2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part16  江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その3

第20日目  3月9日


▲ 昨日より1本早いバスに乗ろうと早くに出ましたが結局、水土で乗継時間が長くなっただけで、泰山石着は同時刻でした。

今日は、泰山石から302工場に向けて歩きます。
▲ 道路とは3ヶ所ほど交差していますが、踏切番はいません。
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2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part15  江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その2

第19日目  3月8日
① 北碚
6:45(Bus)→7:05水土7:20→7:55泰山石

今日は朝から頑張るぞと、薄暗い中バスに乗って水土へ向かいました。水土から炭鉱までは、黄色の小型バスが30分に1本出ているのを昨日確認済みです。泰山石に到着すると、丁度グースご一行がやってきました。今日の朝は、5編成が続行しています。

▲ 泰山石で1度停車してから、間隔をあけて順に発車していきます。
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2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part14  江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その1

第18日目 3月7日

①    北碚12:10(Bus)→12:30水土鎮
② 水土12:35(バイクTaxi)→12:52 302工場
③ 302工場13:03(グース)→13:56炭鉱

朝起きて暗闇の外を見ましたら、今日も雨が降っています。初めての撮影地で、ぬかるみも多く山の中です。出発は天候の回復を待ってからの方が良いなあと、様子を見ることにしました。しかし、雨はやみそうにありません。12時前には早めに昼食を済ませて昨日調べておいたバスに乗りました。

北碚だけの地図が見つかりました。ただ炭鉱鉄道については、路線の記載がありません。どこを走っているのかは、グーグルアースを見ながら線路をたどっていく以外ありません。バスは30分に1本が運行されていて、乗車20分で水土に着きました。
ここから、公共機関がありません 。歩くにも目的地302工場と距離が分りません。丁度、客を降ろしたバイクTaxiと料金交渉しましたが。25元を譲らず、言いなりです。
コンクリート舗装はしてありますが、補修はされていなく穴だらけの岩の上を走って行きますと、302工場だという広場がありました。グースや線路など見えません.
近くの雑貨屋のお姉さんに聞くと。上よと指さします。坂道を上がると、2編成のグースが見えました。

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2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part13  成昆鉄路に乗って、グースの里 北碚(ベイベイ)へ

第16・17日目 3月5・6日
① 昆明9:31(K114次)→5:31成都 1,100キロ 20時間6分
② 成都8:00(D5102次)→10:20
重庆北  315キロ 2時間20分
③ 重庆北10:45(Bus)→11:30北碚 約20数キロ 45分

今日は車窓が中国一と言われる成昆線の乗り鉄旅を楽しみます。計画時に成都昆明とどちらから乗車するのか迷いましたので、いつもの鄭州旅日記さんに聞きましたら、いずれも景観が最高と言われている区間は、夜間走行になる。私のお勧めは、昆明からですとの教えていただきました。
▲ 発車前の待合室。左が一般車、右が軟座車です。椅子が違って、広いです。
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2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part12  昆明のミシェラン 雲南鉄路列車陳列館

投稿日の今日は、重慶モノレールに乗って撮って頑張ってきましたが、明日は8時の列車で成都、そして芭石鉄道へと移動しますので、今夜も早めに寝ようとホテルに帰ってきましたら、須磨の長老様よりのご催促が投稿されておりますので、答なければえらいことになるかもと思い、投稿させていただきます。

第15日目 3月4日 午後
昆明に参りました目的は、昆河線に乗りたいこともありましたが、本命はミシェランの内燃動車でした。初めから直行したかったのですが、まだ開館前です。メータゲージの乗車できる時間も1本しかありませんので、午後にゆっくりと観察しようと思った次第です。

13:00昆明北駅にTaxiで到着しました。駅前食堂で麺を注文してからゆっくりと北駅に併設されている雲南鉄路博物館に参りましたが、2011年6月6日から一時閉館されたままです。これは情報を持っていましたので、また北京の鉄道博物館と同じような要因なのかと、理解しました。
問題は、実物の車両陳列館がどこにあるかです。丁寧でない地図が貼ってありましたので、地元人民に聞きながら行きました。近そうなのですが、見えていればすぐに分りますが、初めての者には、200mが2キロに感じます。迷走しながらでしたが何とかたどり着きました。

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2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part11  昆明のメータゲージ、湏越(雲南)鉄道

第15日目 3月4日

昆明は2度目の訪問です。前回は10年以上前だったと思いますが、昆明北駅からベトナムまでの国際列車が走っていて、1部区間を乗車して撮影もしました。現在この路線は、貨物輸送に使用され、昆明北駅の前後の石咀から王家のわずかの距離に客運列車が走行しています。

