新居浜の港をスタートし、下部鉄道の跡を辿って端出場エリアに着きました。今は道の駅「マイントピア別子」として観光客で賑わっています。観光坑道入口までの数百メートルをミニ鉄道が運んでくれます。下部鉄道のゲージは762mmでしたが、復元された観光用鉄道は610mmで、クラウス製1号機を模して縮小サイズにされた機関車とED104を模した電気機関車もどきのプッシュプル編成です。第3軌条からの集電です。
投稿者「西村雅幸」のアーカイブ
別子鉱山鉄道を偲んで(2)
3.別子銅山記念館の保存車両
新居浜の市街地を離れ、別子銅山方面に向かいました。新居浜市街地から南を望むと、急峻な山が壁のように連なっています。まさにここを日本列島を貫く中央構造線が走っており、壮大な地殻変動の産物であることが実感でき、またその境界に熱変動で膨大な鉱物が集積したのもうなずけます。
別子の谷を流れ下る国領川が平野に出たところに、大山積神社があります。別子銅山の守り神であり、立派な神社です。その境内に別子銅山記念館があり、屋外に保存車両が展示されています。
別子鉱山鉄道を偲んで(1)
多度津集合でクローバー会の四国ツアーが行われるという案内を頂き、まず頭に浮かんだのは別子鉱山鉄道跡や保存車両巡りのことでした。5月28日直前まで何かと忙しく、全く予習も何もせず多度津へ。事前のチェック不足で、坂出から多度津に向かうつもりの電車が土曜運休で大慌て、集合時間に遅れるというスタートとなりました。多度津の街歩きや本場の讃岐うどんを堪能し、午後は主力部隊と別れてK.H生さんと伊予西条に向かい、四国鉄道文化館でDF501などを見学し、夕方 丸亀に戻られるK.H生さんとお別れしました。コロナ禍で「旅」という非日常から遠ざかっていただけに、久しぶりの「鉄旅」とクローバー会の面々との再会は気分を高揚させるに充分でした。また西条の町を散策し、1人でフラッと入った居酒屋でのビールも格別でした。今回のツアーの準備や案内をして頂いた皆様に感謝致します。
さて、28日はそのまま西条駅前のホテルに泊まり、翌朝新居浜へ。レンタカーで新居浜市街や別子を巡りました。メインは別子鉱山鉄道ですが、関連施設も訪ねました。
1.住友化学愛媛工場の歴史資料館と構内用電気機関車
新居浜はとにかく「住友」の町です。その中の、住友化学愛媛工場に展示されている小さな電気機関車を訪ねました。工場敷地の隅っこに、明治34年に竣工した 元住友銀行新居浜支店の建物が登録有形文化財として残されています。現在は住化の歴史資料館となっていて、平日であれば 事前申し込みしておけば見学できるのですが、あいにく日曜日のため、入館はかないませんでした。しかしお目当ての電気機関車は屋外保管なので、ゆっくり見学できました。
瀬野八 EF67ラストラン
EF67も見納めに
今年も冬期運休の木次線
今年の冬は全国的に例年になく雪が多いようですが、木次線では例年通り冬期運休が続いています。冬期運休するJR線区は全国でもここだけでしょう。そんな木次線の近況を中国新聞デジタル版が動画も交えて伝えてくれています。中国新聞は「冬眠」と言う表現で報道しています。「冬眠」で済めば良しとしなければなりませんが、「永眠」とならないことを祈るばかりです。下記をクリックして下さい。<下>にもリンクしています。
「冬眠」続くJR木次線<上> 雪に強いはずの列車、なぜ長期運休【動画】 | 中国新聞デジタル (chugoku-np.co.jp)
うれしくないニュースを1本
尾道鉄道跡をたどって(その4)
尾道鉄道の山越え区間であり、昭和32年にいち早く部分廃止された石畦(いしぐろ)・市間について大事故の慰霊碑、現存するトンネル、スイッチバックの諸原駅跡の様子を3回に分けてレポートしました。終点市駅周辺の取材ができていなかったので旧銀山街道宿場町としての街歩きも兼ねて、昨日歩いてきました。諸原から国道184号線を下ってゆくと右手に中国バスの車庫が見えてきます。そこが尾道鉄道市駅跡です。国道はほぼ線路跡であり、駅裏側になりますので、駅の正面側 即ち銀山街道とも呼ばれる旧道側から駅前に入ってゆくことにしました。
旧道から入るとすぐに橋があり、その先に古風な2階建ての民家が見えます。
昨日のエトセトラとウエスト銀河
呉線の観光列車「エトセトラ」と下関行き観光特急「ウエストエキスプレス銀河」の運転日が重なると、備後赤坂駅で折り返し待ちの「エトセトラ」の横を「銀河」が通過してゆく筈なので、そのシーンを撮ろうとクルマで出かけることにしました。しかし、そのためだけにクルマを走らせるのは、燃料高騰の昨今不経済なので、先般連載しました「尾道鉄道跡探索」で まだ調査できていない、御調町市駅周辺の取材も兼ねて出かけました。「尾鉄」については別稿でご報告します。
まずは、尾道で乗客をおろしたあと、折り返し駅である備後赤坂駅まで回送で走ってくる「エトセトラ」を撮ることにして、東尾道・松永間の今津川鉄橋に行きました。丁度干潮で砂地がむき出しで、パッとしないのですがここで撮ることにしました。
尾道鉄道跡をたどって(その3)
国道184号線の坂道を登り切った峠の切通しに交換駅でもあった畑駅があったのですが、今は全く面影はありません。ここを過ぎると2つトンネルがあり、終点市駅に向かって下ってゆきます。このあたりの拡大地図を載せます。
尾道鉄道跡をたどって(その2)
