近江鉄道の電気機関車
“ビア電”に乗って、酔いが回るうち、思いは昭和の近江鉄道へ、正体・由来もよく分からないような電車がゴロゴロしていた時代へとさかのぼりました。貨物輸送も活発で、それぞれ由来を持った個性派の電気機関車が揃っていました。なかでも、もと国鉄のED14が4両全機そろって働いていたことで知られていました。ED14については、少年時代のホロ苦い(?)思い出があります。
▲アメリカGE製のED14、大正15年に、東海道本線の電化に際して輸入された。1~4の全機が近江鉄道に揃っていた(彦根 1980年)。
▲デッキ付きのED電機が大きなパンタを二丁上げて貨車を牽く。模型で再現したとおりの列車が近江鉄道に走っていた(高宮~多賀 1969年)。
ED14
思い出、と言っても模型の話で、中学生の時代、HO模型をやっていて、デッキ付きのED電機が欲しくなり、いちばん貫禄のあるED16が買うと決めて、勇躍、マツモト模型店へ自転車を走らせた。ところがマツモトのオッサンは、“ED16は先輪が脱線するからアカン、ED14にしときゃ”と譲らない。結局、押し切られて、不本意ながらED14キットを買うことになってしまった。しかしED14は、マツモト製のオハ31を牽いて、脱線もせず快調に走り、オッサンの言うとおりだった。値段は1500円前後で、ED16より少し安く、少年達に、値段ではなく使いやすい製品を薦めてくれた、マツモト模型店の心遣いを感じたものだった。
▲スノウプロウを付けたED14のトップナンバー機、ED14の特徴である十字窓は改造されている。
▲この時は、DRFCで交直接続・近江鉄道の見学会へ行った時のもの。初めて、みんなと近江鉄道の写真を撮った(高宮~多賀 1969年)。
模型を買った当時、ED14は、仙山線の直流区間で客貨を牽いており、模型は手許にあっても、実物は見られないと思っていた。ところが、突然、お隣の滋賀県へ全車移動というニュースが飛び込んできた。昭和37年、多賀から石灰石の原石を輸送するため、強力な電機が必要になり、仙山線で休車中だったED14を譲り受けることになった。近江では、多賀の山側にある石灰石の積み込み場から、彦根のセメント工場まで、セキ10両を牽引し、最盛期には12往復が運転された。
▲ED144、こちらは十字窓が残されていた。非力なようにもみえるが、当時の私鉄電機では、西武E851に次ぐ強力機だった。
▲彦根にあったセメントの精製工場への引込線で、推進運転で原石を積んだセキを押し上げるED14。
▲押し上げた先には、住友セメント彦根工場のプラントが見えた。セメント輸送は次第に道路輸送に移り、昭和61年の工場閉鎖により、完全になくなった。▲彦根の引込線にはタキ編成も入線した。これは、鳥居本にあった石油の貯油所への列車の入換のようだ。
▲昭和49年には、多賀にキリンビールの滋賀工場が開設され、ビール輸送も電機が担当した。3往復が、最大ワム20両という長い編成も牽引した。
そのほかの電機
▲ロコ1100形(1101) 阪和電鉄が開業に備えて発注した入換機、当時は、地平の阪和天王寺駅と切り通しの下を走っていた省線の間の33‰勾配で貨車の受け渡しを行なったと言う。昭和26年に近江に来た。▲ED31形(ED311) 伊那電気鉄道で新造された凸型電機、全6両のうち、1~5の5両が近江に来た(高宮 1984年)。
▲ED31形(ED313) ED31は、大きなボンネットと小さな窓が特徴。八日市線ほかで一般貨物を牽引した(近江八幡付近 1984年)。
▲ED4000形(ED401) もと東武ED101で、イングリッシュエレクトリック社製。
▲ED401はビール輸送にも活躍した。廃車後、当機は東武博物館へ里帰りして保存展示された。先ごろ、初めて東武博物館を訪問し、約40年ぶりに再会した(彦根 1980年)。
近江鉄道で廃車となった電機4両は、「近江鉄道ミュージアム」で、保存展示されていたが、昨年に、ミュージアムの閉館が発表され、4両とも解体されてしまった。
私が初めて買ったTMSにED14の製作記がありましたので、なぜかなじみがあります。ED142の実物の写真もあり、よく眺めていました。特に十字窓がおもしろいなあ~と思っていました。2017年の12月16日に彦根駅で解体前の展示会があったので行ってきました。写真はその時に撮ったED144です。狭い所に展示してあったので撮影するのに苦労しました。ところで、これらの電気機関車はすでに解体されたのでしょうか。
はい全部解体されたと聞いています。近江鉄道としては、引き取り先を探していたようですが、結局、どこも現れなかったようで、ことしの始めに解体されたと聞いています。ミュージアムそのものも、経営状況の良くない会社が、よくぞ決断したものと思いましたが、結局閉館してしまい、残念です。
総本家青信号特派員様
さすがいろんな年代に渡って撮影されていますね。
私は近くに居りながらほとんど撮影しておらず、ネガをスキャンしたものの中に近江鉄道と思われるのは数枚しかありませんでした。その中で1枚ちょっと気になるのがありました。1969年ごろの撮影で場所は不明、先頭の車両はドアが開いていて学生風のがドアから乗り出しています。客車はともかく、電車で手動ドアとは記憶がありません。旧西武の車両のようですがどんな車両だったのでしょうか?
横から失礼。
その車両はモユニ10という郵便荷物車です。
近江鉄道の郵便輸送は車内で集配業務を行っていたため、その人が暑かったらドアを開けたりしていたようです。
大津の86様
先頭の電車はモユニ10で、元西武のモハ232です。少しわかり難いのですが、パンタの下の窓に「〒」マークが見えます。2014年6月7日の〝西武鉄道 モハ241に寄せて〟で、藤本哲男様が解説されております。
総本家青信号特派員様
細かいことを指摘して申し訳ありませんが、ED4001はイングリッシュエレクトリックです。
紫の1863さま
ご指摘、ありがとうございます。どう見ても、アメリカの電機ではないです。訂正しておきました。書きましたように、同機はいま東武博物館に里帰り展示されています。もとの形式に戻され、きれいな状態で置かれていました。
紫の1863様
ありがとうございました。謎が解けました。客扱いのない車両で、ドアから身を乗り出していたのは荷物扱いの職員だったのですね。それにしても地方の私鉄で、荷物扱いの需要があったのでしょうか。まだ、70年代始めはいろんな車両が残っていたようで、撮影してなかったのが悔やまれます。
大津の86様
江若もそうですが、道路輸送が未発達の頃は私鉄でも手小荷物や郵便物輸送は盛んでした。近江鉄道にもモユニのほかにハユもいました。貴生川で写したハユ24です。