別子鉱山鉄道を偲んで(完)

新居浜の港をスタートし、下部鉄道の跡を辿って端出場エリアに着きました。今は道の駅「マイントピア別子」として観光客で賑わっています。観光坑道入口までの数百メートルをミニ鉄道が運んでくれます。下部鉄道のゲージは762mmでしたが、復元された観光用鉄道は610mmで、クラウス製1号機を模して縮小サイズにされた機関車とED104を模した電気機関車もどきのプッシュプル編成です。第3軌条からの集電です。

ED104もどき。マイントピア駅にて。

マイントピア駅を出るとすぐに中尾トンネルに入り、トンネルを出ると足谷川橋梁を渡ります。この鉄橋はドイツから輸入されたピントラス橋で、国の登録文化財に指定されています。この観光鉄道の建設に際しては、文化財である元の橋げたに荷重をかけないように、内側に新しい橋げたをかけてあるようです。そんなこともあって610mmゲージに改軌されたのかもしれません。鉄橋を渡ると、もう終点の観光坑道入口の端出場駅です。

有形文化財の足谷川橋梁

クラウスもどき。ロッド回りはよくできていた。ヘッドライトがLEDなのは現代風。

端出場駅

すぐ横に 坑内用車両が展示されていました。

人車

蓄電池機関車

かつて使われていたらしい観光客車

観光坑道は約300m余りですが、江戸時代と明治・大正時代の採掘の様子が再現されていました。上部鉄道を再現した模型鉄道も走っていました。

HOより大きいサイズの模型

観光客が投げたコインが散らばる

帰路は徒歩でマイントピアに戻ります。第四通洞を見たいためです。

第四通洞入口。ポータルの上には大山積神が祀られている。最盛期には1日に1000人の作業員が神様にご加護を祈って頭を下げて入坑したそうだ。

別子銅山の全体像と第四通洞の解説板

通洞内は単線だが、外に出ると複線となり、複線で鉄橋を渡っていました。

四通橋(よんつうきょう)。現在は通行禁止。

四通橋の解説板。複線であったことがわかる。

下部鉄道の廃線跡に放置された坑内用車両。米手氏の撮影場所はここ?

実はこのあとマイクロバスで「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる上部鉄道があった東平(とうなる)地区に行こうと思っていました。ところが今年3月に東平に向かう道路が落石で通行できなくなり、復旧の見通しも立たず、東平地区へは行けないとのこと。ガッカリです。

通行止めのお知らせ

東平地区へ行く観光バス

かつての牛車道、人道を歩けば4時間ぐらいで行けなくはありませんとのことでしたが、さすがにそれほどの元気はなく、あきらめることにしました。マチュピチュは簡単に行ける場所ではないことがわかりました。道路の1日も早い復旧を期待して再訪することにします。

新居浜は見どころが多く、ここでは紹介しませんでしたが住友家のルーツである広瀬邸の壮大さ、豪華さには驚かされました。レンタカーの時間延長もしましたが、マイントピアエリアの発電所跡など時間切れで見落とした箇所も多く、ましてやマチュピチュにも行けませんでしたので、改めて訪ねたいと思いつつ新居浜から今治、しまなみ海道経由で三原に帰りました。充実した2日間の旅でした。

今までに鉱山と鉄道のセットでは、北海道各地の炭鉱鉄道、佐渡金山、細倉鉱山とくりこま高原鉄道、小坂鉱山と小坂鉄道、足尾銅山と足尾線、赤坂鉱山と西濃鉄道、生野鉱山と1円電車、柵原鉱山と片上鉄道、串木野金山と鉱山鉄道というようにあちこちで見てきました。しかし今回の別子銅山はその規模が大きく、圧倒されました。現在では稼働している鉱山は激減し、その関連鉄道も石灰石を運ぶ西濃鉄道ぐらいでしょうか。これからも鉱山と鉱山鉄道巡りは続けたいと思っています。(完)

別子鉱山鉄道を偲んで(完)」への2件のフィードバック

  1. 西村様
    別子鉱山の遺跡巡り、結末が気になって読んでいましたが、通行止めでしたか。東平に至る道は、それはそれは険しい道でした。私は、マイントピアから出るガイド付きのツアーバスで、東平へ行きましたが、日本離れした素晴らしいところでした。“マチュピチュ”の形容も頷けました。向こうの山には、かすかに道筋が見えます。これが上部鉄道の廃線跡と知り、こんな険しい山中に鉄道があったのかと思い知りました。逆に私は下部鉄道跡は、バスからチラリと見ただけです。西村さんの丹念な踏査に、改めて別子を思い出していました。

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