▲ グースが走る渓谷、岩肌から注ぐ水で洗い物をしていた少女。声をかけると、こちらを向いてくださいました。ちょっぴりと、はにかんだ笑顔はとっても素敵でした。ナムツ鉱山鉄道沿線で撮れた1番のショットです。
ナムツ鉱山鉄道 第3日目 3月27日 その2
ナムツ鉱山鉄道の指令所を出ますとリーダーのO氏より鉱山鉄道の管理者との話し合いの結果を皆さんに説明されました。
「 昨日の山火事発生で皆さんは大変心配されたと思います。昨日はあれほどの事態が起こるとは予想だにしていませんでした。皆さんが思われている通り、今日も昨日と同じように42号機を走らすと、昨日同様かそれ以上の災害が発生するかもしれません。
列車運行の責任は鉱山鉄道側にありますが、主催者は我々です。我々にも多少とも責任が生じる以上、危険は避けるべきとのご意見が出ました。極めて乾燥をしているこの時期の42号機の走行は止めた方が良いのではないか。我々は、代替案として皆さんの希望が出てきたグース運行を提案したい。 と、申し上げました。すると、管理者も案じておられたのか安堵の表情を表され、直ぐに上司に電話連絡をされた結果、許可が出ました。管理者は我々が心配じている以上に案じておられたようです。それと、一昨日はスイッチバックまでしか行けませんでしたが、今日はグースでその先まで行けることになりました。費用についても追加請求はありません。 」と、我々が思っていた以上の回答を引き出されたことをお聞きしました。
さすが大手鉄鋼会社の現場長を務められただけの人格者です。如何とも言い難い交渉力でもって鉱山鉄道側を説得、納得させられたのでしょうね。皆さんも万歳です。
それからの鉱山鉄道側の対応は、非常に迅速に始まりました。
休日にも関わらずグースの運転手の呼び出し、グースの燃料の手配をして、10:37、グースはデルタ線に入って機回し準備完了となりました。
▲ グースの駆動部分ですが、伝動ベルトには三ツ星ベルト(本社神戸市)製が使用されています。日野トラックといい、こんな所で日本製に会えるとは感激でした。
先行列車は、DC303号機が牽引しますが、続行するグース撮影のためにと、後ろが展望車となって撮影が楽しめる貴賓車も提供されました。
レトロな木造車ですが車内は椅子が据えられて綺麗で快適です。
▲ 10:58、ナムツ駅を発車。タイガーキャンプへと向かいます。
▲ この辺りが最も勾配が険しい区間です。
▲ 11:27、順調に走行してLopah駅に到着。すっかりと顔なじみとなった駅員さんがまた来たねと笑顔で迎えてくださいます。
▲ 今日の便乗客はおばさん一人です。こっちにも乗らないかと呼ばれます。
303号機はエンジンが加熱しすぎるのか、ここでラジュエターに給水です。
最後は水をぶっかけておられました。
▲ 11:38、今日はトラブル発生もなくLopah駅を直ぐの発車でした。
▲ 車内からの展望です。今までの貨車のデッキからと違って座って撮れるのですからlこれは楽でした。始めから奨められてはいたのですが、後部窓が開くとは思っていませんでした。
▲ 今までの撮影地で一番気に入っていた木のトンネル。枝木を支える棒が建っていて線路ぎわには山からの湧き水が流れています。復路ではお嬢さんが洗濯をされていました。冒頭の写真現場です。
▲ 12:01、タイガーキャンプに到着しました。3日間で1番早かったですね。
ここで、昼食です。今日は焼きソバに目玉焼きでした。脂ぎってベトベトしていないのが救いですが毎日同じような物を食べていて、少々飽きが出てきました。
改めて日本の弁当の豊富さ、創意工夫された惣菜の味付け、品数は世界一と思いました。
デルタ線を使ってのグースの機回しが行われました。バック運転でスイッチバックを目指すようです。
▲ 休憩所の前で待つグース。両側の柱にあるのは、飲料用の水カメです。現場の皆さんは上に置いてあるコップですくって飲んでおられましたが、我々の中では誰も飲む人はいませんでした。山の湧水で天然のミネラルウォーターですが、硬水に慣れていない日本人には健康上無理ですね。
12:50、先を走るグースに乗り換えての出発です。
▲ 12:57、タイガーキャンプ上のスイッチバックに到着しました。
下の路線は採りだした鉱石運搬用です。電化されていてトロリー架線が張ってあります。ここでは電気機関車が活躍したそうですが、休鉱中ですので車庫で眠っています。
鉱山人夫の輸送用と思われる車が放置されていました。
切り通しの線路の両端はトンネルになっています。
片方のトンネルの上部にはタイガーのモニュメントが取り付けられて、「タイガートンネル 1914年4月9日 」と、名前と完成年月日を記念するプレートも設置されています。
