▲ マンダレー駅ホーム端にある水汲み場にボトルを持ってきていたお嬢さんたち、ちょっと振り向かれた時に出ましたはにかみ笑顔、久しぶりに見させていただきました。
第7日目 3月29日 その2
マンダレー 17:00(D4n)→9:15 ヤンゴン
15:15、マンダレー駅に到着しました。2階駐車場から構内を見ていますと見慣れたカラーのDC2両が入線してきました。飛ぶようにホームに向かいました。
2両のDCは2011年にJR四国から譲渡されたキハ47系です。
キハ47-116→RBE2571
キハ47-117→RBE2572
と、改番されていました。
車内を見たかったのですが、制止させられました。
列車は2時間遅れで到着したそうで、乗降が終わるとすぐに折り返していきました。
制止はそのためでした。
ドアは開けっぱなしで去って行きました。
行先は時刻表がなく分かりません。
キハ47-1087→RBE2574
3両とも車体制限のため屋根上のベンチレーターは撤去されていました。
JR四国からはもう1台が譲渡されています。
こちらはヤンゴンに配車されているそうです。
キハ47-503→RBE2573
車庫には、木造客車が放置されていました。おそらく英国植民地時代のビルマ鉄道創世記に走っていた車両と思われます。
保存状態は比較的に良好です。
ミャンマーの歴史を語る貴重な産業遺産の1つです。朽ち果てないうちに鉄道博物館を造って保存して置いて欲しいものです。
▲ 切符は手書きです。名前まで記入されています。この切符はいくらするのか聞きますと、ややこしくて計算できないとのことです。ミャンマー人と比べると約10倍することは聞いていました。またプラチナ切符で手に入れるためには何らかの手回しが必要とされます。ですので公表できにくいのが正解です。下は今日の編成表です。
▲ 4Dn列車は定刻17:00に発車しました。市内を抜けると車窓は中々です。寝台車はコンパートメントでベット幅も十分で快適と申し上げたいのですが、空調がありません。車内温度は30℃です。扇風機は回っていますが、窓からの風が頼りです。乗り心地は予期していた通り上下左右に激しく揺れます。特に上下振動はたまりません。O氏は上段に休まれましたが、暑さ+上下振動はまるでトランポリン状態だと申されます。
通路には物売りがひっきりなしに往来しますが、我々では普通に立ってはおられません。こんな乗り心地は初めての経験です。
どうしてこんなに揺れるのかは専門家でないのでよく分かりませんが、1番は軌道の問題でしょう。バラスは新しくなっているのですが厚みが足らなく、ただ巻いてあるだけで整備ができていません。軌道にたいするノーハウがないのでしょう。この状態で約16時間余りを耐えられるのか? 体調も良くないのでなおさらです。
[googlemap lat=”21.86094112505149″ lng=”96.07337951660156″ align=”left” width=”300px” height=”250px” zoom=”15″ type=”G_HYBRID_MAP”]マンダレー[/googlemap]▲ 17:22、車庫のある駅に着く直前で改造中のキハ181系、183系が一瞬見えました。カメラを車窓撮影で手にありましたので、切りました。
どちらとも屋根上のクーラーは撤去されています。特徴ある運転台も屋根部分が撤去されています。どういった姿に変貌するのでしょうか? それとクーラーです。2重固定窓ですので空調ナシなら窓を開閉できないと困ります。床下に積む案もあるでしょうが、問題はスペースがあるかどうかです。
181系はJR西日本から15両?、183系は11両?が譲渡されたと聞きます。今回走行中には会えませんでしたが、どの路線で使用されるのでしょうか。現在のミャンマー鉄道の軌道は、想像を絶する超悪路です。無事に走りだせるのかさえ心配です。
▲ 17:40、夕日が水が張られた水田に映ってきました。ぼちぼち日没近しです。
17:53には食堂車からボーイさんが注文を取りにやってきました。
焼き飯、焼きそばの他は殆どチキン料理のオンパレードです。結局焼きそばに落ち着きました。
▲ 隣のコンパートメントにおられた親子連れ。コテコテに日焼け止めを塗っておられます。もう夜ですので顔を洗っても良いと思いますが、習慣なのでしょうかね。
19:26、とある駅に停車しました。ここでも線路から売り子さんが回られていました。
02:18.真夜中に到着した駅です・
