年末年始 臨時列車で賑わっていた時代へ 〈3〉

東北本線 特急・急行列車

臨時列車で賑わっていた年末年始の東北本線ですが、もちろん定期列車も数多く運転されていました。東北新幹線の開業前、昭和50年3月改正で見ますと、東北本線の上野口では、特急33往復、急行18往復程度の定期優等列車が運転されていて(途中、日光線、磐越西線など分岐を含む)、在来線としては、いちばんの特急・急行の頻発線区でした。この改正では、急行列車を格上げして、24系25形客車の新造による、寝台特急の増発もあり、特急が主役へと代わっていきます。撮影したのは昼間の時間帯で、寝台特急の撮影はできていませんが、昼行の特急・急行、夜行急行を数多く撮ることができました。東北本線の特急の中で、本数から言っても代表格は上野~仙台の「ひばり」だろう。昭和36年に誕生以来、増発、編成増強を続けて、ピーク時の昭和53年10月改正では15往復に達して、エル特急の代表にもなった。栗橋付近(昭和50年1月)

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 年末年始 臨時列車で賑わっていた時代へ 〈2〉

昭和の時代 東北本線の臨時列車

新年のご祝詞を申し上げます。穏やかな天候で明けて、昨日も、恒例の阪堺線撮影に出掛けました。電車は大増発ですが、肝心の乗客は、ざっと見て昨年の半分程度で、座って行ける状況に拍子抜けしました。鉄道を取り巻く状況は年が明けても厳しいようですが、鉄道はなやかなりし頃の年末年始の様子を見ていきます。昭和50年、51年と、2年連続で東北本線へ写しに行っています。約45年前で、いずれも、Fさんに連れって行ってもらい、当時、熱中していたボンネットバスや、廃止予定の仙台市電の撮影の帰途に撮影したものです。東北新幹線が開業するのは、昭和57年6月の大宮~盛岡の先行開業まで待たなければならず、在来線である東北本線には多くの列車が運転され、列車輸送のピークを迎えていた時代です。EF57が牽く、座席車ばかりの臨時急行は、年末年始の東北本線を代表するシーンだろう。上り「八甲田56号」「おが53号」EF57 8牽引 栗橋付近(昭和50年1月)

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2020年 奥三河に残る絹雲母鉱山トロッコ鉄道訪問

皆様、明けまして:おめでとうございます。年末までに2020年の旅日記は投稿しておこうと頑張っていましたがいろいろと都合が発生して年を越してしまいました。遅くになり誠に申し訳ありませんが、只今より投稿させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

上越鉄路から帰ってから6日後、今度は奥三河に残る絹雲母鉱山トロッコ鉄道を訪問します。案内講師は神谷さんですが今回はクラブツーリズムが主催されています。従って申し込みはネットからでした。当初申し込み人数は20人だったそうですが、コロナ感染拡大に伴い各地で緊急事態宣言が発出され、GoTo キャンペーンが全国一斉に12月28日~1月11日まで中止される事態となってからはキャンセルが相次ぎ15人になっていました。
参加費用は豊橋駅集合で日帰りの28,000円、旅行代金への給付金は7
,000円で差引の支払い額は21,000円、地域クーポンは3,000円で紙クーポンを受けとりました。実質の支払額は 18,000円ですね。 続きを読む

 年末年始  臨時列車で賑わっていた時代へ 〈1〉

大阪駅で夜行列車を撮る

誰もが想像すらしなかった一年が終わろうとしています。最大の書き入れ時である年末年始の鉄道界も、普段よりも空席が目立つとニュースが伝えています。臨時はもちろん定期列車ですら運休、終夜運転の取りやめと、長く鉄道に接してきた我々にとっては、信じられないような年末となりました。

少し前までは違いました。長距離移動は、新幹線、航空機、夜行バスに移行し、在来線の長距離列車はほぼ絶滅していたものの、年末年始になると、帰省客、スキー客のために、JR在来線に多数の夜行列車が運転され、国鉄時代の再来を思わせました。夜間の短時間に集中して発着するため撮影効率が良く、年末の恒例として、三脚持参で、始発駅の大阪駅へ向かったものでした。今から約20年前、年末の状況を振り返ってみました。スキーが絶頂期の時代、スキー場まで寝て行ける「シュプール」号が多数運転されていた。興味深い車輌ばかりだったが、これは正調ボンネットの485系で運転されていた神戸発「シュプール妙高・志賀11号」、ヘッドマークも愛らしい(1993年12月29日)。

