2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part13  成昆鉄路に乗って、グースの里 北碚(ベイベイ)へ

第16・17日目 3月5・6日
① 昆明9:31(K114次)→5:31成都 1,100キロ 20時間6分
② 成都8:00(D5102次)→10:20
重庆北  315キロ 2時間20分
③ 重庆北10:45(Bus)→11:30北碚 約20数キロ 45分

今日は車窓が中国一と言われる成昆線の乗り鉄旅を楽しみます。計画時に成都昆明とどちらから乗車するのか迷いましたので、いつもの鄭州旅日記さんに聞きましたら、いずれも景観が最高と言われている区間は、夜間走行になる。私のお勧めは、昆明からですとの教えていただきました。
▲ 発車前の待合室。左が一般車、右が軟座車です。椅子が違って、広いです。
▲ 始発駅では、乗客も多く、途中駅よりも早くの約30分前に改札乗車開始ですが、さらに早くの40分前に始まりました。民族衣装の方がいないかと狙ってみたのですが、もう過去のもので、今時は祭りか、民族村にでも行かないと見れないのでしょうね。

【成昆線の歴史】
ロシアとの蜜月時代から一転紛争を抱えた中国では、今迄沿岸部で進めてきた兵器等の重工業建設を、攻撃防止のために内陸部へと方向転換しました。ベトナム戦争時には、兵士物資輸送のために成昆線の建設が行われましたが、世界でも有数の山岳区間を走る鉄路は、41%がトンネルと橋梁で、5ヶ所にループ線があります。12年間の人民総力を挙げての工事の末、1970年に総延長1,100キロが完成、2000年に電化されました。 当時の建設工事に携わった方から、1m進むのに人間一人が犠牲になった区間もあった、工事は難業を極めたとお聞きしました。当初は、軍事用路線ですので、軍事機密として車窓すら撮影禁止でした。
▲ 今では、もう解除されていますが、ループ線に入って撮ろうとすると、トンネルが連続して中々撮るのは難儀です。加えて、今日の同室者に若くて可愛いチワン族(壮族)の美少女が一緒で、会話が弾んでしまいました

中国には全人口の94%を占める漢族の他、55の少数民族が住んでいます。その中でも最も人口が多いのがチワン族で、美人が多いので有名です。 彼女は、昆明の大学生でまだ19才、少数民族らしく家族には、姉・弟と3人がおられますが、21才のお姉さんと18才の弟とも既に結婚していると聞いてびっくりです。
みんなそうなに若く結婚するのかと聞くと、だいたいそうだと言います。早婚の民族なのですね。貴女には婚約者はいますかと聞くと、まだ決めていないけれども、男朋友はたくさんいますと答えます。 今日は、大学の試験まで1ケ月あるので、成都にいる朋友に会いに行きホームステイさせてもらって、一緒に勉強しますと言います。授業は受けなくても良いのかと聞くと大丈夫との返答です。英語を学んでいて、次はフランス語を修学して、将来は通訳になりたいと夢を語ってくれました。英語でも話してみましたが、私より流暢で熱心に勉強しているなあと思いました。

旅行は好きですが、今迄昆明を出たことがなく、今回が初めての旅です。憧れている日本の方とお会いして話すのは初めてですので大変嬉しいと、日本についての質問がいろいろと出ました。 中国で寝台列車には数えきれないほど乗車していますが、これほど無垢な美少女と一緒は初めてでした。楽しい時間を過ごせました。しかしツーショットを忘れてしまったのが残念です。
▲ 成都局と肩を並べると思われる昆明局食堂車の料理の数々。味付けも美味しく値段も適正です。

翌朝、夜明け前に成都駅に定刻到着しました。私は、乗り換えて重庆まで向かいます。美少女に再見と別れの挨拶をして、待合室に向かいました。
▲ 昆明とは天候が一転して小雨模様の重庆北駅到着でした。
▲ 重庆北駅では、駅前のバスターミナルから 北碚へと向かうバスを探しました。辺りの人民に聞きながらようやく約30分後、558路(10元)が行くと分って乗り込みました。路線数が圧倒されるほど多いだけに番号と乗り場を聞いて探すのはいつも大変です。着いた 北碚では蔵重さんが泊まっておられた川儀大酒店に飛び込みで入りました。宿泊料は228元(約2900円)と予算内でした。部屋の広さはまあまあですが、エレベーター内に貼ってあった朝食無料のレストランがどの階かを聞くと、没有の返事です。なら、さっさと剥がせと言っておきましたが、これで3ツ星ホテルですから全体のサービスはお分かりと思います。


ここからグースの撮影地に向かうには、またバスに乗って、その先はバイクTaxiを捕まえないと行けません。ロケハンが必要ですが、今日は半日ゆっくり静養します。シャワーを浴びて、洗濯物を洗って干して、荷物の整理をしていたら昼はとっくに超えていました。


まず、昼食を食べに行ってから、撮影地へと向かうバス乗り場と路線番号の確認でした。 そして問題は天候です。今迄殆ど晴天でしたが、四川盆地は年中どこも霧・スモッグが多いのです。明日の天気を祈りました。

