【88019】こんなモンもありまっせ!【中学修学旅行編】そのⅠ

“湖畔のヒマ人”さんからお呼び出しがあり、久しぶりに浜大津にお伺いしました。
大花火大会があったばかりの湖岸に建つ13階の高層マンションから見る琵琶湖は素晴らしく、「ミシガン」が出港するのに見とれました。

さて、ご用の向きは?と尋ねると、「ワシにも“こんなモンもありまっせ!”があるが、投稿方法が分からない」とのこと。ついでに娘さんからのプレゼント、2TBのハードディスクも取り付けろ、との仰せでした。早速設定しましたが、肝心の投稿許可をもらっていないので管理者のぶんしゅうさんに電話して許可申請して帰りました。
今朝ほどメールで許可されたとのことですから、間もなく湖畔から“こんなモンもありまっせ!”が投稿されるかもしれません。

てなわけで、私だけの専売特許ではなくなりそうですから整理が済んだものを急ぎ発表します。
これは中学の修学旅行で東京へ行った時に撮った鉄道写真です。といっても客車の中やバスの中から撮ったものですから架線柱が入ったり、ぶれたり、逆光だったりでロクなものがありませんがお許し下さい。

《お願い》
撮影時は昭和35(1960)年10月です。但し、撮影場所・車両名・鉄道会社名など全く解りませんので、わかった方はこの欄へ投稿して教えて下さい。

①東レ大津工場 101号機 昭和4年8月日立製 (西村雅幸氏解説)

②名鉄?

③名鉄

④名鉄

⑤名鉄デキ402 (西村雅幸氏解説)

ここまで名鉄とおぼしきものが続くのは、初めての名鉄で珍しかったものと思う。
車両の形式や撮影場所が推察出来れば教えて下さい。

とりあえずⅠはここまで。                                   つづく

こんなモンもありまっせ!【中学修学旅行編】そのⅠ” への7件のコメント

  1. 米手作市様
    こんなモンもありまっせシリーズ、お宝映像の数々楽しみにしています。1枚目の写真は石山駅の京都寄りにある踏切通過の際に撮られた写真ですね。この踏切は今も同じようにあって、京都-草津間の複々線区間で車も通れる踏切というのはもうここぐらいしかないのではと思います。東レ滋賀工場に入る引き込み線はもう少し京都寄りから分岐して国道1号線を渡り、東レ北門あたりから構内に入っていました。国道を渡るところには専用の信号機がついていて引き込み線に列車が入るときには国道側の信号が赤になり、旗を持った係員が国道側の車両を遮断していたように記憶しています。踏切付近は現在もあまり変わっていないと思いますのでまた現状をご報告したいと思います。

  2. 米手作市様
    私も中学修学旅行で車窓から写した多くの写真があります。まともな写真は殆どありませんが、そんな写真を見ていると半世紀前の旅の記憶が蘇ってきます。国鉄も私鉄もバラエティーに富んだ元気な時代でした。今のように各地の情報が判らない時代でしたから、次々と見たこともない機関車や電車と一瞬の出会いがあり興奮していたことをなつかしく思い出します。さてお宝写真に少しコメントさせて頂きます。①はハチロク様の地元ですが、この機関車は昭和4年8月 日立製作所生まれの1C1 43Ton機で大井川鉄道の15号機でした。昭和25年に近江長岡の大阪セメント伊吹工場に移って101号機となり、その専用線が昭和31年に電化されたために職場を追われて、同年8月に石山にやってきました。東レ大津にはすでに101号機が在籍したことがありましたので、正確には2代目の101号機です。ただいつまで石山で働いてのかが私にはわかりません。とりあえずはここまでです。続編を首を長くして待っております。

    • 西村雅幸様
      貴兄のように系統立った知識のない私には救いの神です。まだ20枚ほどありますのでよろしくお願いします。

  3. 修学旅行では皆さんやはり同じようなことをされていたのですね。小生も京都から沼津までのスハ32の車中から初見の興奮のままに写真を撮っていました。仰る通りロクなものは撮れませんでしたが、豊橋駅構内で撮ったタテ長窓がズラリと並んだ2扉のカッコいい電車を、数年のちまで名鉄の電車だとばかり思いこんでいたものです。後にこれは飯田線のクモハ42か43だとわかりましたが、この時が80系以前の旧型国電のカッコ良さを知る初めての機会になりました。
    ところで投稿写真の⑤ですが、全く自信はありませんが、飯田線のED17貨物ではないでしょうか?とはいうものの側面のルーバー形状が違っているようにも見え、名鉄のELとED17の知識が無い為ひょっとしてという域を出ません。間違っていたらご免なさい。

    • 1900生様
      私の時は帰路 沼津から京都までがスハ32でした。用宗で停車した際 山側の工事中の東海道新幹線をDD13がホキを牽いてゆっくり通過して行ったのをよく覚えています。ところで⑤ですが 場所は判りませんが名鉄デキ402でしょう。凸型電機ばかりの名鉄で唯一箱型電機だったと思います。保線用としてかなり最近まで長生きしたと思います。

      • 西村雅幸 様
        やはり名鉄のロコでしたか。箱型があったとは知りませんでした。ご教示ありがとうございます。
        修学旅行の復路がスハ32でしたか。小生の復路は153系でした。事前説明の東京発時刻19:30は姫路行臨時急行「はりま」の時刻になっていて、まさか80系ではと思っていたらちゃんとサロも組み込んだ編成でした。(サシがあったかどうか確認できていません。事故防止のためかはたまたなんせ良家の子弟が多い学校でしたから、号車間の移動も禁止され身動きがとれなかったからです。サロに当たったクラスが羨ましかったですね)

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