【メータゲージの湏越鉄道(雲南鉄道)】

中国に唯一残る線路幅1,000㎜、メータゲージの鉄道です。かつてフランスは、ベトナムを中心に植民地化によるインドシナ連邦を成立しました。そして、中国雲南の豊かな資源を輸送するために、1910年3月31日に昆明とハノイ間に鉄道を建設開業をしました。標高差1,937m、最高勾配は31‰、最少半径80m、トンネル数は188を数え、苦難の468キロ(本線)の建設だったそうです。
その後、この鉄路は歴史の波に翻弄されます。1930年代の日中戦争時代は連合国から中国への軍事物品の輸送に利用されました。1940年代には、日本軍のベトナム侵攻から守るために中国は、この鉄路を使っての侵略を防止目的のために中国側のレールを撤去しました。戦後は復旧されましたが、今度はべトナム戦争勃発です。この戦争が終結したと思ったら、支援したベトナムとの戦争が起き、また破壊されました。度重なる戦争による破壊と復旧を繰り返しながら、ようやく1991年に現在に姿に復元されています。ごく最近のことでもあります。
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2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part10  大地縦断5,010キロ 鸡西から昆明へ

第11日目~第14日目  2月29日~3月4日

① 鶏西21:03(K7076次)→5:58ハルピン   549キロ  8時間55分
② ハルピン8:50(D28次)→17:53北京   1249キロ
9時間03分
③ 北京西19:31(K471次 )→16:21昆明  3212キロ 44時間50分

今晩から鶏西を出発して、3本の列車に乗り継ぎ、冬の東北から南国昆明に向かいます。乗車距離5.010キロ、乗車時間は62時間48分(3泊4日)にも及びます。今までの中国鉄路乗車では、乗車距離と乗車時間とも最長になります。勿論、もっと長い乗車もできますが、今回は、乗り鉄だけでなく撮り鉄も目的の一つです。昆明ではメータゲージ、重慶では600㎜ゲージが待っています。

▲ 青線が昨日までに乗車した路線、赤線が今回乗車する路線です。

▲ 切符がオンライン化(?)されて、今迄できなかった乗継乗車も簡単にできるようになりました。ただ、日本のように遅れても次の列車は待ってはくれませんので、リスク覚悟が必要です。

【 K7076次乗車 】 鶏西→北京 549キロ 8時間55分

▲ ホテルは駅前正面ですので、発車近くまで部屋をキープしてゆっくりしました。田舎と言っては失礼ですが、軟座待合室は、大都市ハルピンより広くて綺麗です。発車45分前の光景ですが、30分前になるとどっと乗車客が入って満席に立ち席状態となりました。

▲ 乗車後に切符と交換された寝台券。受け取ってびっくり、だいたいは広告なしですが、悩ましげな広告が付いています。お堅いはずの中国鉄路局です。よく許可したものだと、在職中は鉄道広告に携わった者として意外感がありました。日本では、絶対に無理です。デザイン審査許可が通りません。

コンパートメントの同室者から日本語で声をかけられ、こんな所でとびっくりしました。聞きますと、自分は48歳、郷里は鶏西ですが、今は家族一緒で、広島の福山に住んでいます。昨年夏に脳溢血で倒れました。今回、郷里の親戚から中医治療を受けなさいと言われ出てきました。ハルピンに到着後、飛行機で上海へ行き、広島までまた搭乗して当日に帰ります。近くなりましたと言われました。障害も残っているそうです。48歳の働き盛りに大変だなと思いました。

【D28次動車に乗車】 1249キロ 9時間03分
定刻にハルピンに到着しました。乗換まで3時間近くありますが、日本のようにちょっとその辺を散歩など広い中国では考えられません。おとなしく駅前食堂で朝食をとってから、動車(和諧号)待合室で待ちました。軟座待合室より広くてゆったりしていましたが、発車30分前はいつもと一緒の状態でした。

▲ 少し残雪が残る満州の荒野を150~190キロで快走します。以前はもう少し速かったのですが、温州での事故以来、スピードダウン化がなされました。車窓には、ウルムチ同様に風力発電の風車が乱立しています。火力発電に頼る中国ですが、自然利用も結構多く見られました。

【 K471次乗車 】 3212キロ 44時間50分
北京駅には定刻着でしたが、乗り継ぐ列車は北京西駅発です。地下鉄はまだ開通していません。Taxiに乗れば楽なのですが、雨で丁度ラッシュとなりますと、車は動いていません。乗っても昼間の20分程度では到着しないのは明らかです。1時間半以内で確実に着く方法は、近くの地下鉄駅まで行って、後は徒歩しかありません。

▲ 左は北京駅、右は北京西駅。西駅の地铁開通は、今年中だそうです。

北京駅から2号環状線で復興門駅まで行き、1号線に乗り換え軍事博物館館駅で降りれば、1キロ先に西駅が見えます。自転車Taxiがあれば便利なのですが、Taxi同様に空車はありません。時計を見ながら、とぼとぼと雨降る夕闇の街を歩きました。北京西駅が開業して16年以上、首都でもあるのに、どうしてまだ地下鉄が開通しないのか、高速鉄路の目覚ましい開業ぶりと比べると、あまりの差に分らない国の実態が見えてきます。