2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part12  昆明のミシェラン 雲南鉄路列車陳列館

投稿日の今日は、重慶モノレールに乗って撮って頑張ってきましたが、明日は8時の列車で成都、そして芭石鉄道へと移動しますので、今夜も早めに寝ようとホテルに帰ってきましたら、須磨の長老様よりのご催促が投稿されておりますので、答なければえらいことになるかもと思い、投稿させていただきます。

第15日目 3月4日 午後
昆明に参りました目的は、昆河線に乗りたいこともありましたが、本命はミシェランの内燃動車でした。初めから直行したかったのですが、まだ開館前です。メータゲージの乗車できる時間も1本しかありませんので、午後にゆっくりと観察しようと思った次第です。

13:00昆明北駅にTaxiで到着しました。駅前食堂で麺を注文してからゆっくりと北駅に併設されている雲南鉄路博物館に参りましたが、2011年6月6日から一時閉館されたままです。これは情報を持っていましたので、また北京の鉄道博物館と同じような要因なのかと、理解しました。
問題は、実物の車両陳列館がどこにあるかです。丁寧でない地図が貼ってありましたので、地元人民に聞きながら行きました。近そうなのですが、見えていればすぐに分りますが、初めての者には、200mが2キロに感じます。迷走しながらでしたが何とかたどり着きました。


▲ 入館してすぐ左に目にしたのが、 ミシェランの内燃動車でした。びっくりしたのは、外装・内装とも、予想していたよりもとても綺麗だったことです。これなら今すぐでも走れそうな状態でした。もう1つ意外だったのは、窓ガラスに熱線吸収ガラスが使われていたことです。当時こんな車両があったのかと驚かせられました。

▲ 1番に見たかったのは、車輪です。 ミシェランといえば、タイヤメーカーです。以前にパリでゴムタイヤ地下鉄が走ったとの記事を見ましたが、車輪自体の構造まで分っていませんでした。今や、札幌地下鉄や新交通等々でゴムタイヤが使われるのは珍しいことではありませんが、あくまで案内車輪をつけた方式です。今ここで見ていますのは、硬質ゴムで作った車輪です。ホイールは鋼製になっていますので、レールとの接着面をゴムにしたのと思いますが、構造等につきましては、さっぱりわかりません。我がクローバー会には、博士各位がおられますので、ご解説をお願いしたいと思っております。
しかし、走行音は静かだったでしょうね。是非とも一度乗ってみたい車両です。


▲ 上は運転席、下は車内です。立派なシートが並んでいます。多分、フランス人の高級官僚が乗車したのでしょうね。気になるのは、窓下のハンドルです。自動車のように窓ガラスを開閉するためだったのでしょうか? 車両真ん中はスナックカウンターになっていて、簡単な料理ぐらいは作っていたんでしょうね。

この車両は、1932年5月22日に湏越鉄路に配属されました。
全長19.7m、車幅2.6m、自重8トン、出力117.6kw、最高速度は、半径300mで100km/h、半径100mで45~60km/hと発表されていました。

なぜに中国に残ったのかは、ベトナム国境の橋を毛沢東の指示で爆破したためで、帰れずに取り残されたというのが歴史です。チャーターできるものであれば、一度こんな車両に乗って、昆明からハノイまで旅をしてみたいと思いました。


▲ この蒸気機関車は、湏越(雲南)鉄道の支線、鶏个線600ミリゲージで使用されていたアメリカ製の蒸気機関車です。北京と上海の鉄道博物館にも展示されあります。線路幅の3倍もの車幅があります。よく揺れたでしょうし、脱線もしたでしょうね。


▲ 9600型は、戦争時に多くが海外へと向かいました。そして、約250台が帰らぬ機関車となっています。この9600型は、当初は華中鉄道に送られ標準軌道に改軌され、戦後は昆明に送られメーターゲージに再改軌されたと思われます。1990年代に4台が放置された姿で確認されています。


他にも1回の投稿ではご紹介できない、多くの珍しい車両を見せていただきました。
昆明は、夏涼しく、冬は暖かい気候に恵まれた町です。佐竹先輩が写真展に出品された成昆線という車窓豊かな鉄路もあります。成都では、芭石鉄道や鳥かご列車等々、日本ではめぐり合えない感動を受けられると思います。是非に機会をつくってご訪問してみてください。

2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part11  昆明のメータゲージ、湏越(雲南)鉄道

第15日目 3月4日

昆明は2度目の訪問です。前回は10年以上前だったと思いますが、昆明北駅からベトナムまでの国際列車が走っていて、1部区間を乗車して撮影もしました。現在この路線は、貨物輸送に使用され、昆明北駅の前後の石咀から王家のわずかの距離に客運列車が走行しています。