事故慰霊碑をあとに、国道184号線を北上することにします。まさに超満員の電車が逆走した勾配を登ってゆきます。
左手が国道ですが、右手の歩道トンネルがかつての尾道鉄道の2号トンネルを修復したものです。ちょうどこの撮影地点付近に、「西校上駅」がありました。ここから坂を下りてゆくと、木ノ庄西小学校があります。
尾道鉄道跡をたどって(その1)
広島県内で過去に発生した大きな人的被害のあった鉄道事故は、明治28年7月25日に糸崎・尾道間で発生した軍用列車転覆事故(死者11、負傷者97)、大正15年9月23日に安芸中野・海田市間で発生した特急列車脱線転覆事故(死者34)、昭和6年1月12日河内駅構内での急行列車脱線転覆事故(死者34)が挙げられます。軍用列車と特急列車の事故は自然災害関連でしたが、急行列車の事故は人的ミスに起因していたようです。後者2件については、2020年11月に現地レポートを掲載しました。もう一つ、忘れてはならないのが尾道鉄道の脱線転覆事故です。死者37名、負傷者56名の大事故でした。それは終戦から丁度1年を経た昭和21年8月13日に発生しました。もう75年も前のことであり、話題になることもなく忘れ去られようとしています。明治の軍用列車事故と特急列車事故については慰霊碑が建立されていますが、急行列車の事故には慰霊碑はありません。この尾道鉄道の事故はどうかというと、慰霊碑が建てられているということは書物に出ていたのですが、まだ現物を確かめていなかったので、慰霊碑探しを兼ねて久しぶりに尾道鉄道跡をたどってみました。その慰霊碑は簡単に見つかりましたが、探すのが目的で行きましたから見つかったものの、通りすがりでは何の石碑かわからない、注意を引くことのない質素なものでした。
広島短信
中国新聞ネタを2題。年明けに一度広電を撮りに行こうと考えていた矢先、広島市でオミクロンの感染が急拡大し、次いで県下全域がまん延防止措置の対象となったおかげで、マジメな私は家から出るに出られず、またしても新聞ネタで失礼します。
市内線開業110年を迎える広島電鉄
クローバー会の皆様、明けましておめでとうございます。コロナの完全収束が見通せず、またしても旅を自粛せざるを得ない気配のなかで、このデジ青があるおかげで、あのBOXの雰囲気そのままに皆様が身近に感じられ、有難い限りです。管理者殿にも感謝です。今年1年もよろしくお願い致します。さて2022年の投稿も新聞切り抜きからスタートとなりました。今年は広電市内線開業110年ということで、中国新聞元旦号には特集記事が載りました。分割してご紹介します。宮島線は開業100年です。
瀬野八 脱線事故
今年最後の投稿は新聞記事の転載となりました。去る28日(火)20:35頃瀬野・八本松間で上り貨物列車が脱線し、29日、30日と上下線は運休し、どうやら31日午後から運転再開となる見込みです。まずは昨日30日の記事から。
阿佐海岸鉄道のDMV営業運転開始
かつてJR 北海道が開発投資をして実現しなかったDMV(Dual Mode Vehicle)、現代の軌陸車が12月25日から営業運転に就いたそうです。中国新聞の記事を転載します。
今朝の瑞風を追いかけて
オミクロン株が心配になりだした昨今ですが、コロナ対策万全をウリにした国内ツアーが堰を切ったように再開されているようです。JR西の看板列車「トワイライトイクスプレス瑞風」もフル稼働のようです。昨夜、運転日を調べていたところ、何と今朝が「山陽上りコース」の2日目にあたっていて、早朝呉線三原口から尾道にかけて走る日であることがわかり、次のチャンスは2月22日までないことから、早起きして呉線須波駅で待ち受けることにしました。昨夜下関を出発した瑞風は山陽路を三原まで来て、深夜三原から呉線に入って広まで走り、広で折り返して日の出の頃に忠海・三原間の瀬戸内海沿いを走りながら朝食タイムというダイヤ設定になっています。須波駅には7:31に到着し、7:37に広行き115Mと交換、7:44に須波発となっていて、13分停車します。
広島から小ネタ5題
まずはいつものように新聞記事から。広島カープは今年もBクラス。何とか4位に浮上したとは言え、鈴木誠也の大リーグ挑戦もあって、地元ファンには来季への不安がぬぐいきれない年末を迎えています。一方、芸備線や木次線の存続問題がメディアに取り上げられることも増えつつあります。気動車にラッピングを施しただけで乗客が増えるとは思えないのですが、芸備線、福塩北線を走るキハ120の1両にカープラッピング車が登場しました。
昭和43年 平機関区のD60など
米手氏からの「元祖青信号特派員氏への業務連絡」のなかで、平機関区が登場しました。私も昭和43年3月末に一度だけ平機関区を訪ねていますので、53年も前のネガを引っ張り出してみました。高校の卒業式を済ませ、DRFCに入学するまでの宙ぶらりんの時期に友人と東北を旅し、花輪線でハチロクを堪能して京都へ戻る最後に平に立ち寄りました。雨模様のため、今一つ楽しめなかった記憶がありますが、D60をま近かに見れて満足でした。短時間でしたが、何枚かの写真を撮っていますのでご紹介します。例の給砂機はチラッとしか写っていません。
小ネタ 2題
広島カープは3年連続のBクラスで今シーズンを終わり、広島県人には脱力感が広がっていますが、カープ愛、郷土愛は衰えていません。芸備線と福塩北線にカープのラッピング車両が走るようです。