▲ 北京駅到着後、地下出口通路で新しい2012年3月号時刻表を見つけました。 訪中以来、新しい時刻表を探していましたが、どの駅でも置いてありません。1月号が出ていると思っていましたが、この時刻表は、今迄発行されたことのない3月号です。鄭州鉄道日記さんから電話がかかってきたので知らせますと、自分も1月号を求めたがなかった。それに3月号が1日に出るとは意外です。通常は末日近くに発刊されることが多いと言っておられました。早速、今から乗るK471次の時刻を見ますと、19:23と間違っています。しかし、10月号では合っています。運用の関係で、2~3日は改定前の時刻で運転するのでしょうか? この時間帯は、各地方鉄路局受け持ちの夜行列車の発車がラッシュになりますので、調整が大変でしょうね。

【長距離夜行列車の楽しみは、車窓と食事】
K7076次は夜行でも深夜発早朝着ですので、食堂車の連結はありません。D28次は、動車のためレンジでチンの高くてまずい弁当しかありません。一方K471次は2泊3日も走りますので、勿論あります。受け持ちは、初めての昆明鉄路局です。隣の成都鉄路局は中国一ですので期待したいところです。

▲ 左上から1日の夕食;食堂車に行こうとしましたら、出来立てアツアツの弁当の車内販売がきました。これで20元(約260円)、安くて美味しそうでしたので買いました。ご飯がぱさぱさでなく中々の味でした。右上は、2日の朝食10元です。左下は2日の昼食(20元) 昨日と同じようですが、おかずが変わっていました。右下は食堂車での注文した夕食(64元=約800円)です。選べるおかずは約30種類と豊富です。味もしっかりしていましたが、ご飯がパサパサに変わってしまって上手くありませんでした。

▲ 3日朝の米で作った米麺(10元)。昆明局名物です。昼間は、この列車に乗るのがギリギリでしたので、食堂車が空いていなかったらと駅で買い求めていたインスタントラーメンです。

また食事のオンパレードになりました。車窓を紹介したいのですが、北京を出て以来雨でかすんでいます。窓ガラスは、例によって汚れてスリガラスに近い状態です。

この列車の寝台券です。これが普通ですが、昆明らしく少数民族のお姉さんの写真でもあったら素敵と思います。

3日目に入ると車窓も変わってきました。山水とはいいがたくとも、山の形が違ってきています。

▲  この列車、北京から昆明まで乗りとおす乗客はわずかです。殆どは、途中乗車下車客で、大きな駅では、乗客がすべてすり替わってしまうほどです。終点近くなった紅果駅では約30分の停車時間があって、食堂車のコックさんたちもホームに降りてゆっくりとしていました。雨も上がり、日差しが入っていました。
私のコンパートメントですが、2回ほど乗客が変わりました。そして途中からは個室状態で昆明に到着しました。

ホテルは、ネットで予約済みです。駅前で近いので歩いて行こうと思っていましたら、突然の雷雨です。500mぐらいだったのですが、たまらずバイクTaxi(10元)に乗りました。
  Part11  へ続く

2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part9  鶏西鉱業集団鉄路 その3

第11日目 2月29日

今晩は、夜行列車で遠く昆明まで移動しますので、鶏西での撮影は最終日です。1カットぐらいは、納得できるのを撮りたいと、早朝にヤードに行きましたが、霧です。今まで、快晴ばかりが続いていましたので、霧が出るとは想定外でした。
ズリ山や付近の小高い丘からの俯瞰撮影を考えていましたが、 どうしようもありません。霧が晴れるのを待ちました。

▲ ヤードには、凸型ELが2台、DLが2台と蒸気機関車が4台、昼夜交代のために待機中でした。蒸気機関車は、1340・1369・1437・1544号機です。
運転手と話してみますと、富陽炭鉱と正陽炭鉱に向けて出発すると言われますので、ボケボケ写真になるだろうが、見てみることを主眼に置いて向かいました。


▲ 上左が正陽炭鉱行き、上右が富陽炭鉱行きです。煙は出ているのですが、霧にかき消されました。下左は、杏花炭鉱からプッシュでズリ捨てに上がってくる列車です。霧の中から雪が落ちてきました。零下の中、粉雪ですのですぐに積もりましたが、積雪量はわずかでした。下右は、昨日同様のズリ捨てです。

これは、大きくカーブして富陽炭鉱へと向かう列車です。
かなりの急勾配を爆炎で上って行きますが、雪でかき消されました。

残念ながら、今回はいい写真は撮れませんでしたが、電化・DL化で消えてしまったと言われていた鶏西には、まだ蒸気機関車が活躍しているのが確認できました。電化については、架線を張ればすぐにでもできそうですが、何か進ませない理由があるように聞きます。

と言って、まだまだこの状態が続くとも考えられません。行かれる方は、お早めにとお勧めします

初めての場所でした。列車時刻が分らないので、これが1番障害となりました。それでも踏切番のおじさんにしつこく付いて、過去の通過記録を見せてもらって、何とか撮れました。
いいポイントはいくつかありますが、1日1~2本ですので、覚悟して凍え死なないような準備をして待つしかないと思います。   Part 10 へ続く

