やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ⑫

鳥栖機関区

筑豊地区の機関区巡りを終えて、鹿児島本線を南下していくと、まず鳥栖に着きます。長崎本線を分岐するジャンクションであり、蒸機時代には、駅の南東側に鳥栖機関区がありました。とにかく規模の大きな機関区で、驚いたのは、転車台+ラウンドハウスが2組あり、ラウンドハウスも半周分はある規模の大きなものでした。ただ、初めて行った昭和42年には、鹿児島本線は熊本まで電化していて、長崎本線は非電化ながらも、少し前まで走っていたC60の牽く寝台特急「さくら」「あかつき」はDD51に置き換わっていて、定期の特急・急行はすべてDD51で、わずかに不定期・臨時列車に、C60の牽引の活路が残されているだけでした。ただ、普通列車は早岐区C57、貨物はD51、ほかにも、筑豊本線、久大本線から通しで蒸機が来るなど、以前のような幹線の大型蒸機の活躍は見られなかったものの、まだまだ活気のある風景が展開されていました(以下すべて昭和42年3月)。

鹿児島本線から長崎本線が分岐するY字形の間に、建築現場のプレハブ小屋があった。中を覗いても誰も居ず、勝手に外階段を上がって二階へ行くと、長崎本線がゆるくカーブして俯瞰できる。背景は家が建て込んでいるが、ちょうど順光で撮れる。まだC60で残っていた優等列車は、この時期、不定期・臨時急行だけで、ちょうど長崎行きの「第二玄海」がC60 38に牽かれて鳥栖を発車して行った。

給炭台も巨大、ラウンドハウスも二つあった鳥栖機関区、九州のほぼ中央で、煙の絶えない鉄道の要衝だった。機関区以外にも操車場、客貨車区、車掌区、鉄道病院まであり、鳥栖市の人口の4分の一は国鉄家族と言われた。

 

C60

山陽・東北筋の電化で余剰になったC59を、下級線区でも走れるように、従台車を二軸、2-C-2のハドソン型に改造した。軸重が16tから15tに軽減され、乙線の鹿児島本線(南部)、長崎本線でも走れるようにした。昭和28年から17両を改造、その後、昭和35年から30両が追加改造された。九州のC60配置区は、鳥栖のほか、熊本、鹿児島で、早岐にもほんの一時期配置があった。

(左)上路式ターンテーブル上のC60 31 C59 60からの改造、水戸から来て、この翌年には廃車になった。(右)長崎行き不定期急行「第2玄海」を牽いて鳥栖を発車するC60 29長崎本線を単機回送されて来たC60 31 信号待ちの停車中に望遠に付け替えて撮影した。長崎を発車する京都行き不定期急行「第2玄海」 C60 26が牽引。急行を牽くC60に感激、「鉄道ピクトリアル」のトピックフォト欄に投稿した。初掲載が嬉しくて、みんなに見せて回り、その号だけボロボロになって今もある。

 

D51

鳥栖には当時23両のD51が配属されていて、九州ではいちばん多いD51の配置区になっていた。働き場所は、長崎本線、佐世保線の貨物牽引用だった。

(左)D51 1082 戦後型のD51で製造以来、一時期を除きずっと鳥栖で過ごした。昭和42年に休廃車となる。(右上)D51 225 人吉、長崎などを経て、鳥栖に来た。昭和47年の鉄道百周年の記念列車を若松~原田で牽いた。(右下)D51 1150 製造以来、ずっと鳥栖の配置、昭和46年に若松へ。

D51 280   小郡、津和野、門司区を経て、鳥栖に来た。写真は長崎区での撮影だが、ヤマほどいたD51のなかでも、形式写真としては、なかなかいい条件で撮れた。現在は、直方の汽車倶楽部に保存されている。早岐に到着する貨物を牽くD51 1157 昭和46年に東北の大館区に転属した。地上時代の長崎区で並ぶC60 31D51 280  当時の長崎には配置機関車がないため、機関区設備が少なく、広々していた。鳥栖と違って、背景に何も無く、たいへん写しやすかった。D51 1022 これも戦後製のカマボコドームのD51 初期型のK-1の切取式デフを取付けている。

鳥栖区には、当時、8620が5両、C11が4両、配属されていた。38681は西唐津区から転属、8620は、久大本線の日田までの貨物も牽いた。C11 54は、直方、若松区を経て鳥栖に。C11は甘木線の貨物を牽いた。沿線のビール工場からの出荷が多かった。▲  68664が久大本線からの貨物を牽き、久留米から電化区間を通って、鳥栖に到着した。

(左)ラウンドハウスの横に、ボディカットされた268が教習用として置かれていた。北越鉄道の18号機で、買収後の改番で、230形268号となった。1-B-1のタンク機で、鳥栖で入換に使われ、昭和29年に休車のあと、教習用として内部が見えるようにして置かれていた。(右)現在では、復元されて鳥栖駅東口に保存展示され、ホームからも見える。