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2020年冬 上越鉄路見聞録 Part7 青春18きっぷで駅そば食い鉄、日本酒飲み鉄旅

第4日目 12月14日

今日は帰宅しますが、久しぶりの鈍行列車の乗っての旅です。12月になって今年初めて青春18きっぷを買いました。ただ北陸新幹線開通後は長野までは第3セクターになってしまったので使えません。1,520円の別途運賃が必要になりました。
朝6時前には起きてホテルの温泉に入浴しましたが昨夜とは違ってヌリヌル感はありません。改めて昨夜の銭湯「天然温泉 釜ぶたの湯」は良かったですね。

▲ 6:40 健康朝食が売りのスーパーホテルの無料朝食です。若い時のようにガッチリと食べる事はありませんがこれだけ品数が多いと見るだけで大満足です。コロナ対策に入場するとビニール手袋が提供されてトングでの感染を防ぎます。座席も半分が撤去されてアクリ版で仕切って対策されています。
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 やっぱり蒸機が好き! 《九州》列車・線区編 8 高森線

続いて高森線の後編です。この紀行文のもととなった旅行は、学生生活を終えて、社会人の一年生の時でした。たしか、当時の有給制度は、入社半年後にしか取得できず、7ヵ月後に2日の有給を使って、上司の反対を押し切って、行ったものでした。まだ土曜日はすべて出社していた時代、日曜と組み合わせて、三日間の旅行となりました。馴れない仕事に忙殺されていた時期、何とも貴重な時間となったこと、いまも思い出します。

晩秋の南阿蘇を行く立野行き、C12+貨車+客車の列車。長陽付近(特記以外、昭和47年11月)。

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2020年冬 上越鉄路見聞録 Part6 復活のD51 827号機を撮る

第3日目 12月13日 その2

13:16 糸魚川駅ホームに戻りますと丁度、えちごトキめきリゾート雪月花が入線してきました。10:16に上越妙高を出発した午前便の列車は妙高高原で折り返し、終着の糸魚川まで走ってきました。午後便はここ糸魚川を13:59に発車、妙高高原で折り返して上越妙高へと向かいます。ツアー仲間の中から一人T島さんだけが乗られました。

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 やっぱり蒸機が好き! 《九州》列車・線区編 7 高森線

過去の寄稿を再録する列車・線区編、つぎは高森線です。豊肥本線立野から分岐する国鉄高森線は、高森までの17.7kmの路線、昭和61年4月に第三セクターの南阿蘇鉄道に転換されました。2016年4月の熊本地震で、トンネル・路盤に大きな損傷があり、いまも立野~中松が不通のままで、中松~高森で離れ小島のように運転しています(以下、特記以外昭和47年11月)。

 

立野を出てすぐの立野橋梁を行く高森線の列車、トレッスル橋脚で、長さ136m、高さ34m、下まで降りる道があって、川底からでも撮れた。

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2020年冬 上越鉄路見聞録 Part5 糸魚川ジオステーション ジオパル見学

第3日目 12月13日 その1

8:30 起床した時にみた空は晴れていましたが朝食をいただいて外に出るころには氷雨が降り出していました。

今日はホテルからは徒歩で直江津駅反対側にある直江津運転センターへと向かい、朝の見学会です。

▲ 2016年「日本産業デザイン振興会」のグッドデザイン賞、2017年「鉄道友の会・ローレル賞はじめ数々の賞に輝いたスタイル抜群のえちごトキめきリゾート雪月花です。

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2020年冬 上越鉄路見聞録 Part4 くびき野レールパーク訪問

第2日目 12月12日 その2

13時から直江津駅前のホテル センチュリーイカヤで頚城鉄道ツアーの受付が開始されていました。その中には今年コロナ騒動で海外でお会いできなかった顔なじみの方々が多くおられました。お久しぶりぶりですとご挨拶です。参加者は神谷さんとスタッフを入れての39名です。
今回の一泊朝夕食込みの旅行代金は35,000円、旅行代金への給付金は12,000円で差引の支払い額は23,000円、地域クーポンは5,000円で予め主催のえちごトキめき鉄道より地産で選ばれた日本酒、お米、レトルトカレー、カレンダーが用意され宅急便で自宅宛てに送られました。紙クーポンや電子クーポンでない方法もあるのですね。
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2020年冬 上越鉄路見聞録 Part3 新潟起点の未乗車区間乗車