2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part8  鶏西鉱業集団鉄路 その2

第10日目 2月28日

昨日、部屋に戻ってからネット接続に再挑戦しましたが、やはり駄目です。早め寝ておこうとベットに入ってから、ふと書いてあるIPアドレスは本当なのだろうかとの疑問に気づきました。起きて、部屋に置いてあるデスクトップを立ち上げて、ネット接続のアドレスを調べてみると、全く違っています。これでは、いくら頑張ってもできるわけありません。
もう1度、LANケーブルを入れなおして、持込みPCにデスクトップと同じアドレスを入れると、 すんなりと接続OKになりました。多分、接続機器類を取り換えた時に、部屋のPCはアドレス変更したが、表示してあるアドレスは前のままで放置していたのでしょうね。中国では、疑ってみることから始めないと真実は見えてきません。改めて勉強しました。接続できましたので、深夜までPCにかじりついて日本のニュースやらを見ていました。

と、言うわけで今日は5時には起きて、ヤードで終結する姿を撮ろうと思っていましたが、昨夜の疲れか、ぼんやりとして9時過ぎの出発になってしまいました。目的地は昨日のロケハンで電化されていないことが確認できたズリ捨て線です。
まずは本線から分岐して富陽炭鉱へと向かう所までTaxiを走らせました。ラッキーなことに着いてすぐに汽笛が聞こえ正陽炭鉱行きの列車がやってきました。

10:21、逆向きの1340号機がやってきました。複線に見えますが、左は正陽炭鉱、右が富陽炭鉱への単線です。ここで右側線はカーブして直角に山に向かいます。

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2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part7  鶏西鉱業集団鉄路 その1

第9日日目 2月27日

ロシアとの国境に近い 黒竜江省鶏西市、近辺には大小たくさんの炭鉱があり、専用線を蒸気機関車が走行していましたが、近年は電化・DL化が進み、残っている可能性があるのは、城子河地区のみだろうとの推測のもとに空振り覚悟でやってきました。

鶏西站のホームに降り立って分りましたが、思っていたよりも暖かい。マイナスには違いありませんが、零下20度はあるだろう、煙も期待できると期待していた冷たさはありません。昨年2月、12月と行ったウルムチの三道嶺の方がまだ冷たさを感じました。

站を出て、まずはホテル探しです。目の前に鉄ちゃんがよく利用する鶏西賓館があります。入って空室はあるか、いくらなのか、部屋を見たいと告げると案内してくれました。通されたのは、3階でPCも置いてあり、そこそこの部屋の広さもあって、朝食付きで128元(約1,600円)とくれば、大歓迎です。
即決で部屋で持込みのPCにLANケーブルをさし込んでみましたら、うまくネット接続ができません。どうしてかと聞くと、壁に貼ってあるIPアドレスを見てセッティングしてもらわないと、接続できないと申されます。
一昔前にはこんなケースが殆どでしたので、手慣れていましたが、OSがどんどん変わってしまったので、さてどこにあったのかと探すのに一苦労です。
ようやく探し当てて、指定された接続コードを全て入力しましたが、撥ねられます。何度やっても状態は解決できずで、担当者を呼びましたが同じでした。

仕方ないと諦めて出かける準備をしていたら、昼夜の交代でヤードに機関車が終結する8時をとうに過ぎていました。 はまり込みやすい性格は損をします。急いでTaxiを捕まえて城子河站の踏切に向かいました。
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2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part6  哈尔滨(ハルピン)から鸡西(ジーシー)へ

第8日目 2月26日

① 黒河20:40(K7036次)→ 7:08ハルピン
② ハルピン22:09(K7075次)→6:51鸡西

早朝定刻にハルピンに到着しました。駅に荷物を預けて街を散策したいのだが、還暦を過ぎた老体はまずは体を休みたいと申します。こんな時に中国のホテルでは、早朝からでも部屋での休憩ができます。夜行列車で到着した者にとって大変ありがたいものです。駅前の龍運賓館(200元=約2,500円)にチェックインをしました。風呂に入って、ゆっくりしてPCでネットを見ながら、考え付くのは、美味しいものです。
ハルピンは3回目の訪問です。中国では一番美味しい水餃子を食べられるのはハルピンと思っておりますので、昼夕食と、散歩も兼ねて石畳の道がある中央大街に行ってみました。この日の気温はマイナス2℃で暖かく感じられました。
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雪景色の中央東線

関東にも大雪です。そこで鳥沢~猿橋間の鉄橋へ出向きました。

ここを走る115系も、近々置き換わるだろうと思ったからです。

八王子駅でのポイント故障で、ダイヤは大幅に乱れました。

先ずは、426M。

次に、536M。

雪を舞い上げダイヤ回復に努める、58M/あずさ8号。

ほぼ定時通過の80レ、EH200-22。

2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part5  国境の町、黑河(ヘイフー)のあじあ号展望車

