮られるテクニックはお持ちです。すぐに客車に乗り込み荷物を置いてから、出発前の撮影が始まりました。

02_走行1▲ 7:43、林鉄绥棱站を出発して約3キロ、国鉄線と分かれてL字方に進路を変える所で、並木をバックに第1回目の撮影です。 ただ、このC2型蒸気機関車は、今一つ調子が上がらないのか、思いっきり煙を上げて欲しいとの注文に答えてくれません。白い世界に白煙では、ちょっと撮影にはしんどいですね。 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part6 兴隆森林鉄路(興隆森林鉄道)、綏棱森林鉄路(スイリン森林鉄道)

第6日目 12月28日

兴隆镇9:21(K7029次)→10:58綏棱

今日は、早朝にレールバスを撮った後、列車で綏棱森林鉄路へと向かいます。
01_レールバス
02_レールバス6:00、林鉄兴隆站に参りましたが、レールバスの到着はまだです。
前照灯は見えていますがこちらへ来る気配がないので行ってみますと、運材を満載した貨車が脱線を起こして、車庫からくるレールバスを通せん坊をしていました。
無理やり押してスペースを空けてポイントを切り替えて脱出しましたが、脱線は日常的なようですね。
6:33、手間取りましたが、何とか踏切前の停車位置に来て乗客を乗せます。
今日のお客はまだ少ないようです。

02_レールバス車内▲ 6:45、待たせておいたチャーター車で龙家站を目指しました。
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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part5 兴隆森林鉄路(興隆森林鉄道)

第5日目 12月27日 2の2

午後からはC2型蒸気機関車をチャーターしてのフォトランです。林業局関係者も同乗して林鉄兴隆站を出発しました。20_C2林鉄スイリン駅

21_運材車▲ 長春嶺站までは、後ろ向きの牽引です。7両の空の運材車を用意してもらいました。 途中で止まって撮る予定でしたが、夕日をバックに撮れる復路を優先しようとになりました。 11月に訪問した綏棱と違って勾配区間やカーブもあって、撮影ポイントはありそうです。 続きを読む

2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part4 兴隆森林鉄路(興隆森林鉄道)

第5日目 12月27日 2の1

01_到着今日は、昨夜着かれた丸谷氏とK井さんと3人で兴隆森林鉄路の撮影です。蒸気機関車チャーターは午後からとなっていますので、午前中はレールバス撮影です。
早朝起きで6時には林鉄兴隆駅へと向かいました。6:30にはレールバスが発車します。
6:10、車庫からレールバスが到着しました。03_レールバス_スイリン駅▲ 鉄路と街路が交差する踏切前に停車しました。ホームはありません。夜明け前の暗闇の中、待っておられた乗客の皆さんは、たくさんの荷物を持って乗り込まれました。昨日見た大きなレールバスとは違って、中型ですので、ぎっしり満員でした。
DATA;Nikon800E ズーム48㎜、F4.2、1/8、ISO6400、-0.3段 外温-30℃
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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part3 京广高速鉄路、兴隆森林鉄路(興隆森林鉄道)

第4日目 12月26日

哈尔滨9:25(K7063次)→11:01兴隆镇

02_ぼうや02_ぼうや2▲ 兴隆镇に向かう列車で一緒だったおばあさんと元気そうなお孫さん。14号車と4号車を間違えて乗車されたそうで、席がありません。優しいお嬢さんが自分の座っていた席を譲られました。また立たれていたお嬢さんに同行していただいた趙さんが、私の席をどうぞと譲られました。
譲り合いの連鎖がありました。優しい人民の様子を見ていて、朝からとてもすがすがしい気分をいただきました。趙さんは、荷棚に溢れる大きな荷物も整理されていました。さすが旅行社に勤める人物です。よく気が付かれていました。
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2012年~2013年 極寒の中国鉄路の旅 Part2 哈大高速鉄道初乗車 大連北駅、ハルピン西駅

第3日目 12月25日

① ホテル7:30(Taxi・18キロ)→8:00大连北站
② 大连北8:44(D1307次)→14:30哈尔滨西
③ 哈尔滨西站14:50(Taxi)→15:10哈尔滨駅前

昨夜ホテルに帰ってからフロントのお姉さんに、大连北站に行くBusの系統を聞きましたら、「大连北站?、そんな站はないよ!聞いたことがない。」とのお返事です。
12月1日に新しい哈大高速鉄路が開業した。大连に新しくできた站ですと説明しても「不知道」です。ホテルのフロントマンなのに、不勉強だなと思いましたが、ここは中国です。フロントマンの程度はこんなものです。
近くに旅行社の事務所がありましたので、行って聞くと、「私はまだ行ったことはないですが、できたのは知っています。しかし、市内からそこへ行くBusがあるのかどうかまでは知りません。」 と、まあまあ、まともな返事が返ってきました。

大连北站は、瀋陽大连を結ぶ在来線の瀋大線に建設されました。大连站からは4つ目の駅で、15.9キロに位置します。しかし、現在は哈大高速鉄路の駅として使用されていて、在来線の列車は止まらず、すべて通過します。列車で行くこともできません。

02_DSC_6324仕方ありません。今日はTaxiで行くことにしました。問題はTaxiの運転手が知っているかどうかでしたが、今の大连站よりもっと手前に駅ができていた等々を説明しますと、行ったことはないが、行ってみようとの中国人らしい返事です。大丈夫ではありませんが、他のTaxiに乗り換えても同じだろうと、任せました。
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