第2日目 12月12日 その1

今日は13時に直江津駅前のホテル センチュリーイカヤで頚城鉄道ツアーの受付が開始されます。それまでは未乗車区間の乗車を楽しみます。
先ず信越本線で東三条へ向かい未乗車区間の弥彦線に乗車、昨日行った吉田からは越後線の未乗車区間を乗り柏崎で再び信越線に乗車して直江津に着く予定です。
今日の乗り換えで要注意は東三条です。昨日同様に4分間しか時間がありません。

① 新潟 6:46(信越本線)⇒7:33 東三条 7:37(弥彦線)⇒7:59 吉田 8:39(弥彦・越後線)⇒9:47 柏崎 10:36(信越本線)⇒11:19 直江津

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 やっぱり蒸機が好き! 《九州》列車・線区編 6 室木線

室木線の始発となる、鹿児島本線の遠賀川は、北九州と福岡のほぼ中間にある駅です。室木線は列車本数は少ないもの、本線を行く列車は頻発しています。新幹線の開業前だけに、東京・大阪発の優等列車から、貨物列車まで、さまざまな列車が、発着していました。今回は、蒸機に限らず、室木線のすぐ横を通り過ぎた、鹿児島本線の列車を見ていきます(すべて昭和47年11月)。室木線の8620が入換えに励む横を、481系熊本発岡山行き「つばめ3号」が高速で通過して行く。撮影当時、新幹線は岡山まで。岡山を発着とする特急、急行が多数、鹿児島本線を走り抜けていた。

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2020年冬 上越鉄路見聞録 Part2 新潟起点の未乗車区間乗車

第1日目 12月11日 その2

12:16 新潟駅に着きました。ここ新潟駅は関西からの者にとっては東北や北海道に行く時に通過する駅で、また昼間に来ることはありませんでした。従って新潟を起点とする路線は未乗車区間となっていました。今回良い機会を得ましたので青春18きっぷを使って乗車します。先ずは新潟~新発田の「白新線」27.3㌔です。
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 やっぱり蒸機が好き! 《九州》列車・線区編 5 室木線

本日の牽引は38629〔若〕、パイプ煙突でおとなしい印象のカマ、ホームが嵩上げされているが、これは長年の採掘による地盤沈下のためと言われる(昭和46年12月)。

室木線は、沿線の石炭を搬出する目的で鞍手鉄道が計画し、これを買収した九州鉄道の手で着工されますが、国有化されたため、明治41年6月29日に官設鉄道によって開業しました。すぐ近くの香月線と同日開業で、両線の性格・規模も酷似しています。開業後は、沿線で小規模な炭鉱が操業を開始し、石炭採掘量も増加、設備の改善を進めていきますが、昭和30年代後半になると石炭産業の衰退とともに、小規模な炭鉱から真っ先に閉山に追い込まれていきます。以後は、ほかの筑豊のローカル線と同じ道を辿って行くことになります。

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2020年冬 上越鉄路見聞録 Part1 新潟へ向かう

前回は東北鉄路の紅葉を撮りに参りましたが、今回は海外ツアーでお世話になっています神谷氏のお誘いで上越のかつての軽便鉄路「くびき野レールパーク」とコンプレッサーによる圧縮空気駆動ながら復活なったD51827号機撮影会に参りましたのでこのご報告をさせていただきます。
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 やっぱり蒸機が好き! 《九州》列車・線区編・4 ~室木線

寄稿文を再録する「列車・線区編」、つぎは室木線です。鹿児島本線遠賀川から南へ分岐し、筑豊本線とほぼ並行しながら走り、終点の室木に至る11.2kmが室木線でした。訪れた昭和40年代は、全列車が若松区8620の牽く客車列車、または混合列車でした。昭和49年に蒸機の活躍は終わったものの、牽引がDE10に代わっただけで客車列車はそのままでしたが、第一次特定地方交通線に指定され、昭和60年4月に廃止されています。いかにも筑豊らしい雰囲気が好きで、とくに終点の室木は、折返し列車の撮影も可能で、昭和40年代には何度も訪れたものでした。以下の原稿のもとになったのは、社会人となった直後の昭和47年11月、「桜島」に乗って、4時40分、真っ暗な折尾に着いた時から始まります。 駅長の発車合図とともに、朝靄を突いて列車は出発して行った。室木 824レ