第7日目 2月25

黒河20:40(K7036次)→ 7:08ハルピン

黑河へ来た目的は、国境の町の終着駅を見たかった以外に、是非とも会って見たい車両があったからです。ただ、情報は古く既に解体されているかとの不安がありましたが、行って確認する事にしました。

朝食後、ホテルに荷物を預けて駅に向かいました。まずは、10日後の切符購入です。昆明から成都までの切符は今日、駅での販売が開始されます。シーズンでは、団体客におさえられて中々入手困難ですが、この時期は大丈夫です。ネット残席情報でも大半が残っています。難なくゲットできました。

▲ ローカル駅だけあって、窓口は1ケ所だけですが、直ぐに買えました。
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2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part4     国境の町、黑河(ヘイフー)へ 

第6日目 2月24日

チチハル 5:51(4083次)→16:50 黑河

▲ 新旧並んでいるチチハル駅です。古い方は満鉄時代ですが、中国でも一般的には、古い方を壊してから新しい駅舎を建てているので、何か意図的なものを感じます。古い方は重厚ですが、新しい方は、大きいだけで安ぶしんとの私の印象です、

【中盤の切符購入】
昨夜は、中国鉄路乗り鉄に精通している鄭州鉄道日記さんと連絡を取り、蒸気機関車の隠れ里探究の旅から乗り鉄への変更を伝え、切符購入の最新情報を教えていただきました。既に北京までは購入済みですが、北京以降の切符購入を自らしなければなりません。

目的地は、今回のクローバー会写真展に佐竹先輩が展示されておられる成都と昆明を結ぶ成昆鉄路です。以前から中国鉄路随一の車窓を誇るこの鉄路を乗車してみたいと思っていました。問題は、どの時間帯の列車に乗れば、一番良いのかということですが、何度も乗車しておら鄭州鉄道日記さんは、雲南寄りがお奨めです。朝に昆明を出るK114次に乗られたらいいでしょうと教えていただきました。

インターネットで残席情報を検索して残席を確認後、チチハル駅に行って、まずは北京から昆明までの切符を買い求めに参りました。
切符の発売方法が最近変ってきています。12日前にネットと電話予約受付、10日前に全国の駅で購入可能になりました。ただこれは基本で、実際は発売日や時間が必ずしも統一されていません。各駅の都合でマチマチです。購買時も寝台列車の下段が空いていても上段しか売ってくれなかったり、調べもしないで没有と返事をしたりで、オンライン化ができてもサービスの徹底はなされていませんので、厄介です。

チチハル駅ではいかがなものかと試してみましたら、北京から昆明までの切符が普通に買えました。
”おお~、これは便利になった”と感激です。いつも切符の購入では、大変苦労しているのです。これで切符は、10日前には確保でき、予定を確定できる事が確認でlきました。以降は、まだ発売前なので、黑河に着いてからです。 続きを読む

2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part3  富拉尔基(フラジル)の蒸気機関車

—–第4・5日目 2月22・23

6時46分、地平線の彼方からあがる朝日を見ながら行動開始です。

フラジルは、チチハルにある工業都市です。3大工場と火力発電所の4ヶ所に蒸気機関車があるらしい。しかし、どこも工場内で使用されているために、一般の目に触れることはない。見たければ許可を必要としますが、生産現場となるとまず難しい。忍び込む以外に手はないのですが、見つかれば厳罰が待っていますので、これは避けなければなりません。それでも撮りたいものは、撮りたいとの二重三重苦に矛盾が重なり、考えれば考えるほど動きが取れません。

昨日ホテルにチェックイン後、その中でも発電所の蒸気機関車は石炭輸送のため、国鉄線への専用線があって工場外郊外約7キロを走るので、撮影には問題ない。また約60両、おおよそ5,000トンものセキを牽引をするからには爆炎も期待できるだろうと、確認のためにロケハンに出かけました。

ホテル前に止まっていたTaxiに乗り込み、発電所を伝えますと料金メーターを倒さず、まず15元(約190円)の料金提示です。流しを拾えば良かったのかと思いましたが、15元なら値切る事もないかとOKを出しました。この地のTaxi、すれ違う度に見ていますと、客が乗っているのにすべて空車マークです。こんなの中国内でも見るのは初めてです。

約20分ほどで発電所の正門に到着しましたが、線路は裏側です。裏へ回れとメモ用紙に地図を書いて申しますが、さっぱり理解してくれません。丁度夕日が真っ赤に染まっていますので、撮影チャンスですが、言葉が通じないとは困ったものです。
仕方なく車を降りて歩きましたが、専用線にたどり着くころには夕闇が迫り、ロケハンは失敗に終わりました。 続きを読む

