第7日目 2月25日
黒河20:40(K7036次)→ 7:08ハルピン
黑河へ来た目的は、国境の町の終着駅を見たかった以外に、是非とも会って見たい車両があったからです。ただ、情報は古く既に解体されているかとの不安がありましたが、行って確認する事にしました。
朝食後、ホテルに荷物を預けて駅に向かいました。まずは、10日後の切符購入です。昆明から成都までの切符は今日、駅での販売が開始されます。シーズンでは、団体客におさえられて中々入手困難ですが、この時期は大丈夫です。ネット残席情報でも大半が残っています。難なくゲットできました。
▲ ローカル駅だけあって、窓口は1ケ所だけですが、直ぐに買えました。
▲ 見たい車両基地は、最先端でここで線路は終わっています。
▲ 客車区の隅っこに、おりました。恋人に会った気持ちがします。もう、お分かりでしょうが、満州の荒野を快走したあじあ号の展望車です。
富士で使用されたテンイネ2型は、少なくとも3両が確認され、復元保存されていますが、あじあ号の展望車だけはどこに行ったのか分らず、ここ国境の町の隅でボロボロの姿を発見されました。窓ガラスは全部割られて無残な姿ですが、二重窓だった痕跡は残っています。3軸台車は残念ながら履き替えられています。
公務車とされていましたので、最後は事業用車として使用されたようですが、どのような数奇な人生をおくってきたのか語る人はいません。是非とも当時の姿に復元して展示をしていただきたいと思うのは私だけではないと思います。
国境の町といっても、ロシア風の建築が残った町との印象以外はありませんでした。今回の訪問目的は遂げましたので、早め駅に行ってPCをいじくりながらの時間を過ごしました。
昼間ガラガラだった待合室も発車2時間前になると一杯になってきます。ロシア人も多く見かけられました。
K7036次は、黒河からハルピンまでの655キロを10時間28分で結びます。ホームに入ってびっくりしたのは、何と軟座寝台が5両も連結してあり、ロシア人も多く乗っています。今日の同室者はどなたかと思っていましたら、陽気なロシア人姉妹でした。
お姉さんは、4ケ月前にハルピンに来て、大学でロシア語の先生をしています。妹さんは、7日前に郷里のモスクワから遊びに来ているそうです。中国語と英語を交えて、会話を楽しみました。 Part6 へ続く
ぶんしゅう様
お元気そうで何よりです。黒河のあじあ号展望車はよく発見しましたね。三道嶺にご一緒したSさんと大連訪問時だったと思いますが中国人ガイドから黒河にあじあ号の展望車があると聞きましたが本当に残っていたのですね。羨ましき限りです。あまり無理せんと気をつけて旅行を続けて下さい。
日本の半鋼製車外板厚は2.4ミリ(3/32吋)が標準で、気動車や戦時中の客車には1.6ミリ(1/16吋)もありました。米国や満鉄は1/8吋(3.2ミリ)でしたから、これがかつての特急客車が残存していた理由のひとつでありましょう。
準特急先輩へ
コメントをいただきましてありがとうございました。只今、牡丹江近くの鶏西から、夜行・動車・夜行と乗り継ぎまして、3泊4日約6,000キロ余りの乗り鉄旅を終えて、南国の昆明に着きました。鉄ちゃんにとりまして、煙を見たり、ゴットンゴットンとの走行音は、疲れを感じさせず、充電にもなります。
あじあ号の展望車は、本当に会えて幸せでした。はるばる黒河に来た価値は、これだけけで十分にありました。
明日は、昆明に残るメーターゲージの乗車を予定しています。そして成昆鉄路に乗車して、重慶ではモノレールとグースの撮り鉄に行きます。グースはゲテモノDLです。お楽しみにしてください。しかし、HPのアップロードが追いつきません。
5月の連休は小竹さんと、阿里河森林鉄道のC2のチャーター運転撮影に向かいます。まだ4名枠がありますがいかがですか?
湯口 徹 大先輩様
コメントをいただきましてありがとうございました。
あじあ号展望車は、半鋼製車外板厚3.2ミリもあったのですか。それで朽ち果てず残存できたのですね。
しかし、このままでは残存が伸びてもいつかは朽ち果てます。残せる方法はないのでしょうか? 満鉄会で知った方がおられますので、言ってみます。
ここ中国では、日本侵略時の生き証人として、愛国主義の見せしめ、犠牲として陳列されることは明らかですが、それでも復元してもらいたいと思っております。