癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part8 枋山で撮る

第7日目 3月3日

6:00 今朝はホテルの朝食提供が7時からですのでそれまで坊寮の発車を撮ろうと高雄側の中山路踏切に行って見ました。

◀ 朝の気温は17℃、この時期の台湾の朝は春のすがすがしい気候です。

▲ 6:20 坊寮始発新左營行きの區間快速3042次DR3000系6両編成で発車していきました。以前は両側は更地だったのですが養生壁が出来て何やら工事が始まっています。踏切手前からは撮れず、渡ってカメラを構えました。
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絶景の台湾鉄路 2015年夏の旅 Part11 北回帰線標誌紀念公園、蒜頭糖廠の訪問

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今回の旅の最後の訪問地は昨年1月に大津の86さんとご一緒した蒜頭糖廠です。平日で暑い日だけあって訪問者は少なく閑散としてしていました。
蒜頭糖廠
は、明治39(1906)年に建設された製糖工場で日本統治時代は台湾3番目の規模を誇りましたが平成12(2000)年の台風で被害を受け閉鎖され、以降はテーマパークとして運営されています。
※ 詳細については昨年1月に訪問しました記事をご覧ください。こちらです。

丁度、平日は1日1回(15:00発)の観光列車が走る時間が近づいています。皆さんと乗車する事にしました。

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絶景の台湾鉄路 2015年夏の旅 Part10 台湾鉄路節(鉄道記念日)阿里山森林鉄道(北門~嘉義車庫)シェイを撮る

DSC_0220012今日は台湾鉄路節(鉄道記念日)、我々が訪問しているのは阿里山森林鉄道の嘉義車庫です。磨かれて黒光りする車体は、走行準備のために給水中のシェイ式蒸気機関車(略;シェイ)25号機
阿里山森林鉄道の建設工事のため1907年に米ライマ社(Lima Locomotive Works)製造の13㌧車のシェイが初めて試用導入されました。直立シリンダーと傘歯ギア間接駆動を持ち、急勾配用に特化したシェイは好評で山間部への延伸工事が進んだ1911年から2シリンダー18㌧車が7両、二萬平までが完成した1912年からは一回り大きい3シリンダー28㌧車10両が増備されていき活躍しました。

現役を引退後は北門の大火災で焼失した15号機を除いて全車が静態・動態保存されています。中でも14号機はオーストラリアのパッフィンビリー鉄道 (Puffing Billy Railway)からの要望で再び海を渡りました。現在25号機31号機が軽油仕様に改造されてはいますが動態保存機となりイベント使用されています。
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2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part4 阿里山森林鉄路

01▲ 昨夜嘉義站売店で購入した時刻表は紹介しましたオレンジ色の表紙でしたが、他に紫色と黄色のもう2種類がありました。よく見ますと、中々のセンスあるデザインで気に入っています。日本の時刻表も写真ばかりでなく手書きのイラストデザインシリーズも作ったらと面白いのにと思いました。

第2日目 1月9日 その1

6:30 目覚めてのすぐの作業は、カーテンを開けて見る空模様です。今日はあいにくと雲が立ち込めています。天気予報では、曇りのち晴れなのでこれからは好天するのだろうと、ホテルで朝食を食べてから8時にチェックアウトしました。
中国本土ではチェックアウトの際は、少し待たなければなりません。係員が部屋に行って良く言えば忘れ物がないのか、悪く言えば盗られた物がないかをチェックするためです。以前にバスタオルがないと騒がれた経験もあります。
実際はバスルームがドアにかけてあったのを係員が見落としたのが原因だったのですが、盗人扱いを受けて嫌な思いをしました。しかし、ここ台湾では 「ご宿泊、ありがとうございました。」 で、カギを渡すだけで済みます。
人を信用することから始まる人間性と、疑うことから始まる人間性と相反する原因はどこにあるのでしょうか?

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2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part3 台鐡嘉義站、嘉義文化路夜市

 

53▲ 17:21 蒜頭糖廠から路線バスに揺られて約40分、ようやく台鐡嘉義站に到着しました。バスは市内地に入りましたが下車站は終点ではなく途中下車です。長くの乗車になってきましたので、降りるバス停がどこだか分からず不安でした。しかし今回は大津の86さんが一緒です。彼は停車する度にバス停を確認していただいており、ぶんしゅうさんもう2駅です。次ですと教えていただいておりました。ありがとうございました。

上の写真は、バスを降りた繁華街に近い台鐡嘉義站正面。阿里山森林鉄路は駅舎を共有して正面に向かって右側に発着ホームがあります。
下は、構内を跨ぐ跨線橋を渡っての反対側駅舎です。エレベーターとエスカレーターが設置されていてバリアフリーができていますので、重い荷物を持って苦労することなく行けました。
台鐡の主要駅では日本と同様に駅のバリアフリー化が進んできています。荷物を持つ旅行者には便利になってきました。バスターミナルはこちら側にありました。

【 台鐡 嘉義站 】
明治35(1902)年4月20日、台湾総督府鉄道の駅として開業。明治43(1910)年10月1日には 阿里山森林鉄路嘉義線が開業。昭和7(1933)年に改築するも昭和20(1945)年、米国の空爆によって主要部を破壊される。昭和24(1949)年に修復を完了。鉄筋コンクリート製。

現在は、台湾台鐡縦貫線と阿里山鉄路阿里山線の駅。台鐡は1日96本もの列車が発着する。阿里山鉄路は途中で山崩れが発生しているために途中区間が運休中で、現在北門行きの1往復が発着するのみ。2011年度の乗降客は約19,700人。
台鐡嘉義站公式HPはこちらへ

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2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part2 蒜頭糖廠、なぜに台湾の人たちは日本人にやさしいのか–八田與一の功績

01_農民のモニュメント ▲ 14:00 着いた高鐡嘉義站に降り立つとバス停は今います北口ではなく南口でした。蒜頭糖廠へ向かうバスの時間を見てきますと大津の86さんは走って行かれました。私は一服しながら荷物番です。目の前には逞しい農民夫婦のカラフルなモニュメントが設置されていました。

この地方の代表的な表現だろうと思いましたが興味が湧いてきましたので調べていきますと、嘉南平野は台湾でも代表的な耕作地域であることが分かりました。広さは香川県ほどで、台湾全体の耕作面積の1/6を占めています。
また亜熱帯性気候により1年に2~3回もの収穫ができる地域で年間降雨量も十二分でしたが、降った水が中央山脈から一気に流れ落ちる富山の常願寺川のような地形であったために、雨季には暴れ川となっていました。 雨季には洪水、また乾季には耕作地は干上がってしまうために安定した耕作はできない土地で、飲み水さえ不自由していたそうです。農民は極貧困に苦しんでいたのですが、これを救ったのは東京帝国大学で土木工学を学んだ八田與一でした。

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