浜大津と堅田 昭和55年4月合宿の帰り

昭和55年4月の早い日、大学2年に進級し新入生を待つ直前、初めての春休み合宿に参加して、和迩浜の安い宿に泊まった。
この時は電車で和迩まで行き、翌日の解散後は江若鉄道の本堅田駅の駅舎が残っているので周辺の遺構調査をしようと、先輩のホンダZに乗り込んで、堅田のバスターミナルになっている駅跡に向かった。

この頃は対向ホームも残り、鉄道営業時代と大きく雰囲気を変えていない。
堅田の構内には路線バスの検査設備を備えた車庫ができ、新旧のバスが待機していた。
ここを訪れた目的はもうひとつ、最後のボンネットバスを見るためである。

他にもまだ、鉄道時代を物語る建物がいくつか残されていた。

日通の堅田営業所。

貨物積み込みホームの跡と貨物倉庫であろうか。

小さな木造の小屋。ランプ小屋でないと思うが、ストラクチャーとしては好ましい。

その後は、360ccの車体に男4人が乗り、三井寺下に向かった。

江若鉄道のものと思われる橋桁台が見つかった。

三井寺下の車庫のあったあたりは、再開発目前であったが、何となく鉄道の雰囲気が残っていた。
この建物は本社屋だったのだろうか。「在りし日江若鉄道展」(平成18年、大津市歴史博物館編)より右屋の二階建て部が本社屋、手前の横に長いのが駅本屋と判明する。駅本屋は痛みが激しく解体寸前のようである。

この表札で元江若鉄道の建物と推察した。当時は江若バスの時代だが、労働組合は鉄道事業解散後もその名で続いていた。今では「?」の略字体が左翼を感じさせる。昭和の時代ならである。

このあたりで先輩はびわこローズタウンの家に戻るので、残った3人のうち二人は近くの駅に向かった。
私はいつものように単独で歩き出し、浜大津に向かった。
その頃の三井寺の門前風景。

多分桜が咲く目前であっただろう。若い頃は花に心が動かないものだが、旧い物にはやたらと頭が働いた。
琵琶湖疎水の導入口がこの付近にあり、石坂線の電車をカメラに収めんとアングルを考えていたら、突然春雨が降って来た。

ごうごうと吸い込まれる水音を聴いていたら、ほんの一年前の自分と、ほとんどクラブ活動に費やした一年後の自分のギャップが面白く、不思議な気分で雨に打たれていた。
雨は一足で駆け抜けて行った。
浜大津に出ると石坂線の駅と、京津線の駅が別々の所にあり、乗り換えをするのに歩いていかねばならない。
往年はこれに江若の駅もあったから、大湖汽船の船着き場と国鉄の貨物入線でさぞかしこのあたりは賑やかであったであろう。

電車は石山寺行きの準急、300型305。ちょうど京津線のクロッシングを越える地点である。
背景の土産物屋の看板等に京都の資本を感じるが、特派員氏の同じ方向からのアングルと相違は少ない。
後年中年になり、このあたりを思い出を片手に歩いてみた。
夕暮れになると判るのだが、大津の歓楽街は背景部分の裏手あたりである。この水のほとりに開けた侘びしい歓楽街に遊んだいにしえの遊子たちを思う術もなく今は大きなビルが建ち並び、湖岸は遠くなった。

この日写した写真のなかで一番気に入った一枚を最後に並べておく。
日通の浜大津倉庫と、今も現存する大津市公会堂を背景に、浜大津に膳所方面から進入する坂本行きの各停。
弓なりのイコライザを持つ台車を穿く351x2連。渋い風景である。
一番手前の使われていない線路は、国鉄の貨物列車が江若の線路と直通運転するために敷設した3フィート6インチゲージである。

持ち論この時もこの線路の存在に気づいていたが、3線区間もすでに撤去され、梅小路の8620が小貨物を牽いて「ポー」と通った日々も既に遠くなっていた。
遥か昔は東海道線の本線蒸機がここまできて、長浜に向かう旅人を送り出していたのであろう。
あれから30数年が経ったが、本当に明治も昭和も、遠くなったなと感じる昨今の変貌ぶりである。

2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part2 1801次に乗って齐齐哈尔へ

第2・3日目  2月20・21日
① 北京北13:47(1801次)→13:10チチハル(齐齐哈尔)
② チチハル14:45(BUS)→15:40フラルジ(富拉尔基)


北京
からチチハルへは、最速のT47次に乗車すると15時間半で着くが、いわゆる本線を走行するので、未乗車区間裏街道を走る1801次を選びました。さすが普通列車だけあってのろいですが、本線とは違って山あり谷ありの山間を走りますので、車窓を楽しめます。




▲ 夕飯は、魚定食(45元)を選びました。チチハル局の列車食堂は初めてでしたが、ボリューム満点です。 魚は太刀魚でしたが、カラリとあがっていて小骨も気にならず美味でした。

春節も終わったので、今日の軟座寝台コンパートメントは独占かなと期待していましたら、同室者が一人いました。途中の赤峰まで帰るという品のよさそうな中年のおば様です。初めは、黙っていましたが時間の経過とともに、どちらからともなく会話が始まりました。