【メータゲージの湏越鉄道(雲南鉄道)】

中国に唯一残る線路幅1,000㎜、メータゲージの鉄道です。かつてフランスは、ベトナムを中心に植民地化によるインドシナ連邦を成立しました。そして、中国雲南の豊かな資源を輸送するために、1910年3月31日に昆明とハノイ間に鉄道を建設開業をしました。標高差1,937m、最高勾配は31‰、最少半径80m、トンネル数は188を数え、苦難の468キロ(本線)の建設だったそうです。
その後、この鉄路は歴史の波に翻弄されます。1930年代の日中戦争時代は連合国から中国への軍事物品の輸送に利用されました。1940年代には、日本軍のベトナム侵攻から守るために中国は、この鉄路を使っての侵略を防止目的のために中国側のレールを撤去しました。戦後は復旧されましたが、今度はべトナム戦争勃発です。この戦争が終結したと思ったら、支援したベトナムとの戦争が起き、また破壊されました。度重なる戦争による破壊と復旧を繰り返しながら、ようやく1991年に現在に姿に復元されています。ごく最近のことでもあります。

国際列車が走っていた頃は、寝台車も連結していた鉄路でしたが、現在はもう走っていません。旅客列車は、2003年に廃止され、貨物列車のみ運行されています。最近になり、昆明市内に朝夕の区間列車のみが運行されていると知りました。しかし、時刻表には載っていないのです。今、走っているかどうかも分りません。
まだ暗い午前6時半に部屋を出て、北駅に向かう道路に出ますが、Taxiが中々来てくれません。ようやく乗車して、運転手に北駅に行きたいと申しますと、「もう駅はない。列車もない。」と断定されます。それは貴方が知らないいだけだ。とにかく行けと命令して車を走らせました。地図ではそんなに遠くないかなと思っていましたが、地鉄工事中の状況もあって30分以上を要しました。
北駅は現在、雲南鉄路博物館を併設して大通り正面に設置されています。道路は、地下に入りオーバークロスしていますが、運転手さんは駅を無視して過ぎて行きます。それでは駄目だと、また引き返してやっとの思いで到着しました。

着きますと、発車ベルが鳴っていました。手荷物検査を必要としますが、走っていくと検査なしで通してくれました。中国鉄路では発車5分前に改札止めですが、ここは特別扱いなのですね。

▲ 夜明けの7:25北京北駅を発車しました。 編成は東方紅21型0063+郵便兼荷物車XU30-542+硬座車YZ629+661+664の4両編成です。
とにかくゆっくり走ります。並走する自転車といい勝負です。思い出したように25km/hほどのスピードを出しますが、一瞬です。13分後には、最初の停車駅の
黒土凹駅に到着しましたが、約20人が乗車しました。車内は、乗車率約50%です。牛街庄駅手前には、珍しい3線区間がありました。浜大津もきっとこんな感じだったのでしょうね。ただこちらは、線路幅差435㎜もあります。

▲ 7:49牛街庄駅に到着。ここでも10人ほどが乗車しました。8:17呈貢駅の到着、30人余り下車しました。8:24に終点王家營駅に到着しました。所要時間は59分でした。
王家營駅構内はヤードになっていて、同じ 東方紅21型が入替作業をしていました。


▲ 今回は、発車間際の乗車でしたので、切符は車内で購入しましたが、復路も車内販売でした。昆明北王家營は2.4元(約30円)、昆明北は1.5元(約18円)でした。
パスポートの提示なく買えたのですが、
やはり王家營下車時に公安から提示を求められました。

▲ 復路は、北駅を通り越して、
咀駅までの全線を完乗しました。北駅10:22発で11:02着、40分の乗車でした。

時刻表を探していましたら、見つけました。しかし、2月5日より、列車削減の通達です。
昆明北16:20(8867次)→16:58
17:15(8868次)→17:51昆明北
この往復が消えています。

鉄ちゃんにとっての見どころは、この路線には1000㎜と1435㎜が平面クロスするポイントです。
終点手前近くで渡りました。急いで走ってでも向かわなければなりませんが、 この列車時刻通りには運転されていなく、14分遅れています

急いだのですが、発車は定刻11:10に折り返してきたので間に合いませんでした。クロスポイントまで踏切がありましたので、踏切番のおばちゃまに、貨物は来ないのか。いつ来るのかと尋ねてみると、「没有」です。1日1往復しかないと言います。じゃ、これで今日の仕事は終わったのかと聞くと、その通りですとの返事です。
1日2回の遮断機の上げ下ろしだけで一体いくら給料をもらっているのでしょうね。

▲ 近いと思っていたら1時間ちかくかかりました。枕木の上を歩いていて、ふと違うなあと感じたら、エリトリアで見たと同じ鉄製枕木です。この路線、かつては全部鉄製だったのでしょうか?
クロスポイントでは、国鉄線に列車が来ないかと付近の人民に聞きましたが、よく知っていません。通った後はありますので、1日待っていれば来るかも知れませんが、これから雲南鉄路博物館を見にいかねばなりません。
バス停を聞いて向かおうとしたら、運よくTaxiが来ましたので北駅と伝えました。今回は、注文通りに北駅までストレートに行ってくれましたが、やはり列車は走ってないよの連発でした