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 やっぱり蒸機が好き!   《九州》列車・線区編・3

前夜に門司港を出た1121レが大畑のループで朝を迎える。煙をまとった編成が朝の光線に浮かび上がった。鹿児島本線、肥薩線、吉都線と九州を横断する1121レ最高の舞台だった(昭和46年12月)。

肥薩線が人吉から進路を南に向けると、そこには熊本・宮崎・鹿児島3県境にまたがる九州山地の山塊が待ち受けていた。明治時代、鉄道技術者は、長大トンネル、ループ線、スイッチバックで難所に挑んだ。明治42年に最後の矢岳第一トンネルの完成を待って全通、この時、日本を縦貫する幹線鉄道網ができた。肥薩線は、昭和2年の鹿児島本線の全通まで、九州を縦貫する幹線の一部だった。

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 やっぱり蒸機が好き!  《九州》列車・線区編・2

30.3‰勾配が続く大畑ループを逞しく上って行く1121レ(昭和44年3月)

発車10分前になると門司港駅では改札が始まった。頭端式の櫛形ホームへ推進運転で客車編成がゆっくり入線、通常は、ニ1輌+ハ4輌の身軽な編成、始発駅まで来た甲斐があって大きな混雑も見られず、思い通りの席を確保して一安心する。23時30分に門司港を発車、380キロ先の都城を目指す。ある時は“蛍の光”が流れ、その演出に驚いたことがある。車内のオルゴール音とともに車内放送が始まり、夜行列車らしく、停車駅が長々と続く。「八代、人吉、吉松…」と、翌朝に下車する駅が告げられると胸が高鳴ってきた。

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 やっぱり蒸機が好き!   《九州》列車・線区編・1

夜行普通 1121レ  (1)

九州の蒸機、機関区別に国鉄蒸機をしつこく紹介、わずかな専用線・私鉄も残らず紹介し、自分として完了! と思っていました。しかしスペシャル版(?)が残っていました。過去、雑誌などに、九州の蒸機をテーマにいくつか寄稿していたことを思い出しました。思い出の列車や、撮影でよく訪れた線区を、写真とともに回想しています。自分としては、精一杯がんばって表現した内容です。発行されてから、数年が経ち、自分でも忘れていたぐらいで、世間的にはまず認知されていないと思います。本欄で紹介するのも、改めて自分の足跡を見直す機会と思い、改めて列車・線区編として掲載する次第です。二重投稿の嫌疑を受けないよう、文章は見直して、削除、追記のリライトをしています。まずは愛用の夜行鈍行、門司港発、鹿児島本線、肥薩線、吉都線経由の都城行1121レの思い出です。

前夜、門司港を出発した1121レは、大畑のループ線を越えるころ朝を迎える。逆光線上に、澄んだ冬の空気が築堤の1121レを際立たせる(以下写真、昭和46年12月)。

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 やっぱり蒸機が好き 九州の蒸機 私鉄・専用線編④

鹿児島交通

長かった「九州の蒸機」もホントの最終回となりました。今回は私が見た唯一の私鉄蒸機、鹿児島交通です。ただ現役での活躍はとうの昔に終わっており、機関区のある加世田に、赤錆を浮かべた廃車体が、ズラリと放置されていた、墓場のような光景でした。以前、準特急さんからも、1967年に訪問された時の寄稿があります。私は、その2年後の1969年の訪問ですが、顔ぶれが少し違っていて、改めて写真を中心に紹介していきます。現在、加世田駅跡は、鹿児島交通加世田バスセンターとなり、南薩鉄道記念館もあり、野外に保存車両も展示されています。

鹿児島交通(枕崎~伊集院49.6km)の中間にあった加世田、ここに機関区があって、ホームからも稼働車と廃車体が同居する風景が一望できた。廃車体が長く放置されていたのは、大井川鐵道のように、蒸機を復活して観光資源にしたいという思惑もあったと言うが、その思いもむなしく昭和59年に大雨で被害が出て、復旧されることなく、廃止されてしまった。

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