聞けば蒙族の方で、20歳になる娘さんがおられて鄭州の大学に在学中です。卒業後は日本に留学したいと望んでいます。自分は日本に行った事はないが、綺麗で、中国のような貧富の差もなく、自由で、何よりも安心できる国で尊敬しています。是非とも希望を叶えて学ばせてやりたいと、夫と共に一生懸命働いています。私も日本語を学んでいますと、途中途中で日本語を交えて話されます。

留学費用は中国では莫大な金額になるので大丈夫ですかと聞くと、職業は夫婦共医者だと言われます。でも給料は、一人4,000元(約6万円)だそうです。実際は、患者の心付けがあると思いますので、もっと多いでしょうが、日本とは桁が違います。
分らない言葉は筆談したり、辞書をひいたりしながらでしたが、瞬く間におば様が下車される真夜中の赤峰に着きました。久しぶりにいい話ができたな、こんな深夜に途中乗車する客はいないだろうと寝ようとしていましたら、 また同じような中年のおば様が部屋に入ってこられました。もう眠たいので寝ましたが、朝日が当たる頃からは、また中国語勉強タイムになりました。

▲ 地平線から上がった朝日が湖面に輝きます。凍える朝を迎えましたが、車内は26度と暑いくらい暖房が利いていました。 ▲ 朝の定食(20元)も2人分あろうかと思えるボリュームです。

天候も良く、チチハルには定刻着。極寒の地と思いきや北京と変わらぬ外温です。マイナス20度対策をしてきたので、汗も出てきて拍子抜けです。出口を出るとこれからの切符を依頼した旅行社のR氏が待ってくれていました。ご親切にも荷物を持っていただき、今回の最初の撮影地フラジルへのバスターミナルまで市内バスに乗って送っていただきました。

フラジルは、チチハルから南西約40キロに位置します。中国でも代表的な大型産業機器、軍事用に使用される特殊鋼、鉄道用には貨車製造の大工場があり、電力確保のための発電所があります。この工場群内の輸送に蒸気機関車が使われているというのです。、最新情報は昨年9月の中国鉄路の権威者である倉重様の訪問記です。6ケ月を経過した今、まだ生きているか分りませんが探究することにしました。

バスは中型バスで、満席になれば発車です。結構乗客は多く10分間隔で出ています。地平線が見える冬の荒野を一直線に走り約1時間弱で到着しました。

市内中心部に入ったところで、下車してホテル探しです。インターネットで探しましたが、紹介はあっても予約できるサイトがなかったので、グーグルアースから見て、鉄道駅近くで大きそうなホテルを数件リストアップしてきました。しかし、宇宙からみる光景と地上からの目線は別物です。歩いて探すのは大変ですので、最初に見つけたホテルに入って、部屋を見せてもらってから決めました。五百広場前で、インターネット可、バスタブもあります。市内を見渡せる9階の部屋で、朝食込の188元(約2,400円)でした。  Part 3 へ続く

2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part1  とほほのスタート

今年最初の旅は、いつもと違って43日間の長旅を計画しました。学生時代にもこれだけの長旅の経験はありません。それも大半は一人旅です。いくら慣れた大地でも、還暦を過ぎた老体には過酷には違いないだろう。はたして無事に旅を続けられるか、?マークが付くが、考えると行動できなくなるので、体調不良等で困ったら帰国してもいいだろうとの楽観的思考で出かけることにしました。

第1日目 2月19日
① 長岡天神6:02→6:19南茨木6:26→6:49大阪空港
② 伊丹空港8:20→9:40成田空港10:40→14:00北京空港
③ 北京空港→三元橋→国貿→京倫飯店

かつては、大地にこれでもかと飛んでいたJALも経営破たん以降は激減し、関西から首都北京までの直行便はない。いつものように伊丹から成田経由で向かいました。
伊丹空港に着いて、チェックインをするためにJALカードを取り出そうとするとありません。「あ~、やってしまった。」昨夜、盗難にあった場合を想定して、持っていくクレジットカードをスキャニングして、そのままスキャナーに置き忘れていました。

海外に行く際は、多額の現金を持ち歩くのは危険ですので、いつもはその都度、現地でキャッシングをしています。これは困ったと頭を抱えましたが、帰宅もできず送ってもらうこともできません。 とほほのスタートです。
しかし、今回は銀聯カードの残高が少なくなっていたので、預入に30万円を持ってきていました。何らかの要因で高額支払いが発生しない限りは、これでおさまるだろうと思いますが、もしもの時の安心感がないのは事実です。

常宿に到着、前回も依頼した旅行社のG氏が切符を持ってお待ちでした。
北京からは、最初のSL撮影地チチハルまで1801次に乗車します。距離1,374キロ、所要時間は23時間23分の乗り鉄旅です。途中の赤嶺までは昨年乗車済みですが、後は初乗車となります。
切符をご覧のように姓名とパスポート番号が記載されています。今までは動車(電車)だけ、身分証が必要でしたが、ダフ屋一掃のために他の列車でも必要となりました。航空券と同様ですが、乗車時にすべての乗客を身分証と合わせてチェックすることは不可能です。抜本的な対策とはならずも抑止力程度でしょうね。
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とほほ! 寝台特急日本海 運休

