半世紀前の国鉄・富山港線-今昔対比-

デジ青で最近、富山港線の話題を眼にしたので、半世紀前のアルバムを思い出し、ひっくり返してみました。1960年の11月、同志社EVEの最中でした。この年、同好会はEVEには参加せず、10人前後のグループで高山線の夜行に乗り、高山機関区や富山港線を訪ねていました。帰りは、信越線・中央線経由でした。

それから半世紀以上経った今年2017年、5月に今度は工業化学・高分子化学専攻のゼミの仲間11人と富山県・八尾と岩瀬浜の街を歩きました。この仲間もDRFC同様、半世紀以上付き合いの同志社仲間です。数年に一度旅行に出掛けています。2年前は筆者が幹事で大井川鉄道の客車に乗せ寸又峡、接阻峡に向かいました。

さて半世紀前の富山港線。画像と記録メモはあっても、詳細説明は難しく、鉄道ピクとリアル誌他を参考にしました(下記参照)。ピク誌は丁度富山港線を訪れた時に同じくした発行でした。筆者が国電、それも買収国電の投稿などこれが最初で最後です。何せ、下記文献の拾い読みですから、間違いも多いと思います。読者のご指摘をお願い致します。
参考文献:鉄道ピクトリアル 第10巻第11号 通巻112号 1960年11月 鉄道図書刊行会
国鉄電車のあゆみ-30系から80系まで- 1968年2月 交友社

▼クハ5502+クモハ2011 富山駅6番ホーム 1960年11月25日  00601
元鶴見臨港鉄道サハ210型(1942年川崎車輌製)→国鉄鶴見線クハ5500型5502→1957年当線へ。塗り分け塗装なし、行き先表示板挿入枠無設置。1967年1500Vに昇圧時廃車(以下の車両もほぼ同時期に廃車)

▼クモハ2011+クハ5502 富山駅6番ホーム 1960年11月25日  00609
元南武鉄道モハ150型(1941年帝国車両製)→国鉄南武線→国鉄宇部線→国鉄可部線→モハ2000型2008→クモハ2010型2011→当線へ 行き先表示板挿入枠が設けられているが、表示の必要なく、そのまま。
▼クモハ1310  城川原駅 同日 00602
元宇部鉄道モハ31型33(1943年4月、新潟鐵工所製)→1951年福塩線→1953年可部線→1954年当線へ。ノーシル・ノーヘッダー車。
▼クモハ2010 城川原駅 同日 00603
元南武鉄道モハ150型(1941年帝国車両製)→国鉄南武線→国鉄宇部線→国鉄可部線→モハ2000型2001→当線へ→2010型2010
▼クハ5501 城川原車庫 同日 00604
元鶴見臨港鉄道→国鉄鶴見線モハ210型→クハ5500型5501→1957年5502、5503、5506と共に当線へ。塗り分け塗装車(上部クリーム1号、下部青4号)
▼クモハ2006+クモハ2007 城川原車庫 同日 00605
元南武鉄道150型(1941年帝国車輌製)→国鉄南武線→国鉄宇部線(3輌)、国鉄可部線(1両)→クモハ2000・2003・2007と共に当線へ
▼クモハ2007 城川原車庫 同日 00606
上記クモハ2006に同じ
▼クハ5503 城川原車庫 同日 00607
元鶴見臨港鉄道クハ350型(1938年川崎車輌製)→国鉄鶴見線クハ5531→クハ5503、1957年5501、5502、5506と共に当線へ。 ▼クモハ2020 城川原車庫 同日 00608
省電モハ1型1055の鋼改車→元南武鉄道500型501→南武鉄道505→国鉄南武線→国鉄鶴見線→国鉄福塩線モハ2020型2020→当線へ
▼東岩瀬駅を出発するライトレールTLR0606アクセントブルー車の後部 2017年5月26日  富山駅から東岩瀬まで乗車し、降車後岩瀬浜に向かう車輌を見送りました。
▼現存する元東岩瀬駅駅舎 同日
駅舎の待合室は、老人会をはじめ各種グループの集会場として利用されています。今回ボランティア・案内人との待ち合わせ場所となりました。それから、案内人の説明で、往時の北前船廻船問屋、伝統的町屋、防火造り土蔵などを見て歩きました。
▼岩瀬浜案内マップ、ライトレール他共通一日フリーきっぷ、

▼岩瀬浜のライトレール進行方向後部 同日
岩瀬浜駅で案内人と別れ、行きと同じTLR0606で、富山駅に戻りました。
▼ライトレール進行方向前部 同日
線路のバラスを見ました。殆どは角の尖った砕石ですが、線路脇の方に天然石の丸石も沢山見受けられました。富山港線の名残のバラスです。一つ拾って帰りました。
▼車内風景。乗客は我々ゼミ仲間の一行です。

半世紀前の国鉄・富山港線-今昔対比-」への2件のフィードバック

  1. turukame様

    小生にとって、富山港線は空白状態となっており、貴殿の珍しい写真に見入っております。
    富山港線が小生の記憶に現れるのはブルーの73系とクモハ40が入った頃です。
    不思議なのは、それ以前の雑形車には無感心だった事で、そこには当時『国電』にこだわり過ぎていた自分が居た事です。
    貴殿の写真でその空白が埋められた訳で、今更ながら自分がイビツな鉄道ファンだった事に反省しております。

    改めて写真を見てみると元鶴見臨港鉄道と元南武鉄道の電車が、遠く福塩線や宇部線、可部線で活躍した後、富山港線に流れ着いて仲良く手を繋いでいる等は味の有る写真ですね。

  2. 河 昭一郎 様
    コメント拝見致しました。関心の有る無しは多分に時勢に、あるいは趣味人本人の環境に左右されるのではないでしょうか。丸っきり無関心でなかっと思います。関心があった時には自身の身動きができないとか。種々の制約が生じたとか。

    学生時代なら時間無制限ですが金が無い、就職すれば金が出来たが時間が無い。結婚すれば体が自由でない。ましてや子どもができれば金も時間もなく、そんな時に鉄道写真などもっての外。小生は1968年から2005年ころまで趣味が休眠状態でした。でようやく、撮り鉄に出かけたり、昔のフィルムをデジタル化したりは近年でした。

    とこらが最近は、成長した孫3人に金はせびられるは、夏と冬休みにはどこかへ連れてゆけとか金も時間も奪われ、またまた趣味活動が制限されかかっております。

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