(左)久大本線の列車は鳥栖を始終発としていて、大分区のD60も顔を見せた。(右)現在でも駅舎・ホームの雰囲気は、50年前とほとんど変わっていない。鳥栖機関区跡は、現在J1のサガン鳥栖のホーム、鳥栖スタジアムになっている。

 

 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ⑫」への11件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    湯口徹さんの出生の地鳥栖の話は大変懐かしく拝見しました。交通の要所で佐賀県の県庁所在地と間違えるくらいのイメージでした。高崎や大宮(今は県庁所在地)と似た位置づけです。例によって番号を確認したところ、D51は225と晩年東北で撮った1157以外は撮影しておりません。私が終日鳥栖で撮影した1964年にはすでにDD51が進出しておりましたがまだ試運転中でほとんどが蒸機牽引でした。初掲載で鉄道ピクトリアルがボロボロになった話はよくわかります。私は今は全く新品状態で置く場所に困っています。

    • 準特急さま
      いつもコメント、ありがとうございます。鳥栖は、われわれの頃は蒸機の街でしたが、明治の頃、筑後地方は、914mmの軽便鉄道の宝庫でした。須磨の国宝さんの趣味対象が、鳥栖に由来することが理解できました。準特急さんは、昭和30年代から九州で撮っておられますから、鳥栖の様子も私の頃とは違っていたことと思います。その様子は、20系「みずほ」後部の表紙の「鉄道ファン」26号でよく知っています。この号は、カバーを付けて保管していますので、今でもきれいです。

  2. 準特急さまは、1964年に終日、鳥栖で撮影されたとのこと。羨ましい限りです!小生は母の実家が熊本のため、同年春に叔父に連れられ熊本へ行ったことがあり、その折に急行「阿蘇」の車窓から鳥栖で数枚ほど撮りました。いきなり門デフのC59124に出くわし興奮しましたが、ナンデこんなとこに電柱があるんだよ、と云うひどい写真になりました。小学校卒業したてのガキの写真ですので、お許し下さい。枯れ木も山のナントヤラ。古けりゃブレボケOKとの、米手さまのお言葉に悪乗りし、貼っておきます。

    • 宮崎繁幹さん、
      これは貴重なお写真です。C59124もさることながら、スエ307のほうによだれが出ます!ねぇ井原さん

  3. いつも特派員さんの写真を楽しんでいるのですが、あまりにも完璧な写真ばかりで私が入り込む余地がなく、見入るばかりです。
    たまたま同じ機関車の写真があったのですが、これが出来損ない写真で恥ずかしくボツと思っていましたら、宮崎さんから『古けりゃブレ・ボケOK』との私の暴言を突きつけられたので恥を忍んで投稿します。番号が同じと言うだけの写真ですが・・
    昭和38年3月に八代で撮りました。

  4. 総本家青信号特派員様
    1964年4月2日鳥栖のプレハブ展望地付近を行く水戸出身C6031牽引の下り「さくら」です。

    • 準特急さま
      はい、この場所でした。“ヘッドマークを付けたC60がブルトレを牽く”、まさにこの写真が、私の最も憧れていた九州の情景でしたが、初めて行く一年前に無くなってしまい、私にとっては叶わぬ夢となりました。わずか一年ですが、高校生の身にとっては、いまの10年にも相当する隔たりでした。1964年の鳥栖では、「レイル」でも見せてもらった、C57100のきれいな形式写真も印象的です。

  5. 総本家青信号特派員様、宮崎繁幹様、井原実様、米手作市様
    コメントは鳥栖から熊本、八代と拡大しておりますが、宮崎さんのご投稿は小学生出たてのころで興奮しておられた様子が感じられます。C59124はC59としては異色の門鉄デフ機でしたがボイラが太いためかC55、C57と比べるとどうでしょうか。廃車後は他機に流用されたと聞きます。客車は大好きなのですが、スエとかナエとか救援車とか配給車などはよくわからないというよりも私には猫に小判、豚に真珠のようなものです。井原実さんすみません。私は一般営業用車が好きなようです。米手さんの八代で撮影されたお尻を出した機関車は番号がよく判別できないのですが当時出水区に所属していたD60と思います。添付写真は1963年3月28日熊本駅に到着した「みずほ」です。

    • 準特急さん
      ゴメン!機番を書き忘れました。D6022です。
      鳥栖機関区の写真でもお尻が写っていますが“お尻美人”の車ですね。
      ところで、この「みずほ」の写真で給水塔の下にいるスハフ32ダブルルーフもよだれものですよ。

      • 米手作市様
        ボロボロになった1963年版国鉄動力車配置表(鉄道ピクトリアル編集部)によりますと出水区にはD60(22号機含む)4両、D51
         13両、D50 4両計21両が配属され鹿児島本線の貨物を担当していたようです。D60はその後全機直方に転属しております。お尻美人と言えば一関にいたD50がそんな感じだったと思います。なお、スハフ32のダブルルーフは私は撮ったことがありませんが有名な肥薩線のループでの写真でよく見かけたものです。よだれが出るかどうかわかりませんがスハ32やオハ31等時々見かけましたね。マシ292ほど人気が出るかどうかわかりませんが、探しておきます。

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