2月中旬からの長期の中国鉄路の旅準備のために体力温存に努めておりましたが、そろそろ我慢できなくなり、それではと厳寒撮影の予行演習も兼ねて、3月時刻改正でなくなる寝台特急日本海急行きたぐにの乗車をやっておこうと思いたちました。

同行者を探したところ伏見の山の手住宅街に住むDRFC-OBのT君から、是非共との快諾を得ました。私には珍しく2度の打合せを行い、津軽鉄道ストーブ列車と、T君が愛した五能線を乗車して、沿線の有名な不老ふ死温泉に連泊をして、撮影後きたぐにで帰るとのプランが出来上がりました。宿泊・レンタカー手配、切符の購入等々を済まして、本日自宅を出発しました。

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マレー国鉄に少しだけ乗ってきました。

昨年、12月9日から12日まで、会社の職場旅行で、マレーシアのペナン島へ行ってまいりました。

一日、自由行動があり、何をしようか迷っていたところ、対岸のBUTTERWORTHまで渡ると、鉄道があることがわかり、早速、海にも入らず「鉄」してきました。

12月10日、ホテルを出て、午前中は、世界遺産にも登録されているジョージタウンを散策。昼過ぎに、対岸に渡るフェリーターミナルへ移動。ターミナル内で、BUTTERWORTH1400発の11列車SINARAN UTARAの切符を購入。行先は、1445着Nibong Tebaiです。プレミアシート(1等)で14マレーシアリンギット(約366円)です。帰りの切符も予約しようとしましたが、すぐ折り返すような行動が理解されず、どうしても売ってくれませんでした。

フェリーで渡ること、約15分。対岸のバタワースに到着。フェリー乗り場近くの駅に移動しますが、駅前には、SLとDLが展示されています。

駅自体は、プレハブの仮設駅です。

ここバタワースからは、クアラルンプールまで、一日2往復(昼行・夜行)。クアラルンプールを経由して、シンガポール近くのウットランズまで1往復(昼行)。バンコクまで1往復(夜行)の列車が発着しています。ここで、無事帰りのNibong Tebai1516発10列車SINARAN UTARAの切符を購入。BUTTERWORTHは、1615着の予定です。帰りは、スーペリアクラスで11マレーシアリンギット(約286円)です。

乗車するBUTTERWORTH1400発の11列車SINARAN UTARAは、機関車26110+ASC2216+ASC2155+ASC2151+ASC2201+AFC1413+ADNS2616+ADNS2640+ADNS2617+ADNA2604+PCC212の8両編成で、ASCは、スーペリア(二等車)。AFCは、プレミア(1等車)。ADNSは、寝台車(開放型二段寝台でオロネ24のような感じです。PCCは、電源車です。車両番号は、車体に書かれておらず、車体中央の水タンクか空気溜めのようなものに書かれており、ほとんどが韓国HUNDAI製です。一日二往復ですので、夜行でクアラルンプールから来たものが、昼行で、クアラルンプールへ折り返すのだと思います。

運転士に身振り手ぶりで、「ジャパンの鉄」であることを伝え、26110機関車運転室に乗り込むことに成功。

最高速度は、120キロのようです。ただ、この機関車の長さが異様に長く、客車と同じくらいの長さです。線路に下りての撮影も、こころよくOKをもらいました。

そののちに、プレミアシートに移動。革張りのシートで一列と二列の配置で、なかなかのものです。

車中では、パン(フジパン製のアンパンかココナッツパン)とミネラルウォーターの配られました。小一時間の旅で、Nibong Tebaiで到着。途中、長大編成のコンテナ列車と何度かすれ違いました。また、、現在は、非電化ですが、電化工事と路盤改良工事たけなわでした。Nibong Tebaiは、一面の駅でこちらも仮設駅で、駅舎は、プレハブです。隣で高架駅の工事がたけなわです。ただ、一日に往復しかない旅客列車のためにこのような工事が必要なのか?甚だ疑問です。

左に見えるのが、高架化した新しい駅です。

帰りの列車は、クアラルンプールを0845に出た列車ですが、約35分遅れて、NibongI Tebaiに到着しました。帰りは、スーぺリアクラスは、二列・二列で、パンなどの配布もありませんでした。パン代だけでも3マレーシアリンギットは、しますので、絶対プレミアがお得です。その上、このスーペリアには、人の他、赤アリが巣を作っているくらい大量に乗車しており、一緒に行った後輩は、うとうとしているうちにTシャツの中にアリが入り込み、体中に刺されておりました。

ということで、少しだけ、マレー国鉄に乗車してきました。

ペナン島に行く機会がありましたら、是非、お勧めします。