ナムツ鉱山鉄道の開業日なのでしょうね。
植民地とはいえ、いかにも英国らしいです。
このスイッチバックからはさらに上へと上がります。ここからが初めての乗車線です。
▲ 13:10、タイガーキャンプからは第1スイッチバックを上がり、第2のスイッチバックまで上がりました。海抜は約835mです。ここから先も線路は伸びていますが、管理者より安全走行が確認できているのはここまでということでした。
管理者の指示は絶対的ですので、諦めてスイッチバックシーンのみにして切り上げました。
しかし、後で以前に行かれた方の記事を見ますと、山崩れで線路が崩壊した先まで行かれた写真が掲載されていました。
これでは復旧は難しいですね。新たに迂回線を造るか、橋でもかけないと対岸に行くことはできません。2011年12月の状態ですのでもっとひどくなっているかもしれませんね。
▲ 13:20、行く途中で気になっていた集落を抜けるカーブがありましたのでグースをバックさせて撮りました。小さな橋がありますので集落からのショットも撮りたいと下りて準備をしていますと、住民の皆さんが集まってこられました。
▲ 何とお茶まで出していただきました。その後はバナナや茶菓子等々いろいろと自宅から持ってきていただきます。思いもよらない歓迎です。ありがとうございました。
▲ 感激されたM1さんが写真を撮られてお見せになられますと、皆さんは大喜びです。
▲ 子供たちも集まってきて撮って撮ってとピースサインです。その中でも彼女、決まっていますね。集落一の美人になれますよ。
そうしているうちに肝心のグースのエンジンが止まってしまい、かからずとなって立ち往生になりました。ディーゼル機関車の牽引が必要です。タイガーキャンプに残した303号機を呼びに向かわれました。
▲ 行く途中で気になっていた建物と小さな橋がありました。丁度日傘をさして住民の方が歩いて渡られていました。この建物はこの地区に住まわれる皆さんのお祈りの場であると共に集会場でもあるそうです。
▲ 14:14、ようやく303号機がやってきました。続いて集まっていた子供たちの中から選抜しての出演をお願いしました。
▲ 私はここから助手席に乗せてもらうことにしました。乗った感じは普通のトラックと変わりませんが、走り出すと席にはシートはなく、車自体のクッションも効いていなくガタガタです。けっして〇病の方は乗れませんね。
▲ 14:43、DC303号機列車に牽引されてタイガーキャンプまでを下りました。
▲ 15:47、グースは、タイガーキャンプで修理を終えてループを下ります。帰りは貴賓車に乗って、今回最後の車窓を見ながらナムツへと帰途につきました。
【 ナムツ鉱山鉄道チャーター料 】
今回のチャーター料金は下記のとおりですが、次回も同じとは限りませんのでお問い合わせが必要です。
◎ チャーター料 機関車、グース:1両あたり800$/日 貨車:1両あたり200$/日
実際にかりたもの(お金を払ったもの)
1日目:SL1両、DL1両、ブレーキ貨車1両、貨車2両
2日目:SL2両、DL1両、ブレーキ貨車1両、貨車3両
3日目:SL1両、DL1両、ブレーキ貨車1両、貨車2両
結局全部で7500$くらい払っています。5名ワリカンで、一人あたり1500$くらいでした。
ナムツ鉱山鉄道のベストシーズンは、乾季が始まった11月~3月になりますが、遅くなればなるほど乾燥が進んで、私たちが経験したような蒸気機関車が走ると火の粉が飛んで山火事発生となります。もっと早い時期が良いと思います。
▲ 今日の夕食ですが珍しく魚料理が出ました。私が箸をつけようとしたらすでに残骸状態でした。皆さんもこういった料理を望んでおられたようです。チキンナゲット風なのもでてきました。毎日これでも良かったと思われたのは私だけではなかったと思います。
3日間はあっという間に過ぎました。日本からは行くのに2日間もかかるナムツ鉱山鉄道ですが、約100年前の蒸気機関車が動態保存されていてチャーターすれば走れます。そして610㎜というナローゲージはナローファンには魅力が一杯です。是非にご友人をお誘いになってご訪問ください。一人でとお考えの方は、今年も12月頃にFarRailが参加者を募集されておられますので申し込みされればと思います。
ナムツ鉱山鉄道SL撮影は終わりました。明日はマンダレーまでチャーター車に乗って向かいます。マンダレー到着後は、M1さんは一足先に飛行機でヤンゴンへ、M2さんはヤンゴン乗り換えで帰国されます。残ったO氏、Nさんと私はマンダレーで一泊した後、夜行列車でゆっくりとヤンゴンへの乗り鉄旅です。
今晩は皆さんで過ごす最後の夜です。遅くまで楽しかったナムツ鉱山鉄道SL撮影の旅を語らいあいました。 Part9へ続く