車内温度は下がることなく30度を維持しています。
暑さもそうですが上下振動は止まらず寝つけられない夜行列車の旅でした。
経験した者として、乗車はお奨めできません。乗車するには覚悟が必要です。
▲ 7時過ぎに陽が昇り、朝を迎えました。昨夜はウトウトしただけで熟睡など程遠い状況でした。もう、早くヤンゴンに着いて欲しい心境です。夜行列車には高校時代から数えると100回以上乗ってはいますが、こんなに長く辛く感じた事は初めてです。駅に止まるとほっとしました。
7:06、朝方には車内温度も25℃に下がってきていましたが、問題は温度より上下にバウンドする揺れです。全線にわたって同じ状態が続きました。
7:20、バゴーに着きました。駅構内に進入する前にO氏は林の方角を指をさされて、「見えなくなっていますが、あの中に蒸気機関車があったんですよ。」と言われました。お聞きしますと、「1973年に大学を卒業してから鉄から完全に遠ざかっていたが、1992年に誘われてミャンマー鉄道最後の蒸気機関車を撮りに来たのがここでした。イギリス製の2C1、1D1のすっきりしたカマがいました。当時すでに、バゴーから泰緬鉄道の一部区間とニアウンレーピンとMadauk(マダウ)間のローカル線だけにしか残っていませんでした。ニアウレーピンはバゴーの少し北側、マンダレー線の途中にあります。この時に海外鉄に目覚めて数えれば70数回も渡航することになっている。」と申されました。
帰国後、その時の写真を送っていただきましたので、ご紹介します。
▲ いかがでしたでしょうか。約20年の寝覚めからのブランクを感じさせないバッチリ写真の数々です。私ももっと早くに目覚めていればと後悔しました。
写真を見ますとO氏が撮られてから21年経過していますが、客車だけは変わっていません。それにしても蒸気機関車は綺麗ですね。今も留置されていたら会ってみたいです。
▲ 9:40、定刻には少し遅れましたがようやくヤンゴン駅に到着しました。16時間40分の初めてのミャンマー鉄道、乗り鉄旅でした。
到着直前にキハ52の姿を見ました。出札後すぐに止まっていたホームに急ぎましたが、すでに発車した後でした。
▲ ヤンゴン駅構内に静態保存展示してあった蒸気機関車です。磨き上げられ綺麗に塗装されていました。
これから朝食後一旦ホテルにチェックイン後、市内見学となります。Part12に続いて掲載させていただきます。 Part13へ続く
斎藤幹雄「魅惑の東南アジアで日本型車輌に再会!」レイルマガジン348号(2012年9月号)によれば、ミャンマーの鉄道は「撮影禁止」で、政府の正式な撮影許可証が必要とあり、結構脅かした記事であります。台湾でもかつて国民党時代原則禁止で、鉄橋等の要所には鉄砲を持った兵士が立哨していたとか。然るにぶんしゅう氏はじめ御一行様は至極脳天気?で撮影され、住民の顔も底抜けに明るいじゃないですか。軍政が解けたミャンマーではありますが、まさか1年で「鉄ちゃん」に対する国内の雰囲気ががらりと変わり、御法度が消え失せたとは思えないんですが、ヤンゴン近辺だけがやたら厳し(かった)いのか、それとも斎藤氏が単に事情を知らない面々に過度の脅しをかけただけなのか。
湯口大先輩様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
おっしゃられる通りキャンマー鉄道の撮影は原則禁止されています。事前にこのことは聞かされていましたので、今回は案内人のネイトンさんに訪問地及び撮影場所については綿密に打ち合わせを行い、許可を取っていました。駅や車内も許可が必要で、その都度ネイトンさんに確認してから撮影に挑みました。ただマンダレー空港近くの駅のように急な撮影箇所もありましたので、その際は現場責任者に申し出て暫定的な対応をしていただいた次第です。
次回掲載するPart12では目の前にディーゼルの機関区がありましたが、土日で撮影許可がとれず門の前からの撮影に止めました。他にもこういった場面がありましたが、ネイトンさんの判断をあおぎました。
ミャンマー鉄道撮影は、信頼できる案内人を必要とします。案内人が見つかれば撮影は容易と思われます。
ミャンマーのSL、DC撮影は、HPをご覧になられた方より問い合わせが入っています。O氏と相談をしていますが、皆さんの行き易い年末に計画をする予定です。ご都合が良ければご参加ください。大先生の解説を必要としている場面がいくつもあります。よろしくお願い申し上げます。